賛同人・竹内芳郎さんを追悼します

半世紀前、山﨑博昭君の闘いとその死に真正面から向き合った哲学者

 10・8山﨑博昭プロジェクトの賛同人である竹内芳郎さん(哲学者、「討論塾」主宰)が11月19日、逝去された。享年92。竹内芳郎さんは私たちプロジェクトにとってゆかりの深い方である。そのご厚情、ご支援に感謝の念を深くし、ご逝去を心からお悔やみ申し上げます。

 同じ賛同人の鈴木道彦さん(フランス文学者)の著書『政治暴力と想像力』(1970年刊)という本には10・8羽田闘争に係る文章が数篇載っているが、そのうちで最も長いのは、山﨑博昭君の死因をめぐって朝日新聞などの商業新聞が新聞社としての独自の検証をまったくせずに、政府が捏造した「仲間の学生による轢殺説」をたれ流したことを鋭利かつ激しく追及した文章である。後にこれを読んだ私はいたく感動し、そのころちょうど開設準備をしていた当プロジェクトのウェブサイトにその全文をぜひ載せたいと考えて、古書があまりにも高価なので購入を断念し、国立市にある一橋大学の図書館から借り出し、その場でコピーを取り、それをPDF化した。それがいま当サイトにある文章である。(一橋大学は鈴木道彦さんが長く勤務されていた大学なので、この極めて貴重な本が2部保管されていた。)

 さっそく鈴木さんに掲載の許可をお願いして快諾をいただいた。ただし、この本『政治暴力と想像力』は鈴木さん単独の評論集だが、当該の文章は、哲学者の竹内芳郎さんとの共著である。そこで、竹内さんへの連絡方法を鈴木さんにお尋ねしたところ、耳がご不自由なので手紙がいいだろうという助言をいただいた。発起人の趣意書など当プロジェクトに係る書類一式に手紙と返信用ハガキを添えて投函した。手紙に記したのは、文章掲載の諾否、賛同人になっていただきたい、お名前を掲載する場合の肩書についての3点であった。以下にかかげるのは、間もなく私宅に届いた返信用ハガキの裏面に書かれていた文章の全文である。

 前略、お手紙拝見。半世紀も経ってなおこうした企てが存続して居ることに驚きかつ感動しました。掲載の件も、賛同人の件も、ともに快諾いたします。なお、少し先のことになりますが、ついでの折に郵便局に行って5万円ほど振込む予定で居ります。掲載の際の肩書きは、「討論塾主宰」として置いて下さい。  竹内芳郎(2014年10月の消印)

 ここに書かれている「半世紀たってもなお~」という文面には、半世紀前に竹内さんが10・8羽田闘争の問題に真剣に取り組まれた体験への思いが込められているのではないだろうか。『政治暴力と想像力』所収の文章にあるように、竹内さんは、山﨑博昭君を含む当時の学生たちの闘いに真正面から向き合い、警察とマスコミが結託した「暴力学生」キャンペーンを論駁してやまなかった。
 その竹内芳郎さんがお亡くなりになったことを、つい先日、上記討論塾 に関わっていたと思われる方からEメールで教えられた。(故人のご意向からであろうか、ご遺族は死亡の事実を新聞社などには一切知らせなかったようであり、私たちは報道などによってこれを知ることができなかった。)以下に掲げるのは、竹内さんの逝去を知らせてくださったメールの全文である。
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竹内 芳郎氏(たけうち・よしろう=哲学者、元国学院大教授)
11月19日、神奈川県秦野市で死去、92歳。岐阜県出身。23日に近親者でお別れの会が行われた。国学院大を退職後、私塾「討論塾」主宰。著書に『サルトル哲学序説』『国家と文明』など。他にサルトルやメルロ=ポンティの訳業がある。23日に近親者でお別れの会が行われた。国学院大を退職後、私塾「討論塾」主宰。著書に『サルトル哲学序説』『国家と文明』など。他にサルトルやメルロ=ポンティの訳業がある。
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 遅ればせながら、ここに竹内芳郎さんを追悼いたします。
                           (文責 事務局・大橋圭一郎)



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