歴史と記憶のはざまを語る/殿島三紀(図書新聞の映画評)

歴史と記憶のはざまを語る――監督 代島治彦『きみが死んだあとで』/殿島三紀
図書新聞 No.3493 2021年04月24日

■『きまじめ楽団のぼんやり戦争』『テスラ エジソンが恐れた天才』『椿の庭』などを観た。
 『きまじめ楽団のぼんやり戦争』。池田暁監督作品。町境の川を挟んで9時から5時まで規則正しく戦争する二つの町。川向こうの町はとてもこわいところらしい。この小さな町で、兵士たちは毎朝戦地である川原に出勤し、対岸に向けて日がな一日銃を撃つ。稀に弾に当たってケガをすることがあり、ごく稀に死んでしまうことも。ある日、町に新部隊と新兵器がやってくるという噂が拡がる……。無表情な登場人物、セリフは棒読み。毎朝きまじめに奇妙な曲を演奏して路地を行進する楽団。すべてがどこか変なのに何故か気になる不思議な作品である。
 『テスラ』。マイケル・アルメレイダ監督。テスラと聞くと電気自動車しか思いつかないが、電力システムや点火プラグなど現在も使われているものを発明し、かのエジソンとの電流戦争に勝利した天才発明家だそうだ。知らなかった……。世紀末のノスタルジックな色調で、時代を風靡した発明家、あるいはマッドサイエンティストとも言われたニコラ・テスラの孤独な生涯を描いた伝記映画。
 『椿の庭』。写真家・上田義彦の監督作品。古い家を舞台に季節の移り変わりと祖母と孫娘の暮らしを丁寧に描き出した動く写真集のように美しい映画だ。その庭では椿の花が咲き乱れ、水草が浮かぶ石鉢の中を金魚が泳ぐ。棕櫚の葉先が海風に震える先に拡がる水平線。葉山の四季と古い家の醸す優しさ。誰もが心に秘めている消えゆくもの、なつかしいものへの想いが紡ぎ出される。富司純子とシム・ウンギョンが好演。

 さて、今月紹介する新作映画は『きみが死んだあとで』。1967年10月8日、佐藤首相の南ベトナム訪問を阻止するため、羽田に学生たちが集結した第一次羽田闘争をご記憶だろうか。その日、当時京都大学一年だった山﨑博昭君が死亡。その死因は機動隊に頭部を乱打されたためとも、装甲車に轢かれたためとも言われる。あの日から50年以上経ち、学生運動は内ゲバを重ね、ありえない方向に迷走し、1975年にベトナム戦争も終結し、学生たちは企業戦士になり、いまは年老いた。
 『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』に続いて若者たちを熱い思いに駆り立てた時代を描き出したのは代島治彦監督。あの頃は小学生だった世代である。あの時代の影響を受けて育った世代の監督は「『全共闘世代』がこの世からいなくなったら『連合赤軍事件』の悲劇だけが後世に語り継がれていくんじゃないか」という不安を抱き、彼らが生きている内に「あの時代」を語り継ごうと本作を撮ったという。山﨑の同級生や学生運動の中心人物14人が、山﨑について、また、当時彼らが向き合った闘いについて語る姿を、あの頃の映像を交えて記録したドキュメンタリー映画だ。
 学生服を着て永遠の18歳のきまじめそうな顔で微笑む山﨑君。だが、あの日から54年の歳月を経た14人はある種の悔恨や痛みもこめて当時を語る。『三島由紀夫vs.東大全共闘 50年目の真実』に見られるような意気軒高さや熱気はないかもしれない。だが、彼らの語りの中から時代のアイコンと化し、それもやがて忘れられようとしていた山﨑君の日常が浮き上がってくる。14人の中には大手前高校同級生の他、先輩であり東大全共闘元代表の山本義隆も。彼は「あの頃の闘争について否定的な見解ばかり語られるけれど、それ以上にあの時代の運動には価値があったと思う」と語る。
 「歴史と記憶のはざま」に斬りこんだ本作は、あの時代を生きた人々にとっては懐かしいだけではないかもしれない。これまで話したくても話せなかったあの時代をその当事者たちが思いの丈をこめて語る。同時代を生きた人は共感と共に痛みをもって振り返ることになるのだろう。
(フリーライター)
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図書新聞に掲載された『きみが死んだあとで』の映画評(評者・殿島三紀さん)を転載させていただきました。
10・8山﨑博昭プロジェクト 事務局



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