11・7「アカンで、日本!」を聴いてみよう(水戸喜世子)

 発起人の水戸喜世子さんが11月7日の大阪講演会に向けて友人たちへの手紙を発出しました。とても胸を打つメッセージですので、ここに転載します。(事務局)
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11・7「アカンで、日本!――理工系にとっての戦争――」を聴いてみよう

 1967年10月8日、佐藤栄作首相(当時)はアメリカの要請でベトナム戦争に加担すべく、羽田空港からベトナムに飛び立つことになっていました。それを何としても阻止しなければ、と立ち上がったのが、後に「羽田10・8」と呼ばれる、青年学生の決起でした。

 もちろん、当時ベトナム反戦運動は市民運動の中で大きな広がりを見せていましたが、私たちは、大衆運動としては集会、デモ、座り込みしか方法を知りませんでした。私などは、この年、神戸アメリカ領事館前で座り込みが始まったので(のちの神戸べ平連)、3人の小さな子どもを連れて、ご近所の主婦たちと座り込みに参加していました。
しかし年半ば、東京に転勤になって、まだ引っ越しも片付かない頃に、羽田10・8が起きたのです。翌朝の新聞を見てその激しさに本当に驚きました。

 死者1名とおびただしいけが人。
「暴徒と化した学生」が新聞の見出しでした。一市民の感想として、即座に「それは違う!」というのが実感でした。何とむごいことを~。過剰警備を問題にしなければ、と。
金属の盾と棍棒、朝から晩まで訓練に明け暮れている職業的治安部隊を相手に、たかが角材とヘルメットだけで、向き合おうとした学生は、まるで素手と同じです。非暴力直接行動そのものだと、多くの市民は思いました。

 鶴見俊輔、羽仁五郎、日高六郎、大江健三郎、小田実、岩田宏、鈴木道彦、海老坂武など多くの文学者、詩人、学者が続々と名乗りを上げて、大きな支持声明となり、救援の呼び掛けに結実しました。

「アメリカの大義のない戦争に加担するな」「過剰警備を糾弾する」

 私と夫・水戸巌で事務局を引き受けた「羽田10・8救援会」では、空港周辺の病院を歩いて診断書をとり、治療費を払って歩きました。逮捕者には差し入れに通いました。
 国会の法務委員会で過剰警備であることを佐々木静子議員が証拠の写真と共に、追及してくださいました。
 その活動を支えたのは多くの名もない市民でした。世論を背景に、この事件では重罪になった被告はほとんどいませんでした。

 不幸にして山崎博昭君は若い命を落としました。享年18。戦争に反対するということは、私の中では「若い命をなげうった山崎君の遺志をを引き継ぐこと」と重なります。

 山崎君を忘れないために、モニュメントを作ろうという声が2年前、高校時代の同窓生を中心に挙がりました。
 関西では今回が初めての集会です。関西の市民が「山崎博昭」をもう一つの新たなキーワードとして 安保法制廃棄、命を脅かす核発電所廃棄へと結ばれることを願います。
山崎博昭の喜ぶ顔が目に浮かびます。
 11月7日は、同世代に近い山本義隆氏が講演します。その発言を、もう一人の講演者の若い白井聡氏がどうバトンタッチされるか、それもこの会の楽しみの一つです。
 ぜひお越しください。
 11月7日、「アカンで、日本!――理工系にとっての戦争――」を聴いてみよう。

2015年10月8日
水戸喜世子



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