「『国家への反逆』残したものは」~朝日新聞大阪版が『きみが死んだあとで』を紹介

「『国家への反逆』残したものは」~朝日新聞大阪版が『きみが死んだあとで』を紹介


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『ベトナム反戦運動が高揚した1967年10月、大阪出身の18歳の大学生がデモに参加中、命を落とした。その死は全国の同世代に衝撃を与え、全共闘などの学生運動が活発化するきっかけになった。友人ら14人の証言から「若者たちが国家権力に反逆した時代」をふり返る長編映画が、大阪市淀川区の第七芸術劇場で上映されている。5、6日には上演後、出演者や監督によるトークがある。

 映画は「きみが死んだあとで」。「きみ」とは、67年10月8日、羽田空港の入り口で機動隊と衝突して亡くなった京大生、山崎博昭さんのことだ。当時、学生らは米国のベトナム戦争への軍事介入に日本政府が加担していると批判。山崎さんは、米国の傀儡(かいらい)政権と見られていた南ベトナムへの佐藤栄作首相の訪問阻止を掲げたデモに参加中だった。

 学生運動での死者は60年安保闘争での東大生、樺(かんば)美智子さん以来。山崎さんの死因は機動隊に頭部を殴打されたためか、学生が奪った警備車にひかれたか諸説あるが、同世代に衝撃を与え、これをきっかけに学生運動に入っていった人も多かった。

 映画で「語る」14人のうち8人は、山崎さんが在籍した大阪府立大手前高校で同学年だった。その一人で当時、立命館大生だった岩脇正人さんは「(羽田に)行ってたら、ぼくが死んでたかもしれない」と明かした。「山崎は私だ」と受け止め、ヘルメットとゲバ棒で武装し、機動隊とぶつかる過激な運動に熱を上げたという。当時浪人生でのちに詩人としてデビューする佐々木幹郎さんは「実際の山崎の肉体的な死以上に、あいつが(日記に)残した言葉に胸をえぐられるくらいの衝撃を受けた」と自らの人生への影響を語った。

 監督の代島治彦(だいしまはるひこ)さん(63)は山崎さんの9歳下。少年時代は「学生運動をするかっこいいお兄さんやお姉さん」にあこがれたが、大人になると「社会を変えることはばからしい」という空気が支配した「シラケ世代」という。学生運動が衰退する中で内ゲバ(内部闘争)が深刻化し、仲間同士のリンチなどで14人が死亡した連合赤軍事件の影響が色濃かった。「半世紀前の学生運動には負のイメージが強い。かといってぼくらのシラケ世代が世の中をよくするための挑戦をしたわけでもない」と振り返る。

 今回の映画は「このまま学生運動の当事者が命を閉じれば、世の中の不正義を問う闘いは、冬しか残さず、権力に都合のいい歴史だけになる」という焦りが、制作の原動力だった。

 山崎さんがデモに参加する前、「まじめに働く人間がまじめに報われる社会にしたい」という思いを明かしていたことも、兄の建夫さんの言葉で語られる。

 代島さんは言う。「当時の学生はとんでもないことをやった異星人に見えるかもしれないが、一人ひとりはいかに生きるかという悩みに向き合う今の若者らと変わらない存在だった。当事者の記憶に宿る言葉から、未来に引き継ぐべきものが見えてくれば」

 映画は3時間20分。6月11日までは午後2時20分から、12~18日は午前11時から上映。問い合わせは同劇場(06・6302・2073)。(武田肇)』



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