小さな「足跡」が大きなうねりの「航跡」となることを願って/篠原美樹子

小さな「足跡」が大きなうねりの「航跡」となることを願って――山﨑博昭追悼モニュメントの建立に寄せて

篠原 美樹子(年金生活者)

●戦争の記念碑を前に思うこと

 慶應義塾大学三田キャンパス内に「還らざる学友の碑」というのがあります。ここには『アジア太平洋戦争における慶應義塾関係戦没者名簿』(白井 厚編 慶應義塾福澤研究センター発行)が納められています。この名簿には、計2226人の戦没者名が記されているのです。
 碑文曰く「還らざる友よ 君の志は われらが胸に生き 君の足音は われらが学び舎に 響き続けている」……
 まさにかつて雨の中、神宮球場を行進した学徒出陣のかの有名な映像を思い起こさせるような碑文なのです。
 実はこの本の形をした記念碑が建立された経緯にはかなりの紆余曲折があり、「記名碑」をという主張は反対論によって退けられ、現在の形となって建立されたのは1998年、名簿が収納されたのは2014年のことです。要するに完成まで、戦後70年近い月日を要したことになります。いわゆる学徒出陣世代の人たちが90歳前後になって、このままでは死にきれないという思いを背景に建立されたとも言えるようです。

 欧米を旅してそれぞれの有名大学などを訪れるとよく目にするのが、建物の壁に刻まれた戦没者名です。一人一人の名前が堂々と明記されています。ドイツではなかなか見られないとも聞いているので、やはり「戦勝国」と「敗戦国」の違いなのでしょうか。戦争において勝利に導いた戦士は英雄、敗けた側は犬死ということなのでしょうか。そもそも戦争に「勝った」、「敗けた」とはどういうことなのか……。「戦死」の重みに違いはあるのか……。

 戦争の記念碑などに接する度に、メモリアルということの難しさ、複雑さを思い知らされます。建立の直接の動機がセンチメンタリズムであったとしても、いざその前に佇むと、心に重くのしかかって来るものを感じざるを得ません。

●山﨑博昭さんの「死」の意味づけから見い出される道筋

 さて、山﨑博昭さんの追悼モニュメントを建立しようという動き、プロジェクトの存在を知って、最初に思い浮かべたのはかつて母校として通った大学に最近出来たモニュメントでした。片や「反戦」を叫び、もう一方は「帝国主義的侵略戦争」の「加害者」であるとは言え、敗戦の色濃い時期に特攻隊などで無理矢理死地に赴かざるを得なかった先輩たちの碑。同じ「戦争」というものへのスタンスでも、正反対の極に位置すると言っていいのか……。
 かつて「ベトナム反戦運動」の際に、自らの「加害者性」と向き合うことからしか始まらないのだとしきりに言われていたことが思い出されます。「日米安保体制」なるものが存在し、「米軍基地」があちこちにあって、実際に沖縄の米軍基地からB52がベトナムに向けて発進していたという厳然たる事実があった以上、私たちは無罪を主張できないのだと……。

 そうなると、「加害者」と「被害者」の関係、「勝者」と「敗者」の関係などは二項対立というよりはコインの裏表のようなものとも言えるでしょう。
 私たちは、「死者」に対してそれぞれの立場を超えてその「死」の重みを受け止め、哀悼の意を表してもいいのではないかと思っています。そこで終われば、センチメンタリズムでしょうが、さらに一歩踏み込んでそれぞれの「死」の「意味づけ」「位置づけ」をするなら、それによって見出される道筋がレガシーとなり「歴史認識」になるのでしょう。

 一昨年、アメリカ旅行に行った際、ハーバード大学を見学する機会があり、案内役をその大学に在学中の女子大生がつとめてくれました。外見は渋谷あたりで見かける日本の女子高校生とほとんど変わりがなかったのですが、大学の本部付近を通りかかったとき、その建物は1960年代の末に、ベトナム反戦運動をしていた学生たちによって一時的に占拠されたが、数日で警官隊により排除されてしまったのだという話を真剣な顔でしたことが、とても印象に残りました。「いちご白書」で有名になったコロンビア大学の件は知っていても、ハーバード大学でも同じようなことがあったというのは初耳でした。さらに、そのときつくづく思ったことは、日本で今、例えば東京大学のキャンパスを現在の東大生が外国人を案内したとして、安田講堂の前に差し掛かった際、ここでかつて学生たちが立てこもったことがあるとか、そういう話をするだろうかと……。東大闘争の内実は継承されているのだろうかとか、考え込んでしまいました。

 そこで山﨑さんのモニュメント建立の件にもどりますが、やはり「足跡」は残して欲しいと思うのです。「安保法制」や「憲法改正」の話題が多く聞かれる昨今だからこそ、一つ一つの「足跡」は小さくても、どんどん継承されて行けば、やがてそれらが大きなうねりとなって「航跡」となるのではないか、そういう願いを込めてモニュメント建立を支持したいと思います。
(しのはら・みきこ 2016年6月13日)



▲ページ先頭へ▲ページ先頭へ