6月2日(土)東京シンポジウム、全水道会館にご来場下さい

  
6月2日
(土)「シンポジウムと徹底討論:死者への追悼と社会変革――『かつて10・8羽田闘争があった(寄稿篇)』をめぐって」(東京・全水道会館)が近づいてきました。
◎6月2日(土)14:00~17:00
◎全水道会館(JR水道橋駅徒歩5分)
アクセス:http://www.mizujoho.com/zensuido/access/tabid/82/Default.aspx
◎参加費 1500円
多くの皆様のご来場をお待ちしております。

シンポジストの三橋俊明さん(日大全共闘、『全共闘、1968年の愉快な叛乱」著者)と、真鍋祐子さん(東京大学教授、『光州事件で読む現代韓国』著者)から刺激的な問題提起があります。
皆様の参加をえて、1967年10・8羽田闘争と1968年日大闘争・全共闘運動、そして1980年光州民主化闘争をつなぐ議論になれば幸いです。

三橋俊明さん
「日大闘争は、一九六七年一〇月八日のような社会的課題に組織方針を決定して計画を実行する政治活動として取り組まれた出来事ではなかった。日大闘争と「一〇・八」とは、取り組みをはじめた主人公や原因や背景や考え方に、そもそもの違いがあった。「一〇・八」がどんな目的で闘われたのかを知るにつれ、日大闘争との違いが分かっていった。全学連の学生運動と日大全共闘による日大闘争とでは、イデオロギーや組織論や社会改革などへの係わり方や考え方に違いがあった。だが同時に、「一〇・八」が何だったのかを知るにつれ、見えてきたものもあった。」(50周年記念誌寄稿文「全共闘は「一〇・八」から生まれたのか?」から)

真鍋祐子さん
「民主化運動の苛烈な犠牲の上に軍事政権を倒し、民主主義社会をつかみ取った韓国において、死者を「烈士」として蘇らせ、さらなる運動の資源としてきたその死生観とはどのようなものか。そして、死によって社会が突き動かされるメカニズムとはどのようなものか。/いま、羽田闘争の記憶を継承し、山﨑博昭さんの死の意味を正しく理解し、生者たちの記憶に刻むことは、「死者を大切にする」ことの第一歩であり、それは現在の日本政治に「否」を突きつけ、「生者を大切にする」国へと正すことにもなるのだと、私は思う。死者との「連累(れんるい」の感覚に立つことは、オルタナティブな歴史意識をもつということでもある。」(50周年記念誌寄稿文「朝鮮研究者から見た山﨑博昭さんの死の意味」から)

 

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