日大全共闘結成50周年の集いに参加して

アメフト部問題で田中理事長以下全理事の退陣を求める

 
➀小雨の中、錦華公園に集合       ➁笑顔のヘルメット部隊

 6月10日(日)、朝から雨がそぼ降る中、午後1時前から、JR御茶ノ水駅近くの錦華公園には、色とりどりのヘルメットを被った日本大学全学共闘会議の面々が集まっていました。
マスコミも注目する中で、集会は開かれましたが、集会をとりまくカメラマンがじつに多く、まるで記念撮影会の雰囲気です。
 司会の三橋俊明さんが「そうです。これは撮影会です。集会ではありません。集会届を出していませんから」と語り、爆笑が起こりました。日大全共闘らしい明るいユーモアたっぷりのオープニングでした。
 日大アメフト部問題について、50年前とまったく変わっていない日本大学当局の実態への怒りが表明されました。そして50周年の集会では参加者の名で決議をあげることが提案されました。


➂集会場まで「200mデモ」を再現

 小雨の中、集会場のYMCAまで移動しました。
 参加者は、1968年5月24日、日大闘争の始まりとなった、錦華公園から出発した「栄光の200mデモ」の「再現」と意味づけ、感慨深いものだったようです。

 
➃冒頭の挨拶              ➄当プロジェクトの辻さんも挨拶

 
➅故中村克己氏の闘いを紹介       ➆芸術学部闘争委員会が発言


➇色とりどりのヘルメット

 午後2時からYMCAアジア青少年センター9階ホールで、いよいよ「日大全共闘結成50周年の集い」が始まりました。
 最初に矢崎薫さん(日大全共闘副議長)の挨拶がありました。続いて、他の全共闘からとして、明治大学、芝浦工業大学、中央大学、早稲田大学の挨拶がありました。そして救援連絡センターの山中幸男さんが挨拶しました。
 その後、乾杯、歓談に入りました。
 さまざまな人たちの発言がありました。雇止めにあった日大非常勤講師、日大の現役学生たち、そして当プロジェクト事務局長の辻恵さんが発言しました。
 辻さんは、プロジェクトがめざした三つの目標を達成したこと、6月2日には近くの全水道会館で、韓国の民衆運動の研究家・真鍋祐子さんと、日大全共闘の三橋俊明さんをパネリストにして東京シンポジウムを開いたこと、8月にはベトナムのカントー市で「日本のベトナム反戦闘争とその時代展」を開くための準備をしていること、10月7日には講演会「アメリカから見た10・8羽田闘争」をもつこと、さらに来年にはサンフランシスコ、韓国、沖縄、さらには大阪大学などで展示会を開く予定であることなどを紹介しました。
 さらに、日大の現役の教員が発言し、そこでも日大アメフト部問題が関心の的となりました。
 最後は、日大芸術学部闘争委員会が前に出て、旗とともに勢ぞろいし、アジテーションしました。シュプレヒコールをやり、インターナショナルを皆で合唱し、午後5時少し前に終了しました。

 この日の50周年記念集会で、もっとも重要なことは、日大全共闘OB連名で出された「声明」でしょう(註:署名者は6月10日現在のもの。日大全共闘以外の人も含めて、その後増えているそうです)。
「声明」では、日大アメフト部問題は、50年前の全共闘運動の時代を彷彿とさせられることが記されています。かつて日大内で闘う学生たちに対して、大学側と呼応して暴力的に弾圧した体育会の一員に、相撲部の田中栄寿がいました。それが現在の田中理事長なのです。大変驚くべきことです。
 その時代から現在まで、学内の暴力支配は続いているということでした。
「声明」は、日大の本質はあの頃とまったく変わっていない、田中理事長以下全理事の退陣を求める、と謳うものでした。

 この集いには現役の日大生が参加し、発言しました。全共闘OB・OGたちが彼らを温かく包み、励ましている情景がありました。学生たちの大きな動きがまだ生みだされていない中で、どのように支援していくのか、そのことを考えよう、という発言もありました。
 50年の時を越えて、「全共闘」が求められていることが実感された一日でした。

註:写真➀、➂~➇はfacebook「日大全共闘は不滅です!」から転載、➁は10・8山﨑博昭プロジェクト事務局撮影。
                        10・8山﨑博昭プロジェクト 事務局



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