山﨑博昭君の死因について ――警察当局の世論操作を糾弾する /小長井 良浩 (1967年12月24日)

山﨑博昭君の死因について
警察当局の世論操作を糾弾する
小長井 良浩
朝日ジャーナル(1967年12月24日号)掲載

(リード)第一次羽田事件で山﨑君の命を奪った凶器は、装甲車であったか? 三派系全学連や関係団体の手入れ、第二次羽田事件では333人という大量検挙をあえてして、なお真犯人は現れそうにない。しかも大量検挙のアミに使った凶器準備集合罪では、ただ一人も立件していない。巧みな世論操作によって、法を乱用、治安万能に安住する警察当局に、山﨑君の死因が機動隊員によるのではないかとの疑問を提起する――

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 佐藤首相の南ベトナムとアメリカ訪問に対する全学連、反戦青年委員会などのデモについては、政府、自民党および治安当局は、きわめて高姿勢でのぞんだ。
もっとも、佐藤首相にしても、10月8日夕、ジャカルタ空港に着いてすぐ、大使館から羽田事件の“第一報”を届けられ、「沈痛な表情」で記者会見にのぞみ、まず死者へのくやみのことばを述べていた。

 彼の念頭には、樺美智子さんの死によって、惨めに政治生命を絶たれた実兄岸信介元首相の末期が思い起されたに違いない。ところが、木村官房長官から同夜7時すぎ(日本時間同9時すぎ)「学生が学生をひき殺した」との警察判断を聞いて、電話口の首相は「こんどは猛烈に怒り」あらためて記者団を集めて“学生運動取締り”の必要性を強調したのである(本誌10月29日号)。
 警視庁にしても、“死傷多数”のニュースで「息のつまるような重苦しいふんいき」だったのが、「学生が学生をひき殺した」という現場指揮者からの情報で、「さっとほどけた。ホッともれるため息。助かった――」というのである(前同号)。

 デモ参加者の死を引起したということは、本来、警備の名分によって正当化されるものではない。警視庁が先制的に発表して一部の左翼まで同調した運転学生による山﨑博昭君轢殺説が、事態を変え、山﨑君の死が、政治的に徹底して利用された。
 洪水のように流された警察発表は、大方、疑問もとどめることなく、ひとたびは信じられたようである。

 しかし、山﨑君の死についての警察発表は、それほど無批判的に信じてよいものだったろうか。
 私は、遺族の代理人である弁護士として、山﨑君死亡の原因の調査究明および対策に当ってきた。
 弁護士は、捜査段階では、どんなに反駁資料があっても、原則として、事件の実体に立入ってあまり語るべきではないとされる。捜査機関の強大な権力によって、反証を事実上封ぜられることになるからである。
 私は遺族の代理人であるが、羽田デモ刑事事件の弁護人にはなっていない。とはいえ、山﨑君死亡の原因が機動隊員によるのではないかという嫌疑をもっている。これを徹するならば、羽田デモ刑事公判において機動隊員を追及しなくてはならない。
 しかも、死因調査に必要な資料については、警視庁は、一方的に収集したまま秘密にして、国会、都議会での提出要求にも応じない態度を示している。資料に接する機会は、裁判をおいてほかにない実情である。
 私は、弁護人として、刑事事件に関与することを考えなくてはならない。そこで、私の調査した結果については、山﨑君の事件が捜査段階にあることから、刑事弁護人となろうとするものの発表上の制約が課せられているというべきである。
 にもかかわらず、警察発表に対しては、問題の重大性にかんがみて、この段階ではっきりと異議をとどめ、理由を明らかにしておかなくてはならないのである。

 

“捜査の秘密”管制

 山﨑君の死因については、
  イ、装甲車にひかれていないか、ひかれたか、
  口、ひかれたとして、死後か、生前か、
  ハ、責任があるのは、機動隊員か、山﨑君自身か、運転学生か、
 を解決しなくてはならない。
 人の供述は、立場によって動くことがある。そこで、死因が争われる場合には、人の供述よりも、遺体の損傷と主張されている凶器とが客観的に合うかどうかが決め手になる。
 ところが、遺体については、解剖前に収容されていた牧田病院(救急病院)で幸い対面できたものの、弁護士および推薦医師団の解剖立会いが拒否され、慶応大学の解剖結果はいまだに公表されていない。装甲車(警備兼給水車)については、都議会で質問されても警視庁は答弁せず、あふれるような警察発表にも不思議に現れないのである。
 したがって、遺体が装甲車にひかれた状況であるかどうかについて、“捜査の秘密”の名のもとに、検討素材の提供が拒否され、一般には、ただ警視庁が発表するところを知らされるだけという管制下におかれているのである。警視庁がこのような一般の批判を封じた状況において、轢殺説を流布したことを指摘しておかなくてはならない。
そこで、警察発表をあらためて事実に照らして吟味してみよう。

“胸がつぶれ”てはいない

 警視庁は、事件直後、遺体の「胸がつぶれ」ていたと発表している(『朝日新聞』10月9日付朝刊)。この表現からすると、いかにも装甲車の重量で胸がつぶされてへこんでしまったかのようである。「つぶれる」とは、力を加えられて、または重みに耐えかねて形がくずれる、という言葉である(『岩波国語辞典』)。轢殺説を印象づけるには、まことに効果的といえよう。
 しかし、私が牧田病院長に説明を受けたのは、死因は脳内出血、ほかにはさしたる外形的所見はないという確言であった。
 そこで、棺の蓋をあげ遺体を見とどけたが、右顔面、側頭部の挫創、右前額部の挫傷などは目立ったが、身体各部位に陥凹(へこみ)などはなかった。私と一緒に遺体を実見した社会党国会議員、弁護士、学友、それぞれ等しく認めたところである。後に遺族も解剖前の遺体に対面したうえ、轢かれた跡のようなものはないと述べられた。
死体を検視した監察医も、死体検案書で、「胸腹腔内」については、「推定」として「損傷の疑い」とされ、外表所見では外形的な異常のなかったことを認めている。誰が見ても、山﨑君の生前の姿をそのまま思い浮べることができる遺体であった。

 このように、遺体の損傷状況に関する警察発表に作為があるだけに、警察が凶器としている装甲車について、警察が発表しようとしないことが問題になる。私の調査では、警視庁公安一課長が装甲車の自重を9・4トンとしてぃることがわかっている。この装甲車は、警備兼給水車であるから、当然、放水車へ供給すべき水を満タンに積んで、相当な重量を加えていたであろう。
 たしかに、法医学は轢過によってまれに陥凹を生じなかった症例を報告している。けれども、問題の車種は軽量車ではない。ダンプ・カーやコンクリート・ミキサーよりもはるかにどっしりとした超重量級の装甲車である。デモ隊が力を合わせて持上げようとしても、微動だにしなかったという。これに轢過されたとして、遺体に陥凹さえないで、きれいな姿でいられるだろうか。ペシャンコにつぶれてしまうのではないか。誰しもいだく当然の疑問である。

 そこで、遺体の胸がつぶれたとの作為を施したうえ、装甲車の重量については沈黙するという操作が行われたとみるほかない。

“タイヤ痕”はない

 警視庁の検視結果の発表では、山﨑君の「右肩から前胸部にかけて長さ25センチ、幅10センチの断続する表皮のハク脱があるが、これはタイヤ痕(こん)によるものと推定される(『朝日新聞』10月9日付朝刊)としている。ほぼ同じことが、都議会で再説された “胸がつぶれ” “タイヤ痕”があるとすれば、いかにも轢殺体となる。
 しかし、この装甲車種のタイヤ幅は、約20センチである。したがって、幅10センチのキズがあったとしても、タイヤ痕と推定できないことは明らかである。「長さ25センチ」というのも、ひき渡ったとすれば、おかしい。
 しかも、解剖後ではあったが、医師団とともに遺体を精査したが、「右肩から前胸部にかけて」には、該当するキズは認められなかった。装甲車の後輪は二重車輪であるが、そのような轢過の形跡は、まったくみられない。
 実際、解剖結果の警察発表(10月10日)によっても、タイヤ痕の明確な指摘は出なかった。ただ、そのときには、すでに警察発表の轢殺説による世論形成は、完了していたのである。

頭の致命傷をかくす

 警視庁は、事件当日の8日午後、山﨑君の遭難状況が「車の右前輪に腹のあたりをひかれ」「胸と首のあたりを右後輪でひいた」と発表している(『朝日新聞』10月9日付朝刊)。初め、警察発表の山﨑君の遭難状況の筋書に“頭を轢いた”ということがなかったことは、とくに注意されてよい。
 ところで、これを裏付けるかのように「死因は内臓損傷 山﨑君の検視結果」と題して、つぎの発表が追打ちされた。

「羽田デモ事件で死亡した山﨑博昭君の死因について警視庁は8日午後9時、同鑑識課と東京都監察医務院の検視結果を次のように発表した。
 死因は胸がつぶれ、また胸腹部の内臓が損傷したことによる。右ホオに骨折、また胸、腹にも不完全骨折が認められる。右肩から前胸部にかけて長さ25センチ、幅10センチの断続する表皮のハク脱があるが、これはタイヤ痕(こん)によるものと推定される」(『朝日新聞』10月9日付朝刊)

 これを読めば、死因は、胸がつぶれ、内臓が損傷したことだけによるとしか考えようがない。これだけで、頭部の致命傷を思いつく人はないだろう。
そればかりではない。警視庁の発表では、あたかも検視結果まで頭部損傷を死因としていないかのようである。
 死体検視の結果については、監察医は正式に公文書である死体検案書を作成する。死体検視結果の発表と銘打つからには、死体検案書に記載されているところをゆがめることが許されないことはいうまでもない。
 ところが、死体検案書の「直接死因」には、真先に「脳挫滅」があげられている。そのつぎに「(推定)胸腹腔内損傷視の疑い」である。
 警視庁の発表は、一つには、死因について頭部の致命傷をかくしたばかりでなく、二つには、かくした偽りがいかにも検視結果であるかのようにつくろったという点で、二重の嘘で固められている。
 警視庁は、どうしてことさらに不公正にも検視結果をまげてまでして、「脳挫滅」という頭部傷害をかくしたのか。警視庁は、よくよく山﨑君の致命傷となった頭部傷害を知られたくなかったのであろう。頭については、警視庁が隠さなくてはならないことがあるとみなくてはならない。

 

転々と変る警察発表

 警視庁が10月8日午後おこなった二回の記者会見での発表は、翌日朝刊の事件報道で、つぎの遭難状況とされていた。

「警備車は急に前進を始めた。このため警官隊は左右に散り、その間をぬって車は走り出し、学生たちもその車をよけながら逃げた。
 この時、橋のたもとにいて逃げ遅れた山﨑君が車の左から右前へ向って斜めにかけ出し、ちょうど車の進路にあたるところで突然、つまずいたような形で横に倒れた。同時に車の右前輪に腹のあたりをひかれ、あおむけになった。車は一度止ったが、再び動き出し、胸と首のあたりを右後輪でひいた」(『朝日新聞』10月9日付朝刊、強調は筆者)

 この状況は、翌日の警視庁の現場再検証で「間違いないとの結論が出たという」(同日夕刊)。もとより新聞社が警察発表を誤報したのではない。
 さらに警視庁警備課調査官・小林茂之警部(41)と警備課係長・道貝保警部(40)の目撃談として、詳細な署名入り記事(『週刊朝日』東条・永田・佐竹記者)が伝えられた。

「15メートル先を逃げるデモ隊を追うようにして、一人とり残された山﨑君のジャンパー姿が橋の上を横切った。と、山﨑君の腰のあたりに前部のバンパーが触れた。山﨑君はつんのめるようにして前に泳いだかと思うと、うずくまるように倒れた」
「車は、前輪で山﨑君の首、顔を、後輸で腹部をひいた」『週刊朝日』10月20日号、強調は筆者)

 そこで、二つの警察発表を比較対照してみよう。
 山﨑君が横に倒れる(『朝日新聞』)のと、うずくまる(『週刊朝日』)のとでは、山﨑君がひかれたというのならどんなひかれ方をしたのかを考える際、あおむけの腹をひくのと、うつぶせの背をひくのとの相違となる。

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 装甲車の前輪は一車輪であるが後輪は二重車輪であるから、どちらの車輪がどこをひいたというのか、あまりにチグハグで検討のしようがない。
 しかし、ここにどちらの警察発表も否定されるいわゆる現場写真四葉が現れたのである(『週刊朝日』11月3日号)。
 山﨑君が車の左から右前へ向って斜めにかけるときつまずいた(『朝日新聞』)のと、横切るときバンパーにはねられつんのめるように前に泳いだ(『週刊朝日』)のとでは、山﨑君の転倒と轢過の原因が山﨑君自身にあるとするか運転学生にあるとするか、警察発表では、いずれにしても機動隊員に責任はないという構成になっていた。これらの説明では、どうしても山﨑君は装甲車の進行右に頭、進行左に足がくる体形とならなくてはならない。
 ところで、『週刊朝日』の第二枚目の写真には、たしかに一人が装甲車の下になって片足裏だけみえる場面がある。しかし、それは警察発表の「山﨑君の死んだ状況」とはまったく逆に、装甲車の進行右に足があり、進行左に頭がある体形である。
 そこで、これまでの警察発表がありえなくなった。

 警視庁が従来の発表を変えるか、変えるとすればどのようにしてくるか注目されたのである。
 案の定、11月11日都議会で警視庁公安部長は、「しりもちをつくように倒れ、それを当警備車が右前輪でひいた」と答弁した。なるほどそれなら『週刊朝日』の写真のように、装甲車の進行右に足が突出て写るだろう。山﨑君は、警視庁によって、今度は、しりもちをつかされてしまった。
 山﨑君の遭難状況に関する警察発表は、轢過の原因を山﨑君自身にもっていったり運転学生にもっていったり変転しているが、そこからわかるのは、警察官の責任を回避することだけが意図されているという点である。

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現場写真の検討

 『週刊朝日』の四葉の写真は、その前後がないのが惜しい。しかし、警視庁発表の遭難地点、弁天橋東端北側の状況を写しているだけに、資料として検討する価値がある。
 現段階では、轢過それ自体があったかどうかと、轢過されたとして責任の帰属が誰になるのかの二系統の推論を加えておこう。

 まず、第一枚目の写真で、装甲車の前で完全に倒れている男(A)の服装の色が山﨑君の着ていたジャンパー、カーキ色(白っぽく写る)ではなく、機動隊員(B、C)の服装と同じ、紺系統の色に黒っぽく写っている。そうとすれば、装甲車の直前に倒れている男(A)は、山﨑君とは別人物であることが明確である。
 第一枚目の写真で装甲車の直前で倒れている紺系統の色の服の男(A)が第二枚目の写真で装甲車前輪直下の足裏の主(D)とすれば、そこで轢かれたのは山﨑君とは別人物ということである。
 事実、山﨑君の遺体を解剖後、遺族の依頼した医師団が検査したところ、および警察発表にかかる慶応大学の解剖結果では、山﨑君の下半身には別段の異常がなかった。第二枚目の写真では足裏の主(D)の下腿部(ひざから下)または上腿部(ひざから上)が前輪の下になっているので、それが山﨑君であるならば、遺体に顕著なタイヤ痕、骨折、挫創、挫傷などがなくてはならないのに、それらはなにもない。このことも、装甲車の下になって轢かれた足裏の主(D)が山﨑君とは別人物であることの裏付けになる。

 つぎに、『週刊朝日』の現場写真が、かりに警視庁発表のとおり山﨑君が轢かれたとしたとして、その場面を写したものとすれば、それは警視庁にとって決定的にまずい状況ということになった。
 すでに警視庁公安部は、「運転学生を手配」「羽田ひき殺し」と発表した際、「①問題の警備車が山﨑君をひき殺すとき、車の進行方向に警官の姿は一人もないことが、事件現場を撮影した当局のビデオテープで確認された。②同方向にいたのは学生だけで、それもほとんどが車から数メートル離れて先に逃げる状況」(『朝日新聞』10月10日付、強調は筆者)ということを、運転学生を被疑者と断定する根拠にしていた。
 『週刊朝日』の現場写真は、この警視庁の根拠を真向から否定したのである。「車の進行方向に警官の姿は一人もない」(警視庁)どころか、装甲車より前に、すでに10~20人の機動隊員が出撃している(写真)。「同方向にいたのは学生だけ」(警視庁)どころか、同方向にいたのは警官だけである(写真)。わずかに、逃げ遅れた学生一人が写っているが、それがまた機動隊員に頭部を乱打されて、手で頭をかかえてかがみこもうというところである。逃げ遅れたとしたら、学生は山﨑君といわず誰といわず、このようなめにあったことが明らかなのである。

 つまり、かりに装甲車の下になっている(D)のが、山﨑君としても、警視庁のいうように斜め左から右に逃げようとした山﨑君が、逆に、仰向けに昏倒した体形に写っており、ひとりでにそうなるわけはない。装甲車の付近には第五機動隊員しかいないので、彼らによって、山﨑君は、突然、装甲車の直前に倒されたとみなくてはならない。
警視庁が山﨑君の“胸がつぶれた”とつくり、“タイヤ痕”をあげ、検視結果をまげてまで頭部の致命傷をかくしたうえ、山﨑君の遭難状況の当初の説明として顔面頭部をはずし、説明を転々と変えても責任を逃れようとしていることが、思い合わされるのである。
 警察発表が、運転学生による轢殺説に世論を固めるために政治的に意識された早業であったことは、もはや明らかであろう。

許せぬ法規の乱用

 警視庁発表の運転学生による轢殺説には、実はまだまだ問題が多い。公判段階へ留保して弾劾したかぎりでも、こんなにも難点があったのである。まして運転者も判明せず、その弁明もわからない。山﨑事件の刑事責任の帰属を最終的に確定するまでには、慎重な事実認定の手続きを必要とし、けっして電光石火の断定によって即断しうる性質の問題ではない。警察当局が警察法二条の政治的中立の原則「その責務の遂行に当っては、不偏不党且つ公平中立を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあってはならない」をみだすことなく、事実をありのままに広報しておれば、山﨑君の死を媒介に、“学生暴徒” “暴力学生”などの悪罵が学生側に一方的に集められ、警察側の非違はなんら異とされないという状況とは、間違いなく変ったものになっていたろう。
 警察が、山﨑君の死を政治的に利用し、世論操作をおこなったからこそ、警察側にむけられなければならない批判までが、まったく隠蔽されることとなったのである。

 羽田事件に対しては、警察は、山﨑君の死によって操作した世論を背景に、イデオロギー的な用具として「法規」を乱用し、世論をさらに興奮させたのである。
 捜査当局が発表した殺人罪を適用するなどという報道にいたっては、法律家の常識ではとうてい考えられもしないことである。さすがに国会では、警察庁次長は、殺人事件にはならないと答弁した。警察発表を前提にしても、過失致死事件(罰金刑も選択できる)であって、殺人事件(死刑となることがある)ではない。それでも、一般人は、なにか学生が仲間同士、殺人事件を起したかのような誤解をもったであろう。

 凶器準備集合罪(刑法二〇八条の二)がデモ鎮圧に登場したのも、羽田事件の新事態であった。「二人以上ノ者他人ノ生命、身体又ハ財産ニ対シ共同シテ害ヲ加フル目的ヲ以テ集合シタル場合ニ於テ凶器ヲ準備シ又ハ其準備アルコトヲ知テ集合シタル者」を処罰する規定が、昭和33年の刑法改正で追加されたときには、明らかに暴力団等の勢力争い等に起因した事犯(小松島事件、別府事件等)に対する取締りを目的としていた。
 暴力行為等処罰ニ関スル法律がそうであるように、立法時には暴力団の出入等を取締まることを唯一の目的とすると説明されても、いったん制定されれば、政治運動、労働運動に対する治安立法としての役割を果すことが、今回、本法についてもまた実証された。
 そして凶器準備集合という罪名が学生デモに冠せられることによって、“暴力学生” “学生暴徒”というイメージづくりがおこなわれた。
 そればかりか、ことに佐藤訪米阻止デモの現場で、333人という大量逮捕が本条を適用して行われたことは重大である。本条は、デモ鎮圧のために現実に用いられ、警察の政治運動介入の口実となっている。

“凶器準備”適用の結末

 しかし、二度の羽田デモ事件の起訴のなかには、凶器準備集合罪を適用したものは一件もないのである。つまり、警察権力にとっては、当面のデモを鎮圧すること、そして武力行使に口実を与えてくれる法規を見出し、デモに非難がむかうことで目的は達せられている。訴追意思は、初めからすてられている。警察権の乱用は、すでにここまできているのである。

 学生デモが佐藤外遊の当日絶対的に禁止されたという公安条例の運用、1960年の安保闘争以降機動隊の完全武装化、デモごとに機動隊の武力行使によるおびただしいデモ犠牲者の続出、防具がなくては思想表現の自由(憲法二一条)が行使できない状況、これらの諸事実の一切が、凶器準備集合罪が適用されたならば、検察側は、公判廷に争点として自ら同時提出しなくてはならないということである。検察官には、その自信はない。
 政府・自民党筋の三派全学連に対する破壊活動防止法適用論議にいたっては、論外である。

 しかしながら、政府、自民党および治安当局が山﨑君の死に便乗して、事実と法律を歪曲した世論操作をおこなったことは、このような政治的便宜に訴えなくては維持できないという現在の体制の質の露呈にほかならない。
 人間の死にまでつけこんでくる右左の俗悪な“政治”に、こみあげてくるいきどおりを感ずるものである。
こながい よしひろ・弁護士

(註:原文では山崎博昭の崎とあるのをここでは﨑で統一しました。原文では漢数字の表記のところ、ここでは日付、人数などは洋数字としました。原文では強調は傍点ですが、ここでは下線にしました。以上お断りします。事務局)



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