4月、5月の月命日に追悼の集い

◆4月、山﨑博昭君追悼の集いに12人


 
 

 去る4月8日(日)の山﨑博昭君月命日には12人が集まりました。
 発起人の佐々木幹郎さん、同じく発起人で大阪から駆けつけた水戸喜世子さん、嶋田美子さん(美術作家、今秋10月7日のイベントの講師)、三橋俊明さん(『日大闘争の記録』編集人、6月2日のイベントのシンポジスト)、さらに広島から上京された揚田崇徳さん(CD『輓歌』作者)が参加されました。
さらに大田区在住の賛同人、当時予備校生だった賛同人、水戸さんの友人の賛同人などが参加されました。
 『三里塚のイカロス』の映画監督・代島治彦さんが、記録映画の制作のためカメラをもって参加されました。

 一人一人献花し、山﨑君への思いを込めて黙祷しました。
 佐々木さんから集まった人たちに短いスピーチがありました。
 当日はとても晴天で、明るい陽光のもと、十数人の人々に見守られ、山﨑君のモニュメントがひときわ存在感を示しているようでした。

 その後、萩中公園の東の端にある萩中集会所の方に移動し、地下の食堂でランチを摂りました。
 吹き抜けのスペースに席をとり、しばし歓談しました。一人ずつ自己紹介を兼ねて、感想を言い合いました。

 水戸さんは「月命日に福泉寺に来ると山﨑君に会える。皆さんとも会える。それが嬉しい」と語り、「ここのご住職(女性)は私と同じ歳。ご住職が何かと理解してくれて、ここにモニュメントができたことで歴史を刻むことができた」と話されました。
 代島さんは、映画『三里塚のイカロス』の冒頭および後半で北井一夫氏撮影の10・8と11・12の羽田闘争の写真を使ったことの意味を述べました。三里塚支援の学生たちの存在を記録に残すことができ、次の時代に繋がるものとして評価されたと語りました。皆で、同映画が毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞を受けたことを讃えました。
 大田区在住の方は、10・8羽田闘争に参加していたことを話しました。賛同人一覧を見ると、自分の関係している学会から4人が賛同していることを紹介し、このプロジェクトの運動を50周年を過ぎても引き続き広げていきたいと語られました。
 嶋田さんはご自身の美学のご活動について報告され、昨年の10月8日にウィリアム・マロッティーさん(米カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授、文化史・歴史学)と一緒に参加されたこと、文化・芸術の面からも10・8羽田闘争に光を当てることの意味を語られました。
 当時予備校生だった方は、パチンコ屋のラジオで10・8羽田闘争の報道を聴いたこと、大きな衝撃を受けたこと、それがその後の自分の人生を決めたことなどを語りました。そして「10・8羽田闘争と山﨑君の死は昭和の時代における大きなエポックメーキングな闘いだった」と言われました。
 水戸さんの友人で福島の子ども被曝の問題にかかわっている方は、10・8羽田闘争で受けた衝撃の大きさについて述べ、その中で佐々木幹郎作「死者の鞭」に強い感銘を受けたと語りました。「この作者は必ず何かやるだろうと思っていたが、このプロジェクトが立ちあげられ、やはり『死者の鞭』は蘇ったと思った」と言われました。
揚田さんは、今年2018年は米騒動100周年であるとして、当時、大阪朝日新聞が苦しむ農民の姿、ロシア革命へのシベリア出兵、そして米騒動について、中国の故事を引いて「白虹日を貫けり」と書いたことで、寺内正毅内閣がそれを問題にし弾圧したことを想起すると語り、10・8羽田はまさに「白虹貫日」だった、今もそうしたことが求められていると言われました。
 佐々木さんは、米騒動の話が出たのを受けて、当時の大正時代についてとらえ返すことが重要だと語り、鷲田清一さんらとの共著『大正=歴史の踊り場とは何か――現代の起点を探る』(講談社選書メチエ、2018年5月刊)の中で「民衆と詩」について執筆したことを紹介されました。
三橋さんは、今年が日大全共闘結成から50周年であること、日大生・中村克己君が1970年2月25日、右翼の襲撃を受けて倒れた時、前年9・30闘争で逮捕されて小菅の独房にいて夜中に「右翼の襲撃で同志重体」の電報を受け取ったこと、その時の無念を語り(中村君は同年3月2日に逝去)、今も毎年2月25日前後に中村君の墓参りを欠かさずに続けていることを語られました。闘いで斃れた人々を記録に留めることの大事さを語り、山﨑君のモニュメントの意義を述べられました。

 いつものイベント集会とは違い、少人数で忌憚なく対話できました。
 いろいろな意味でよい集まりとなりました。

◆5月の冷たい日にも追悼の集い

 さらに5月8日(火)の月命日に集まったのは6人でした。
 急に底冷えがするような天候となり、「今日は寒いね」と言い合いながら、福泉寺本堂前に集合しました。降水率が高いという天気予報でしたが、幸い雨には降られませんでした。
 いつものように、モニュメントの前で一人ひとり手を合わせ、胸の中で51年前の出来事を思い出しました。
 墓誌の「反戦の碑」に刻まれた文字がやや読みにくい感じだったのは、天候のせいだったのでしょうか。

 萩中集会所の地下食堂で、歓談しました。
 参加者のお一人は、当時大学の2年生。羽田闘争に参加していないが、闘争の中で山﨑博昭君が死亡したとの報道に大きなショックを受けたことを語られました。「あの日以来、山﨑君のことをずっと心のよりどころにしてきた。あの出来事で私は変わった。今もその気持ちで生きています」と言われました。
 また当時予備校生だった方は、その後、11・12佐藤訪米阻止闘争に参加し、学生運動に加わったことを話されました。
 代島治彦監督作品『三里塚のイカロス』を見た感想や、ちょうど岩波ホールで上映が始まった『マルクス・エンゲルス』の話が出て、10・8羽田闘争が今に繋がっていることをお互いに確認し合いました。
 近く開かれる6月2日(土)のイベント「1960年代の反戦闘争を考える――記念誌第1巻をめぐって徹底討論」(13~17時、全水道会館5階中会議室)の準備について、事務局から提案し、成功させるためにどうするかなど、いろいろと話し合いました。

◆6月8日にもお集まりください

 次回は6月8日(金)です。昨年6月の建碑式から1年目となります。
 ・午前11時30分、福泉寺本堂前に集合。
 ・花を供え、お線香をあげます。
 (お花は事務局が準備します。お線香はお寺に備えられています。)
 ・服装は普段着で結構です。
 ・その後、萩中集会所(萩中公園の東端)に移動し、昼食を食べながら、歓談します。

 福泉寺の住所、アクセスは次の通りです。
 大田区萩中3―27-10 電話:03-3742-2048
 ◎京急空港線・大鳥居駅下車、徒歩15分
 ◎JR蒲田駅東口から京急バス➂番乗り場(萩中経由羽田空港行き)、萩中公園前で下車、徒歩1分

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 よろしくお願いいたします。

10・8山﨑博昭プロジェクト事務局



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