山中幸男:「10・8山﨑博昭プロジェクト・50周年まであと3年」(2014年10月4日)における発起人あいさつ

いまお話のあった救援連絡センターというところの事務局長をしております山中幸男と申します。私は1967年10月当時は予備校生でしたが、この日が日曜日であったということを、このプロジェクトの話を通じてカレンダーを見直して思い出しました。それで、その後予備校に山﨑君の死ということで壁新聞が張り出されてあったんですね。そういうことも最近思い出しました。

それはともかくとしまして、今、水戸喜世子さんからご挨拶がありましたように、救援連絡センターというものが、その後発足しまして、曲がりなりにも現在も存続し続けております。これはなかなか大変なところで、私の思いとしては毎日いまだに悪戦苦闘しておるような現状でありますが、このプロジェクトを通じて改めて40年、50年といった時間の流れを自分の問題としても考えております。本日集まってくださった皆さんと、今後も共に活動を続けて行きたいと改めて思います。よろしくお願いします。



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