紹介:『「1968」を編みなおす 社会運動史研究2』(大野光明・小杉亮子・松井隆志 編)

紹介:『「1968」を編みなおす 社会運動史研究2』(大野光明・小杉亮子・松井隆志 編)

●より若い世代が試みる1960年代の再検証

 『社会運動史研究』第2号が「「1968」を編みなおす」という特集を組んでいます(2020年4月、新曜社刊、本体2300円+税)。
◎申し込み先:新曜社/『「1968」を編みなおす(社会運動史研究2)』:https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b508457.html
 同誌の編者による「まえがき」では、特集の趣旨について、こう記されています。

「「1968」の言葉が指し示そうとする出来事は、確かに歴史的・社会的に重要である。しかし、いささか粗雑な「1968」のイメージは、その重要性を理解するためにこそ、いったんほどいてみるべきだ。運動史のディティールに立ち返って再検証し、これまでのイメージや理論を書き換えていくことが、一九六八年から半世紀以上が経過した今だからこそ、必要だと私たちは考えた。」

 このように提起する編者たちは、大野光明氏(滋賀県立大学教員)、小杉亮子氏(日本学術振興会特別研究員)、松井隆志氏(武蔵大学教員)の三人の研究者です。いずれも40代です。10・8羽田闘争の同時代人が多い当プロジェクトからすると、それよりも若い人々が「1968」に焦点を当てて再検証を試みているのです。
 編者の大野光明氏は、当プロジェクト第2ステージの発起人ですし、特集以外の論考でも、その執筆者の顔ぶれには当プロジェクトの賛同人が何人もおられます。我田引水のようですが、私たちのプロジェクトがめざすものがこのような形で引き継がれてきているような感もあります。

 特集:「「1968」を編みなおす」は次のような興味深い論考およびインタビューで構成されています。
◎山本崇記「運動的想像力のために──1968言説批判と〈総括〉のゆくえ」
◎嶋田美子「矛盾の粋、逆説の華──名づけようのない一九六○年代史をめざして」
◎阿部小涼「拒否する女のテクストを過剰に読むこと──古屋能子の八月沖縄闘争」
◎小杉亮子「“1968”の学生運動を学びほぐす──東大闘争論の検討」
◎山本義隆「闘争を記憶し記録するということ──『かつて10・8羽田闘争があった』および『東大闘争資料集 DVD増補改訂版』出版に際して」
◎インタビュー/古賀暹「『情況』前夜──「1968」を準備した六〇年代前半期」、聞き手 松井隆志

 まず、山本崇記氏は、京都東九条地域でのマイノリティの運動に焦点を当て、その歴史と意味を深く究明しています。
 嶋田美子氏は、美術と政治という二つの運動が未分化に絡み合っていた1960年代の様相を豊かに浮かび上がらせています。
 阿部小涼氏は、新宿ベ平連でたたかった故古屋能子氏の活動を蘇らせ、ジェンダー・イシューの重要性を提起しています。
 小杉亮子氏は、当事者や研究者による数々の東大闘争論をとりあげ、全国的に展開された学生運動の意味を歴史的に考察しています。
 山本義隆氏は、本記事の後段でも触れますが、自らもかかわった『かつて10・8羽田闘争があった[寄稿篇]』と『同[記録資料篇]』ならびに『東大闘争資料集 DVD増補改訂版』を紹介しつつ、「1968」論を核心的に論じています。
 古賀暹氏は、松井隆志氏のインタビューに答えて、自らの体験をもとに1960年代の運動の様相を語り、雑誌『情況』の位置を歴史的に明らかにしています。
 この特集以外の諸論稿は、いずれも1960年代と1970年代の運動の教訓化にとって大いに示唆に富むものとなっています。
 なかでも、前述の山本義隆氏の論考に注目していただきたいと思います。

 

●「日本の民衆の歴史における稀有な時代、その起点は10・8羽田闘争」(山本義隆氏)

 山本氏は、東大全共闘のたたかいの後も、その裁判闘争にかかわり、また東大闘争の記録を保存し残すための地道で厖大な作業を進めてきました。このことはよく知られています。同時に、山﨑博昭君の高校の先輩として、10・8山﨑博昭プロジェクトの発起人に加わって、日本の1960年代の運動の意味と教訓について語り継いできています。そして本誌第2号に掲載された「闘争を記憶し記録するということ」において、いくつかの重要な提起をしています。

 まず、『かつて10・8羽田闘争があった[寄稿篇]』ならびに『同[記録資料篇]』の2冊は、山本氏自身も編集にかかわったのですが、「「運動史」のひとつの形を創ったと言えるであろう」と総括的に意義づけています。実際、合計1250㌻におよぶこの2冊は、「たった一日の闘争に関わる記録であるが、現時点で可能な限りの資料を収集し、その一日を細部にいたるまで復元し多面的に浮かび上がらせることによって、その一日の闘争の持つ意味に立体的・多角的に迫ろうとした」ものです。

 なかでも、山﨑博昭君の死因を半世紀後に究明した「第四部 歪められた真実/五〇年目の真相究明:辻惠+事務局」は、「おそらく半世紀前の事件にたいして考えられる最大限の検証努力がなされて」おり、「本書は、抑制の取れた記述に終始し、ひとつの結論を性急に読者に押し付けることはしていないが、読者が自身で判断を下せるための資料集としては十分すぎるものを提供している」とされています。その結果、長年の課題であった「警察権力による山﨑君の殺害と、政治権力そしてマスコミによるその隠蔽という問題」について、ほとんど究明しきったと言えるでしょう。
 また山本氏は、10・8羽田闘争が何だったのかについて、「戦争に巻き込まれるのは嫌だという意味の反戦ではなく、侵略への加担を拒否するという意味の反戦であった」と振り返っています。この点は、闘争参加者の証言や当時のチラシ類から、歴史的にしっかりと再確認できるでしょう。
 さらに山本氏は、日本におけるベトナム反戦闘争が高校生、ベ平連とジャテック、米軍基地内での米兵のたたかい、沖縄全軍労の闘争、自衛隊内部からの決起などにまでおよび、「学生から労働者・市民・農民そして家庭の主婦までが加わって多面的・重層的に闘われた」と振り返り、「それは日本の民衆の歴史において稀有な時代であった。そして10・8羽田闘争はその起点であった」と記しています。
 さらに山本氏は、「10・8の前夜、法政大学経済学部自治会室の片隅で行われた中核派による社青同解放派の幹部にたいする凄惨なリンチ」が、何人もの闘争参加者から証言されていることに注意を喚起しています。
 「反戦の意志を持ちながら行き場のない学生が数多くいたのである。三派全学連はそういった学生諸君に結集軸を提供すると思われたのだ。しかしその内部における主導権争いによるその崩壊は、それら多くの学生の期待を裏切ったと言える。そしてそのセクトの独善性は、やがて凄惨な内ゲバとなって、新左翼運動の崩壊へとつながっていった。/その芽がすでに10・8闘争に孕まれていたのである」と、山本氏は重要な運動史認識を示しています。
 山本氏は「そのことをも明らかにし記録したことにおいても、『かつて10・8羽田闘争があった』の二冊は意味がある」「私たちは、負の過去を隠してはいけないのだ」と強調しています。

●運動の実相が浮き彫りになる『東大闘争資料集 DVD増補改訂版』

 1960年代の東大全共闘のたたかいは、1967年から1969年2月末までの2年という長期にわたるものでした。それは、学園闘争・全共闘運動というレベルでも、より広く戦後日本の社会運動史においてみても、日大全共闘のたたかいと双璧をなし、類例のない大きさと深さをもったものでした。
 その後、山本氏らは日大全共闘の人たちと「6869を記録する会」を立ち上げて、東大闘争に関する本格的な資料収集に入ります。並々ならぬ地道な作業を積み重ね、1994年に『東大闘争資料集』全23巻・別巻5巻を完成させたのです。さらに、その後も、新たに発見され、関係者から送付された資料などを追加して、2019年に『東大闘争資料集 DVD増補改訂版』を作り上げました。
 そこには、1967年医学部闘争=78点、68年1月~69年2月=ビラ4266点、パンフレット216点、討論資料157点、大会議案408点、当局文書217点、新聞版27点、救対・公判闘争・裁判関係=56点、全5400点余が収録されています。1万3100ページ余という空前絶後の貴重な、かつ生々しい第一次資料集です。
 なかでも、収録されたビラ類は、ほとんどが当時の学生たちが手間ヒマかけて作ったガリ版刷りのものです。そこには、ビラ類を当時のままの姿で残したいという思いがあり、山本氏が言うように、まさに「ガリ版文化の資料集」ともなっています。
 山本氏らは、これまで収集した厖大な資料の原本や制作した書籍、DVDなどを国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に寄贈するとともに、国立国会図書館や東京大学文書館、法政大学大原社会問題研究所に収めたとのことです。東大全共闘を担った当事者として、その第一次資料を形あるものとして記録するという想像を絶するような厖大かつ長大な労力、その非常な執念が伝わってきます。
 山本氏は、「権力にたいする人間の闘いとは、忘却に対する記憶のたたかいに他ならない」というミラン・クンデラ(作家、元チェコ共産党員、フランスに亡命)の言葉を引いています。まさしく、「忘却に対する記憶のたたかい」の驚嘆すべきありようを、『東大闘争資料集』に見る思いです。

●再検証を踏まえた、東大全共闘議長による「1968」論

 「闘争を記憶し記録するということ」と題された山本氏のこの文章は、自らがかかわった書籍とDVDの紹介にとどまらず、当事者による同時代史論となっています。
 なぜ1967年10・8羽田闘争に始まる大衆運動の未曾有の高揚が可能となったのか、それを担った一人ひとりの自主的な立ち上がりの主体的論理はどのようなものだったのか、それらの運動や闘争をどのように教訓化し、どのように継承するのか――これらの点について、山本氏は核心を衝いた、優れたさまざまな提起をしています。それは、当事者自身の再検証の作業を踏まえた、東大全共闘議長だからこそ語れる「1968」論だと言えましょう。
 その点について、山本氏は、「意図的な捏造や隠ぺい、等々の歪曲を許すことなく、その実相に触れること」が必須であると強調しています。それゆえに、「原資料の重要性」を諄々と説いています。
 私は、山本氏の文章を読み終わって、深い感慨を覚えました。
 山本義隆氏ら東大全共闘の人々、日大全共闘の人々、そして私たち10・8山﨑博昭プロジェクトが半世紀を超えて、当時を振り返り、気の遠くなるような第一次資料収集の作業を続け、膨大な再検証の努力を重ねて、『かつて10・8羽田闘争があった[寄稿篇]』、『同[記録資料篇]』、『東大闘争資料集 DVD増補改訂版』出版にこぎつけたのでした。このことは、ほんとうに歴史的価値あるものであったと、改めて思いました。これを後世の人たちに託すのではなく、当事者が自らを相対化し、客観性をもたせることに注意を払って、これらの資料を残したのですから。
 ぜひ多くの方が本誌『「1968」を編みなおす(社会運動史研究2)を手に取ってくださるよう、お願いいたします。「1968」の議論が続くことを願っています。

原田誠之(10・8山﨑博昭プロジェクト 事務局)



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