10月10日、第3回東京講演会へのご参加に御礼(速報、2015年)

【速報】2015年10月10日、10・8山﨑博昭プロジェクトは第3回東京講演会「家族という病・国という病 講演と音楽の夕べ」を開催した。48年前の羽田闘争へのさまざまな思いが語られ、重なり合う集いとなった。次は11月7日大阪講演会「【大阪発】あかんで、日本!―理工系にとっての戦争―」です。ご期待ください。ご参加をよろしくお願いします。

この日、講演会に先立ち、午後2時から山﨑博昭君が亡くなった羽田闘争の現場である羽田・弁天橋で献花と黙祷を行った。
参加者は27人。弁天橋の脇の鳥居のある広場で、発起人を代表して山﨑建夫が挨拶した。続いて、当時、闘争に参加した日野、小林の2人から現場での様子についての説明、そして発起人の小長井良浩、山本義隆、佐々木幹郎から発言があった。
挨拶と発言の後、広場のテーブルに献花を置いて、当時のベトナム反戦の闘いに思いを馳せながら、全員で黙祷した。

講演会は、午後7時30分から午後9時30分まで新宿文化センター小ホールで開催した。
冒頭、発起人を代表して山﨑建夫から開会の挨拶として、プロジェクトの現状説明と賛同人のお願いを行った。
続いて、佐々木幹郎からベトナム・ホーチミン市の戦争証跡博物館で予定している山﨑博昭プロジェクトの展示についての説明とカンパの要請を行った。この企画は、ベトナムの地で山﨑博昭君を始め、日本のベトナム反戦の闘いを紹介する画期的なものとなる
第一部は、発起人でもある作家の下重暁子氏が「家族という病・国という病」というタイトルで講演を行った。
講演の中では、当時を振り返り、山﨑君の死に「大変衝撃を受けた」こと、そして「そのことがNHKを辞める一つの原因ともなった」と語った。テーマとなっている家族と国については「国というのは管理しやすい家族が欲しい。だからそういう風にしようと一生懸命努力しています。私たちは個であって、国に管理されやすい家族であってはいけないんです。自分たちは国の言いなりにならないということを言わなければいけない。安保法制反対で(国会前に)行った時に、本当に皆一人で来ていらっしゃる。あれはすごく嬉しかったです。」と語った。

休憩を挟んで第二部は「詩と音楽の夕べ」。
歌手の小室等さんと小室ゆいさんが「石と死者」「ウィ・シャル・オーバー・カム」「死んだ男の残したものは」の3曲を歌った。
続いて歌人の道浦母都子が、歌集「無援の抒情」より10首をフラメンコ・ギターのBGMをバックに朗読した。「無援の抒情」を朗読会で詠むのは初めてとのことであった。
最後は詩人の佐々木幹郎が、小室等さんのギター伴奏をバックに、詩集「死者の鞭」第1章を朗読した。この詩を声に出して朗読するのは日本では初めてとのことであった。
講演会には約140人の参加者があり、参加者から多くのカンパをいただいた。ありがとうございました。
(追って記事詳報、動画を掲載します。)



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