紹介:佐々木幹郎詩集『鏡の上を走りながら』

紹介:佐々木幹郎詩集『鏡の上を走りながら』

 

 当10・8山﨑博昭プロジェクトの発起人の一人、詩人の佐々木幹郎さんが昨2019年7月、『鏡の上を走りながら』と題する11冊目の詩集を思潮社から出版しました。
 これにあわせて「現代詩手帖」2019年10月号では、「佐々木幹郎――詩の磁場へ」と題する大部の特集が組まれました。その62頁には「1966年4月3日,修学旅行中の船上で」というキャプションが付されて、佐々木さんと山﨑博昭君が一緒に写っている写真が掲載されています。
 その詩集が、戦後日本を代表する詩人である故大岡信(おおおか・まこと)氏にちなんだ第1回大岡信賞(朝日新聞社・明治大学共催)を受賞し、朝日新聞2020年2月8日(土)付け朝刊において大きく報道されました。「受賞のことば」、「選考委員による選評」なども掲げられています。もう一人の受賞者は、ミュージシャンの巻上公一さんです。
 佐々木さんの授賞理由は、「東日本大震災後の社会を見つめる詩集「鏡の上を走りながら」(思潮社)、オペラ「紫苑物語」の台本における詩と音楽を結びつける仕事、および近年の充実した批評活動に対して。」というものです。

 ご存知の方も多いと思いますが、佐々木さんは、3・11東日本大震災・福島原発事故の後、津軽三味線の二代目高橋竹山さんとともに被災地を訪問し、仮設住宅などを回りました。そこで津軽三味線と詩の朗読のセッションを続けたのでした。その中で、言語を絶する地獄図を見た人々の記憶、その思い、今も日常生活の底にある放射能汚染への恐怖と絶望、そして生き抜こうとする静かな意欲を聞き取り、記録し、新しい言葉を探しながら、東北民謡の原点を探る調査をしたのでした。3・11の衝撃を全身で受け止め、生と死の極限状況に思いを馳せ、その瓦礫の中から言葉を探してきた詩人の作品集が、この『鏡の上を走りながら』ではないでしょうか。

 この詩集を始めとする佐々木さんの活動が大岡信賞を受賞したという朗報をここでなぜご紹介するのかというと、この詩集の中の一篇が私たちのプロジェクトと深く関係しているからです。
 その詩をご紹介する前に、選考委員の一人である蜂飼耳(はちかい・みみ)さん(詩人・作家)の選評の一部を掲げます。

「佐々木幹郎の『鏡の上を走りながら』は作者の到達点の一つとなる詩集だと思う。半世紀前の羽田闘争で命を落とした出来事を受け止め直す「建碑式」などには、これまでの歩みが刻まれる。」

 蜂飼耳さんは、この詩集に収録された「建碑式」に注目し、この一篇の詩がもつ意味を受け止めておられます。

 私たちのプロジェクトの建碑式が行われたのは、2017年6月17日(土)でした。巻末の「初出紙誌一覧」によると、この詩は読売新聞の2017年6月23日付に発表されていますので、おそらく佐々木さんは式の直後にこの詩を書いたのだと思われます。
 いま、羽田・弁天橋に繋がる萩中公園と道を隔てて隣接する福泉寺(東京都大田区萩中三丁目27-10)にある、山﨑博昭君を追悼する碑を建立するにあたっては、碑に刻む文字の字体をめぐって事務局においても随分と議論になりました。
 というのは、その字体の選定および実際の揮毫をお願いした書家の川上吉康さんから「金文」はどうかという提案があったからです。金文というのは甲骨文字より前の、まさに中国最古の字体のことで、青銅器に刻まれることが多かったので、こう名付けられています。古い中国語では「文」は文章のことではなく、文字を指すともいわれています。
 ふだん目にする機会が少なく、一見読みづらいので、反対意見も少なからずありましたが、実際仕上がったものを見てみると、とても味わいがあって、これを選んで良かったと私たちは思っています。
 書家の川上吉康さんは、大手前高校で山崎君と同期であったばかりでなく、当時学内に作られたマルクス主義研究会(経済学・哲学草稿、ドイツ・イデオロギーなどの初期マルクスの学習会)に発起人の北本修二さん、佐々木幹郎さん、山﨑博昭君たちと一緒に参加し、生前の山﨑君をよく知っている方です。

 まえおきが長くなりましたが、最後に佐々木さんの「建碑式」と題する詩を掲げます。3・11がもたらしている未曾有の現実の前で屹立しながら、50年前の10・8羽田闘争とそこでの山﨑君の生と死を透徹した心で照らし直しているようです。また、この詩の中に、この金文に係る箇所があることにお気づきいただければ幸いです。
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建碑式  佐々木幹郎

あのとき
きみはわたしの横に座っていた
風に吹かれながら 同じ方向を向いて
白いワイシャツと黒いズボン姿で

暑い日だった
やっとここまで来た
ふいに つぶやく声が聴こえ
わたしはうなずいた

消えていったものが
そのまま五十年を経て 高校時代の
白いワイシャツと黒いズボン姿で
今日の建碑慶讃法要に参加するんだな

あの日に死んだことが重要なのだよ
誰の墓の建碑式か それは
どうでもいいのだよ
大陸の錆びた青銅器の匂いがした

死んだ彼の顔は見なくてもわかる
ひとつも表情をかえずに 目を細めて
高校の中庭のベンチに座っているように
もうすぐはじまるね

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 私はこの建碑式に参加しましたので、この詩を読むと、その時の様子が脳裏に浮かんできます。佐々木さんが聴いた「やっとここまで来た」という声は、山﨑君の声だったのでしょうか。読後に眼をつぶると、その声は私にも聞こえてくるような、不思議な感覚になるのです。
 佐々木さんが見事に射止めた第1回大岡信賞は、山﨑君への贈り物でもあるのではないでしょうか。

原田誠之(10・8山﨑博昭プロジェクト 事務局)



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