反戦の炎を絶やすことなく――「ベトナム反戦闘争とその時代」展は、過去から現在・未来へとつなげた

反戦の炎を絶やすことなく――「ベトナム反戦闘争とその時代」展は、過去から現在・未来へとつなげた

「10・8山﨑博昭プロジェクト」では、6月7日(火)から12日(日)まで、台東区谷中のギャラリーTEN(テン)で「ベトナム反戦闘争とその時代―10・8山﨑博昭追悼」展を開催しました。
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 この展示会の企画趣旨は次の通りです。

◎山本義隆監修「ベトナム反戦闘争とその時代─10・8山﨑博昭追悼」展◎
御来場の皆様へ
 世界最強の軍事大国アメリカにたいして貧しいアジアの民衆が一歩もひかずに戦って勝利したベトナム戦争は、20世紀後半の世界史的な出来事でした。
その合衆国のベトナム侵略と、日本政府の戦争加担にたいして、わが国内においても、ベ平連・反戦青年委員会・全学連の市民・労働者・学生だけではなく、北富士や砂川や三里塚の農民、沖縄全軍労の労働者、そしてサラリーマンから高校生や家庭の主婦にいたるまでの広範な人々により、多様で重層的な戦いが展開されました。人々は、ときに体を張って、ときに非合法の活動をも辞さず、誠実にそして果敢に闘いました。
 その運動は、米兵の脱走支援から、さらには軍隊内部での叛乱を呼び掛ける運動にまで発展し、最強の戦争機械・米軍の内部からの崩壊を加速させていったのです。この十年余の闘いは、日本の民衆が自分たち自身の力で世界史の動向に手をかけた初めての経験であり、その記憶は、日本の民衆の記憶として残されるべきものと考えられます。
 本展示会は、写真・ビラ・ポスターなどを通じてあの時代の記憶を呼び戻し、今と今後の日本を考える一助にしようとするものです。ごゆっくりご覧ください。見ていただいた人それぞれに、なにか心に触れるものがあれば、なにか発見があれば、私たちは嬉しく思います。

謝 辞
 本展示会開催にあたって、写真を提供してくださった北井一夫・山城博明の両氏、資料を提供・貸与しさらに個別の闘争について教示してくださった梅林宏道・黒川伊織・島田清作・高橋武智・星紀市・山口幸夫・和田春樹の各氏(あいうえお順)、そして資料を閲覧・複写させていただいた立教大学共生社会研究センターの平野泉氏および大阪産業労働資料室の谷合佳代子氏に、この場を借りて御礼申し上げます。
                    10・8山﨑博昭プロジェクト+60年代研究会

*展示内容*
 砂川基地拡張反対闘争の記録写真と資料/
 ベ平連とジャテックの活動記録/沖縄全軍労の闘争
 日本各地の米軍基地内での反戦地下新聞・機関誌/自衛隊内部の反戦運動
 各地の市民運動の記録/高校生の反戦運動/在日べトナム留学生の闘争
 第一次羽田闘争(1967年10月8日)の連続記録写真(撮影・北井一夫)/
 王子野戦病院反対闘争・佐世保闘争・三里塚闘争の記録写真と資料/
 ポスター(粟津潔 他)、関連書籍、雑誌、新聞、写真集etc.

 展示の様子です。何枚かの写真を掲載します。

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●「60年代研究会」が立ち上げられた

 展示会の初日、6月7日(火)は夕方からオープニングパーティーを開催し、約50人の方が参加しました。
 以下、このオープニング・パーティーでの発起人の発言を掲載します。

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司会:佐々木幹郎(発起人)
「「ベトナム反戦闘争とその時代」展のオープニングパーティーをこれから開きたいと思います。お集まり下さいましてありがとうございました。私はプロジェクトの発起人の一人の佐々木幹郎と申します。今回の展示会のために、今年の1月から5月いっぱいまで、一人で毎日コツコツとパネル貼りをやり続けた人をご紹介します。山本義隆さんです。」

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挨拶:山本義隆(発起人)
「簡単に何でこういうことになったかということを申し上げますと、山﨑プロジェクトについてはすでにご存じだと思いますけれども、49年前の10・8に山﨑君が殺された、それを検証しようということで、山﨑君の高校の同期生の佐々木君とか辻惠君とか、それからお兄さんとか、僕も山﨑君と同じ高校で、一緒にやろうということです。
 その山﨑プロジェクトの目的は三つほどありますが、去年の夏に発起人の佐々木君と辻君がホーチミン市に行って、ベトナム戦争証跡博物館に、せめて山﨑君の遺影だけでも飾ってくれないかと言いに行ったら、そこの女性館長が話を聞いて、日本でそんな闘争があったのなら、ここでいっそのこと日本の60年代から75年までのベトナム反戦運動を総括する展示会をやりませんかと提案された。そこで山﨑プロジェクトとしては、実力以上のことを引き受けてきたわけです(笑)。
 その話が日本に持ち帰られたとき、僕らは本心「えらいことになった」と思いました。正直言って、そういう展示企画は皆でやりましょうと言っても絶対にできないことです。誰か一人が専従者となって、キリキリにならなければできない。それでしょうがない、他に顔ぶれを見ても、皆さん立派な仕事をされているから(笑)、僕は予備校の講師みたいないいかげんなことやっていますから、「じゃあ俺やるわ」ということになって始めたのです。いろんな人に会いに行って、それから駿台予備学校の日本史の講師諸君にも協力してもらって「60年代研究会」という形で山﨑プロジェクトと一緒にやることになったわけです。そんなんでやってきました。
 その実際のことは協力してくれた福井紳一君がいろいろと言ってくれると思います。』

司会:佐々木幹郎
「山本さんがさまざまな市民運動を担った中心人物にまず手紙を出して、その方たちとお会いできる日程を決め、当時のお話を聞かせていただく「60年代研究会」が発足しました。山本さんからの要請だと、どなたも断られません。また、たくさんの資料や写真も提供していただけました。この研究会にはわたしも毎回参加しましたが、当事者のお話を録音し、テープ起こしをするという地道な作業を駿台予備学校の日本史の講師の方々がやってくださいました。山本さんの協力者として中心的に動いてくださった福井紳一さんをご紹介します。」

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挨拶:福井紳一(60年代研究会)
「福井です。2015年10月の東京での山﨑プロジェクトの講演会の時に、山本先生から「ちょっと話がある」と言って会場の脇のソファーに呼ばれて、「実は、ベトナムで今度、展示会を引き受けてきた」という話になりまして、そして「結局考えてみると、やっぱりできるのは俺だけかな、と思う。俺は腹を括ったから手伝ってくれ」というような話で、これはもう絶対やりましょうという形でした。
 そんな大きな博物館で、そこで一体何ができるのだろうか全然わからない状態だったんですけれども、まずは日本の中でできることから始めましょうという形で、どうなるかなと思いながら、でも本当に相模原、立川の砂川闘争、それからジャテックの高橋さんのディープな活動……いろんな話をもう一度、直接お聴きしますと、かなり大事なことが出て来た。深いいろいろなエピソードを聞くこともできて、大変参考になりました。そういったものが多くの方たちと少しでも共有できるかなという形できました。今日まで何とかなったので大変よかったと思います。
 この全部のパネルなんですが、実は、いつかこれを作らなければいけないな、その作業はどうかなと考えていたら、山本先生から電話があって「もう全部作った」と。全部お一人で作ったのです。(拍手) これはちょっと信じられないような作業なんです。そんなことで、今日は若い世代があまり来ていませんが、展示会期間中にはそのうち来ると思いますので、伝わってくれればいいかなと思っています。
 どうもありがとうございました。」

●反戦米兵と連携した貴重な活動があった

山本義隆(発起人)
「一つだけ付け加えたいんですけれども、一つ抜けていたのは、反戦米兵の運動です。「大泉市民の集い」の朝霞基地闘争の和田春樹さんから話を聞かせていただいて、非常に勉強になりました。
 僕はこれをやって正直知らなかったことが多かったのです。あの頃のことは全部知っていると思っていたけれども、特に一番感激したのは、ベ平連が脱走兵支援運動をやったことは皆知っているが、そのあと、脱走兵を全部軍に戻して軍の中で反戦活動をやらすという方針に変わったんです。その成果がこういうもの(反戦米兵の地下新聞など)なんですけれども、それをベ平連より先にやっていたのが「大泉市民の集い」の運動なんです。大泉市民の運動は、ビラをまいて米兵が来て、その米兵に話をして中でビラをまかせるという、そういうことをやった。
 6月11日の土曜日に和田春樹さんの講演がありますので、ここに来られている皆さんはぜひとも聞きにきてください。」

●10・8羽田弁天橋の闘いの連続写真を初公開

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乾杯:山﨑建夫(発起人)
「ここに来て、僕は北井一夫さんの写真に目が引き付けられました。小さいから、あとで大きくしてじっくり見たい、当日の弁天橋の様子をずっと追っかけたいな、というのが僕の一番の関心事なんです。
 だけど山本さんはすごい人ですね。今日も『叛逆の記録 60→70 安保・沖縄・大学』という写真集を持ってきてくれた人がいて、見ていたら全国全共闘の写真が載っていて、ここに彼がいたんだと思って、いや、いなかったんですか(笑)。その場にいなくても、そういう立場の人がコツコツとパネル作ってくださっている。レベルが違うなと思います。そういう人が今、僕らのプロジェクトを引っ張ってくれています。この人がいなかったら、このプロジェクトもこんな風に動いてこなかっただろうなと思います。」

司会:佐々木幹郎(発起人)
「いま、話に出た北井一夫さんをご紹介します。今回の展示会のメインは、北井さんが撮影された10・8羽田闘争の連続写真です。これまで長く未発表のままで、今回が初公開です。誰も弁天橋の全貌を見ていない。この連続写真を見ると、時間経過にしたがって弁天橋上の空気がどのように動いていったかがわかります。」

北井一夫(写真家)
「佐々木さんと話をしていて、ベタ焼きをそのまま拡大して展示しようということになりました。こういう発表形式は初めてです。穴守橋の写真もちょこっとあります。」

司会:佐々木幹郎(発起人)
「北井さんが連続写真のベタ焼きをずっと保存しておいてくださったので、一番大きな壁面を占めることができました。どうもありがとうございました(拍手)。」

山﨑建夫(発起人)
「この展示会、そして11日の講演会、そのあと、秋にも京都で同じような展示会がありますので、関西にお知り合いの方がおられたら、紹介してくださって成功させたいと思っております。あと1年少しですけれども、50周年に向けてがんばっていきたいと思っておりますので、みなさんの協力よろしくお願いします。
それを祈って乾杯!」

 ギャラリー内は参加者でぎっしり。
 パーティー参加者から以下のような発言もありました。
「2年前の集会の時にお聞きして、ビックリして、それまで全くこの事件のことを知りませんで、山﨑博昭さんのお兄様の話で初めて知りました。私は家に帰ってからその時渡されたパンフを読んで、これは賛同人になりたいと思って、すぐに連絡して1万円払って賛同人にならしていただきました。
 だから、どういう方たちがいらっしゃるのかも何もわからずに、ただただ、博昭さんという方がなさった、また皆さま方がその時に闘われたことを初めて知って参加しました。今日はここに来れてとても嬉しいんですけれども、皆さんが現在どういう立場でいらして、どういう関わりなのか、知り合い同士にも見えるし、私は知り合いが誰もいないので、何かお話しを聞かせていただけるとありがたいです。」

▼北井一夫さんが自分の写真の前で記念撮影。パチリ。
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●「自分たちの体験を若い世代になぜ伝えてこなかったのか」

 オープニングパーティーは午後5時から始まり午後7時に終了しました。その後、近くの居酒屋での二次会に移りました。参加者は約30人です。
 二次会では参加者一人ひとりから発言していただきました。その発言の中で、よく声が通るので内容が分かった福島泰樹氏の発言を載せます。

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福島泰樹(発起人)
「早大学費学館闘争が私の体験であり、そして出発点でありました。この2月、66年早大学費学館闘争から数えて50年。それから闘争を通して明治大学など全国に広がっていきました。そして10・8があったわけであります。
 いろんな思いがありまして、この2月に早大学費学館闘争50周年記念コンサートを開催いたしました。全共闘の学生諸君が伝えようとしなかったから今日の事態を招いてしまった。自分たちの体験をなぜ伝えてこなかったか、そのことが残念でならない。少なくとも伝えていればこんな時代を迎えることはなかった。僕は今でも岸上大作、樺美智子を伝え続けております。せめて伝達する、それだけが僕の思いであります。
 こうして老いたる兵士たちが再び参集し、再び改革の動きを振り絞って頑張っていくしかないのではないと思っています。ありがとうございました。」(異議なしの声)

●50周年まであと1年、山﨑博昭とベトナム反戦の歴史を印すために

 参加者からの発言が終わって、二次会の司会者から挨拶があった。

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二次会司会:辻 恵(発起人)
「皆様方から、いろんな思いを語っていただきました。
 10・8山﨑博昭プロジェクトというのは、2014年の3月に、お兄様の建夫さんの呼びかけで有志が弁天橋を見に行って、やっぱり50周年を前に何かやろうということで、高校や大学の同期生を中心に、それだけではなくて何人かで企画を始めて2014年の7月1日に正式に発足しました。発足時の「趣意書」は佐々木幹郎が書いたわけですけれども、それ以降、今日まで2年間、いろいろ活動を広げることができました。
 現在、発起人は18人ということでありますけれども、賛同していただいている方は500人近くになってきました。寄付とかカンパも800万円にはなっているというような状況で、じわじわと広がっているところです。

 私たちの目的は、来年2017年の10月までに山﨑博昭と10・8羽田闘争を記念するモニュメントを建立したいということと、当時のいろんな闘いがありましたし、この50年間の思いを記念誌としてきちっと発行したいということと、ベトナム戦争反対ということで闘ったわけですから、今のベトナム政府はどうかという評価はあるにせよ、ベトナムの人々との連帯を記念したいということです。建立の日には日本のベトナム大使あるいはその代理がご出席いただけるという確認を得ていますし、ベトナム日本友好協会の会長からは連帯のメッセージをいただいているし、来年の1月から3月にホーチミン市のベトナム戦争証跡博物館で私たちプロジェクトが主催する、60年代から70年代のベトナム反戦の展示会を開催してもらえるということになっています。それらを通して、本当にあと1年、みんなで力を合わせて、後世に伝えられる何かを残せるような形にしたいと思っています。ぜひともご協力をいただきたいと思います。

 先走って言えば、2017年にモニュメントが出来たらその後どうなるのかという話にもなりますから、その意味では継続的にこの問題をいろんな形で世界に、日本の次の世代に伝えていくような発信が必要な、そういうプロジェクトとして、この10・8プロジェクトは存続していく必要があるだろうと思っています。けれども、まずはあと1年間、みなさんのご協力を得て、賛同人を増やす、いろいろな人の関心を増やす、そうして具体的なイベントをきちっとやり遂げるということを実現していきたいと思っています。
 そういう意味でこれから皆さま方にさまざまなお願いとか、もっと広めるためのご協力のお願いとか考えていきたいと思っていますので、どうぞご協力お願いしたいと思います。次のイベントとしては、東京では2016年10月8日(土)の午後に弁天橋に献花をして、夕方、中山千夏さんと高橋武智さんの講演を四谷の主婦会館(プラザエフ)で午後6時過ぎから開催するということになっています。それに向けて、皆さんいろんな方々をお誘いいただきたいと思います。
 関西では10月19日(水)から10月24日(月)まで京都精華大学で展示会をやり、その期間中の10月21日(金)に同大で山本義隆氏の講演会を予定しています。さらに11月26日(土)に大阪のTOGビルで上野千鶴子さんに来ていただいて、関西の山﨑プロジェクトの講演会をやるということになっています。本当に皆さんいろいろ伝えていただいて盛り上げていただきたい。
 そして来年の1月から3月、ベトナムのホーチミン市の戦争証跡博物館で展示会をやります。恐らく最初にベトナム側の館長の招きでセレモニーを開くことになるのではないでしょうか。2002年にベ平連の小田実さんたち50人くらいが戦争証跡博物館に行って、ベ平連のいろんな資料を展示しましたが、それを受け入れるセレモニーをやっているんですね。だから、それにならって、来年、山﨑プロジェクトのセレモニーをやって展示をさせていただくことをめざしていきたいと思っています。お金も必要ですし、いろんなことが必要ですから、またお願いすることになりますので、よろしくお願いしたいと思います。ベトナム展示会訪問ツアーを組むということも考えています。それはまたご提案をさせていただきます。」

 挨拶の後、辻氏の先導により「ワルシャワ労働歌」と「インターナショナル」を斉唱しました。
 歌の後、福島泰樹氏がシュプレヒコールを絶叫!
「シュプレヒコール! 山﨑プロジェクトに集まったわれわれは闘うぞ! 最後まで戦うぞ!」

 シメの挨拶は山本義隆氏です。
「福島泰樹が言ったように、われわれはちゃんと若い世代に伝えなかったというのは痛恨の極みです。本当にそう思います。あと何年生きられるか、新聞を見たら(亡くなった)カシアス・クレイが私と同じ歳だった。平均年齢で言えばあと10年くらい生きられるはずだから、そんなに偉そうなことは言っても、たいしたことはできんと思うけれども、少なくとも若い世代の人に、それなりのことはやってきたし、そういった意味で僕は胸を張っていいと思うんです。60年代をもう1回考え直して、それなりのことをやったこともあると、胸を張っていいと思うんです。
 それで、できるだけのことは伝えていきたいと思いますから、あと何年かは頑張って生きます。今日は本当にありがとうございました。」

 6月7日のオープニングパーティーの様子は以上です。

●展示資料や反戦闘争の映像に見入る参加者

 展示期間中のギャラリーの様子などお知らせします。
 ギャラリー内では、毎日、夕方から記録映画を上映することになっていましたが、オープンしている間は常に上映することにしました。映像を流すことにより、 会場の雰囲気が「ベトナム反戦闘争の時代」になっていくような効果がありました。
 上映した作品は、反戦米兵のドキュメント映像『脱走兵キャル』、『怒りをうたえ』、『現認報告書』、『砂川の熱い日々』、ベ平連ジャテックの記録『Do Not Kill』、『Hearts & Minds ベトナム戦争の真実』、折原浩撮影のベトナム訪問記録、『よみがえる科学者―水戸巌と3・11』などです。

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▲ギャラリー内は来場者が途切れることなく、展示資料をじっくり眺める人や、テーブルに座って当時の雑誌や新聞記事を見る人、アンケートを書く人などでいっぱいになることもありました。展示資料を見てすぐに出て行く人は少なく、皆さん丁寧に展示を見て、なかには展示品を写真撮影する人、熱心にメモをとる若い人たちもたくさんおられました。

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▲ギャラリー内では上映される映像に見入る人が多く、特に『怒りをうたえ』上映の時は、来場者が全員スクリーンを見ているので、ちょっと中に入りづらいような雰囲気になりました。
▲ギャラリーの外でも、発起人やスタッフと話しをする人の姿が見られました。

▼6月12日(日)の最終日、撤去作業終了後、今回の展示に全面的に協力していただいた「60年代研究会」のメンバーと山本義隆氏がギャラリー前で記念撮影。皆さんホッとした表情です。
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 展示期間中(6月7日~12日)の延べ来場者数は554人(記帳者のみ)でした。これは記帳者の数なので、実際には600人近い方が来場したと思われます。
 今回の展示会は、事前に朝日新聞や東京新聞に記事が掲載されたこともあり、来場者が予想以上に多く、アンケートを見ても、新聞を見て来ていただいた方が4割もあり、改めてマスメディアの力を実感しました。
 来場者の内訳をみると、年配者だけでなく若者も非常に多かったことが特徴的です。これは「60年代研究会」のメンバーである駿台予備学校の講師の方々が、学生に積極的に働きかけていただいた結果でもあるでしょう。感謝‼
 また、外国人の方も少数でしたが来場されました。その中にはベトナム人留学生もいました。あるベトナム人留学生は、初日に来て、最終日にも友人を連れて来てくれました。
 下町散歩コースに参加されていた方々が、看板を見て集団で立ち寄ったり、ギャラリーの近所に住む、谷中や根津の方々も来てくださいました。
 発起人やスタッフは来場者と懇談する機会が多くありました。韓国の学生運動を研究している女性は「夥しい政治的死を通して民主化をかちとった韓国との違いは何か」という関心を持って来場したとのこと。地元で小さなデモをやっているという女性は、「大泉市民の集い」の活動に非常に興味を持ったとのこと。また、たまたま立ち寄った近所の学生は「最近の若者はみんなシールズみたいな考えだと思われているが、そうではない。反戦に対する思いを言葉、行動で形にするのは重要なこと。山﨑さんの意志を少しでも継承できたら」と話していました。
 この展示会がいろいろな方の思いが集まり、共有する場になったのではないかと思います。

 東京での展示会は終わりましたが、今秋10月19日(水)から10月24日(月)まで、京都精華大学のギャラリーフロールで関西での展示会を行う予定です。会場が倍くらいの広さがあるので、東京展示会より更に拡充した内容になると思います。ご期待ください。
 また、10月21日(金)には、同大で山本義隆氏の講演会も予定しています。
 関西在住の方には、この機会にぜひとも会場に足を運んでいただきたいと思います。
(文責・事務局)



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