10月26日、マーク・ラッド氏(元米学生運動リーダー)が語る――2019年秋の関西集会

50年前、スチューデントパワーは世界をおおい、ベトナム戦争を終結させた。戦争の危機が深まる今こそ、共に語らい、戦争反対の闘いをつくりあげよう!

10・8山﨑博昭プロジェクト 2019年秋の関西集会
2019.10.26(土) in エルおおさか

1960年代から70年代の
米国学生運動活動家リーダー、
マーク・ラッド氏が語る!

◎講演:マーク・ラッド(社会運動家)
◎通訳:嶋田美子(アーティスト、60年代研究)
◎開場 13:30(開始14:00~17:00)
◎会場 エル・おおさか5F視聴覚室(大阪市中央区北浜東3-14)
◎アクセス 天満橋駅徒歩5分/地下鉄・京阪電車
http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html
◎参加費 1000円

◎映画「いちご白書」は,1968年に起きた米コロンビア大学での学園闘争をモチーフにした青春映画で,1970年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました.そのコロンビア大学学園闘争をSDS(民主社会学生同盟)コロンビア大学支部委員長として指揮したのがマーク・ラッドさんです.
この度,マーク・ラッドさんは,10・8山﨑博昭プロジェクトの招きに応じて来日され,10月に大阪で講演をされます.ふるってご参加ください.


映画「いちご白書」
https://www.youtube.com/watch?v=O5uNXK8icFQ&feature=youtu.be&fbclid=IwAR2QecmWnIrEf5D204gJKbY0qBvRY1GFISo5aAeY9IhWWyhsy6T0y1bpfSw

【マーク・ラッド氏のプロファイル】

https://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Rudd?fbclid=IwAR2M82_JgcxHvtPLEifxZcst7XCBuuGC5Y3s__eZeNUXYT_SOv-MO3QdqTU
マーク・ウイリアム・ラッド(1947年6月2日生まれ)は、政治オーガナイザー、数学教師、反戦活動家およびカウンターカルチャーの象徴であり、1960年代後半のSDSとコロンビア大学ストライキ闘争や1970年代前半の極左暴力主義組織ウェザーマン・アンダーグラウンドとの関りで有名。
マーク・ラッドは、1963年に米国民主社会学生同盟(SDS)コロンビア大学支部に加盟、1968年には委員長に就任し、同年のコロンビア大学闘争で様々な問題、特にベトナム戦争に反対する反体制学生のスポークスマンとして活躍した。戦争の激化に伴い、マーク・ラッドは他の若い活動家リーダー達とともにSDSをさらに過激な路線へと導かんとしたが穏健多数派の反対に遭い、中国紅衛兵の影響を受けボブ・ディランの曲の歌詞からとって“ウェザーマン”を名乗り極左軍事主義的分派を創設した。1970年マーク・ラッドは、3人のウェザーマン・アンダーグラウンドの同志を亡くしたグリニッジビレッジタウンハウス事故爆破事件以後、当局からの目を逃れ地下に潜伏。7年間の逃亡生活を経て1977年に自首投降し、数年間獄中生活を送る。出所後ニューメキシコ州アルバカーキ市のコミュニティカレッジで数学教師を勤めるが、現在は同地にて引退。
2010年、マーク・ラッドは「アンダーグランド―私の人生とSDSとウェザーマン」という自叙伝を出版、その中で過去の闘争と自己人生を総括し、ウェザーアンダーグランドの路線と自己の役割を悔い改め、今では非暴力主義、民主主義選挙による変革を提唱しコミュニティ活動に献身している。

【コロンビア大学闘争】

(NYの独立放送局Democracy Now!の動画解説より。)
ジェームズ・クネン原作の映画『いちご白書』にも描かれ、一連の学園紛争の中でもとみに有名なコロンビア大学の学生スト。1968年4月末、ニューヨーク市のモーニングサイドハイツにあるコロンビア大学のキャンパスで数百人の学生がストライキを起こしました。学生たちはロウ図書館棟にある大学本部など5棟の校舎を占拠し、バリケードを築いて数日間にわたって篭城しました。ストライキの理由は、コロンビア大学が国防総省と共同で軍事研究を行っていることへの反発と、隣接するハーレム地区の公園を、大学がニューヨーク市から買い取って体育館を建設する計画を、当事者である住民の頭越しに進めていることへの抗議でした。ベトナム戦争への反対に加えて、ハーレムの地域社会の抗議運動と結びついたのが コロンビア大学の紛争の特徴でしたが、その3週間前にキング牧師が暗殺されており、アフリカ系アメリカ人社会では義憤が渦巻いていたという背景も見逃せません。
現在へのつながりの点では、コロンビアのような都市型の大型私立大学による土地開発の問題があります。教育という美名に隠れて、じつは営利目的のためにさかんに周辺の土地を買いあさり、巨大地主となって地域問題を引き起こしていることに、いちはやく注目した運動でもありました。この当時からコロンビア大学が暖めていたハーレム地区への進出計画は、現在は形を変えてバイオセンターの開発というかたちで40年後に実現しつつあるそうです。
大学研究の戦争協力という問題も、民間の軍事研究機関への投資というかたちで「外注化」されただけだとの指摘もあります。徴兵制度も廃止され、現在の学生にとっては戦争との直接の関係がみえにくくなっているのが、イラク戦争に対する反対運動が当時に比べてもりあがらない原因だろうと、現在の学生の一人は述べています。



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