コロナと旅とリニア中央新幹線(上)/山本義隆 

コロナと旅とリニア中央新幹線――コロナに思う その2(上)

山本義隆(科学史家、元東大全共闘議長)

 当プロジェクト発起人の一人である山本義隆氏から「コロナとオリンピックに思うこと」(5月6日)に続いて、「コロナと旅とリニア新幹線――コロナに思う その2」の投稿がありましたので、掲載します。長文のため、上下2回に分けさせていただきます。なお、前回の「コロナとオリンピックに思うこと/山本義隆」は今回の論考と同じく〈事務局からのお知らせ〉ページにあります。次のURLをクリックすれば読めます。http://yamazakiproject.com/from_secretariat/2020/05/06/4773 (10・8山﨑博昭プロジェクト事務局)

●感染者数への疑問とGo Toキャンペーン

 国の緊急事態と東京都のアラートがともに解除された後, 6月末から感染者数が増加し続けています。とくに東京は7月のはじめ連日続けて100人を超す新規の患者を数え, 9日からは連日200人を越えています。3月の小中学校の一斉休校から緊急事態宣言やマスクの配布にいたるまで, 安倍内閣のやってきたことは, 本当に感染拡大に対処するためというよりは, その時その時の思いつきのような政治的なスタンドプレーでしかなかったのです。たしかにこれまでのところ日本は欧米にくらべて感染者数が少なかったようですが, それは理由がわからないにせよアジアの国にほぼ共通したことで, 日本政府の対策がとくに優れていたわけではありません。

 政府は一応, 新型コロナウイルス対策の専門家会議なるものを作りました。それは, 実際に現場で感染症と闘ってきた医師をふくまない学者さんのあつまりで, 必ずしも十全なものではなかったようですが, 政府はそれすらも重視せず, これから第2波が始まるのではないかという時期になって解散させてしまったようです。その点では東京アラートも, 今になってすれば, 知事選にむけての選挙運動の一環ではなかったかと思われます。

 そういったことのひとつひとつについて, どれだけの効果と弊害があったのか, 判断が正しかったのかどうかのきちんとした点検が不可欠ですが, その作業もなされているようには見えません。そもそも小中学校の一斉休校を首相が独断で要請するというようなことは, 法的根拠もなくほとんど独裁国家なみのめちゃくちゃですが, その点についても点検と批判が当然必要でしょう。すくなくともそういう前例を作ったということは, きわめて問題のあることです。まして, 緊急事態条項を入れるために憲法を改正しようなどというような議論は, とてもじゃないけれど認められるものではありません。

 ともかく, 6月以降のとくに東京での新規患者の増加は相当なものです。以前に私は『毎日新聞』だけを見ていると言いましたが, コロナについてのより詳しいことを知りたくて, 6月半ばより『東京新聞』の購読も始めました。

 『東京新聞』には東京の区ごとの患者数だけではなく, 毎日の患者増加数が出ているのですが, 注目されるのは新宿区です。他の区は1日の増加がせいぜい2人とか3人とかですが, 6月後半から7月にかけて新宿区だけは1桁多く, 連日20人や30人を記録しています。東京全体の新規の感染者数が3日連続で200人を越えた11日には, 新宿区1区の新規感染者が94人を数えています。その点について新聞にはこんな風に書かれています。

「その〔都内の新たな感染者の〕うち11人は新宿エリアにあるホストクラブ2店の従業員。おなじ店の従業員に感染者が出たために, 集団検査をしたところ, 感染が判明した。無症状の人が多いという。(『東京新聞』 6月21日)」
「〔都は〕感染が一定水準に収まったとして11日にアラートを解除, ……。しかし, ホストクラブなどで集団検査を進めたこともあり, アラート解除後は再び感染者が増えている。(『東京新聞』 6月25日)」
「〔都の感染者は〕6月12~25日の2週間は計500人で, アラート解除前の2週間の計200人から倍増。今月から新宿区でのホストクラブの集団検査を始めた影響もある……。(『東京新聞』 6月27日)」

 そして都内の感染者が最多を数えた7月9日の翌日の新聞:

「東京都は9日, 新たに224人の新型コロナウイルス感染者が報告されたと発表した。1日あたりの人数では …… 過去最多を記録。…… 小池百合子知事は都の対策本部会議で‘検査件数が増えていることが影響しているが, 感染者数の動向にはさらなる警戒が必要だ’と警戒を強めている。(『東京新聞』 7月10日)

 要するに, 患者数が増加した一因は無症状な人も含めて集団的な検査を始めたからだということですが, 裏返せばそれは, 検査をしていなければ見逃されていたということを意味しています。ということは, これまでの数字は一体何であったのか, 新宿区以外でも積極的な検査をしていれば感染者は本当はもっと多かったのではないのか, ということになります。

 それとともに, 新規患者の増加と検査数の増加が比例していないという事実もあります。つまり集団検査による以外にも増加の原因があるのではないかという問題です。

 いずれにしても, 第1波がまだ終息していないというのか, すでに第2波が始まったというのかわからないにせよ, いまなおコロナ禍の真最中と見なければならないでしょう。

 にもかかわらず11日の『毎日新聞』には「Go To 22日から開始」とあり, 「感染拡大防止と社会経済活動の両立に取り組むことが政府の方針。スポーツ観戦も予定通り行うということで, Go To トラベル事業も進めてゆく」という国土交通省の談話が載せられています(図1)。旅行代金の35%分の割引と15%のクーポン券で「旅行代金の計50%を政府が支援する計画」で, 7月22日から実施なのだそうです。旅行業界の破格の優遇です。もちろん感染症に詳しい医師からの疑問があげられています。 


▲毎日新聞7月11日1面画像をクリックすると拡大表示

 「不急不要の外出を控えるように」と宣伝してきた状況が本質的に変わっていない現在, 素人判断でも矛盾に満ちていることがわかります。実際, 人間の移動こそが感染地域拡大の最大要因であることを考えれば, 現時点での旅行の勧めは端的にコロナの感染拡大を助長するものであり, 日本各地で行われているコロナとの闘いに敵対していると言わねばならないでしょう。首相が自宅で犬と戯れている動画を配信することは, 愚かとか言いようがありません。しかし感染地区の拡大を助長するような政策を, それも多額の税金を使って推進することは, 愚かと言うよりははっきり言って犯罪的です。

 他方で, 個々の観光地や旅館経営者が現時点で観光客の増加を本当に望んでいるのか, その点も疑問に思えます。7月10日には, 東京・神奈川・千葉・埼玉の1都3県の新規感染者が300人を越えています。このように首都圏で新規患者が急速に増加している現在, あまつさえ無症状で本人も自覚のない患者が相当数存在することが判明した現在, 首都圏からの観光客の増加にたいしては, 大きな危惧を抱いている, あるいは迷惑にさえ思っている地方の観光地や業者は少なくないと思われます。『毎日新聞』に北陸総局の記者が地元のそういった思いを代弁する形で書いています:

2015年の北陸新幹線の金沢延長開業以来, 観光客が急増していた石川県も大きな影響を受けた。人口あたりの感染者数が全国有数の多さとなった県では, 感染症防止と経済発展を両立させる難しさが際立つ。観光客を受け入れるリスクや, 外国人や県外客向けに比重を大きく移したことの弊害が顕在化した今, 観光地としてのありかたを見直すべきではないか。(「オピニオン 記者の目」7月9日)

 そもそもが,旅行業者が困っているといっても, 困っているのは旅行業者だけではありません。その他のサービス業も製造業も等しく苦境にあります。にもかかわらず旅行業界にたいするこの破格の優遇措置は, その業界団体と有力政治家のあいだに多額の献金等の密接な関係があるからだとしか考えられません。緊急事態宣言のような, 国民たいしても忍耐を強いるような措置は, パンデミックのような場合にはやむを得ないということをかりに認めたとしても, それはなによりも公平で、万人が納得できるものでなければならないでしょう。

 現在, コロナが終息したか否かに関わらず派遣や非正規の労働者はすでに多くが路頭に迷い, そうでなくとも職を失なう瀬戸際に立たされています。零細な飲食店は, 店舗の月々の家賃にさえ苦慮しています。中小企業の倒産も増加しています。その背後にはその何倍かの倒産予備軍が存在しているでしょう。それにもかかわらず, このことを安倍政権は正面から受け止めようとはしていません。そんな状況下で有力政治家にパイプを持つ強力な団体を持つ業界だけが優遇されるようことでは, ましてそれが現在のコロナとの闘いに明らかに逆行しているとなれば, 決して許されることではないでしょう。

 ところで, 最近の新聞では「コロナ後」という記事がよく見られます。それはコロナ後の新しい生き方を語るものです。福島の原発事故の後にも「エネルギーの無駄使いをしないように」というような形で「フクシマ後」が語られたのと同様です。 それはそれでよいのですが, しかしそういうことを個人の心構えや決意, あるいは個人の生活習慣の問題として語るのは矮小にすぎます。大切なのは, 社会的な構造の問題として捉え, インフラストラクチャーや組織形態を含めて, 構造そのものの変革として語られなければならないでしょう。

 新自由主義のもとで, 病気にかかるのも自己責任, 失業するのも自己責任というようにして, 保険所を削減し, 弱者にたいするセイフティー・ネットである社会保障を削減してきたつけが今問われているのです。これまでの社会構造の総点検が迫られているのです。

●リニア中央新幹線という問題

 インフラストラクチャーをふくめた社会構造という点で, 6月27日の『東京新聞』の朝刊一面に「東京アラートに疑問 解除後に感染者倍増」とならんで「リニア27年開業延期へ 静岡で会談 知事, 工事認めず」とあったのが象徴的で, 眼を惹きました(図2)。「リニア」というのは 東京-名古屋-大阪を結ぶ「リニア中央新幹線」, 完成したら東京-名古屋を40分, 東京-大阪を67分で結ぶと言われる第二東海道新幹線のことです。

 
▲東京新聞6月27日1面(画像をクリックすると拡大表示)

 私は昨年5月, ある会で科学技術ジャーナリズムについて語る機会があり, 「科学技術ジャーナリズムの役割」として, 以前は「啓蒙」だったが現在は「批判」でなければならないというようなことを語りました。たとえば「原子力」について, 1950年代60年代には, 原子力とは何であり何に使われるのかが語られました。 つまりかつてのジャーナリズムは原子力が開く明るい未来を語ったのです。しかし現在では, 原子力のどこに問題がありどのような危険性があるのかを語らねばならない, ということです。

 その一例として私はリニア中央新幹線を挙げました。そのときの挨拶の全文は岩波書店から出ている雑誌『図書』の2019年9月号に載っていますが, そのリニア新幹線に関する部分だけ, すこし長いけれどもここに再録します:

……とりわけ先に言った利権集団の推進する巨大プロジェクトの如きものは, 往々にして地域住民への十分な説明も与えられることなく, 自然環境と地域共同体の破壊をもたらすものであり, これらの弊害にたいしてこそ科学技術ジャーナリズムには批判の役割が求められているのではないでしょうか。
 ひとつだけ例をあげます。
 2年ほど前に談合事件で新聞に出て以降, マスコミはあまり取り上げなくなりましたが, リニア中央新幹線計画というのがあります。談合事件は, その計画が大手建設会社にとって金のなる木であることを垣間見せたのですが, それはまさにその手のプロジェクト ―― 暴走するプロジェクト―― の典型だと思います。
 それまで山体に手が加えられたことのないかけがえのない自然の残る南アルプスの深部を貫通するトンネルを掘るということは, そこから搬出される膨大な土砂の投棄もふくめて, 甚大な自然破壊であり, そのことが中部日本の地下水脈にどのような影響を与えるのかは, 誰にもわかりません。しかし, 戦後70年間の「開発」の経験から学んだように, 自然環境の破壊は, 結果がわかったときには手遅れなのです。
 そしてまた, 東京・大阪間無人運転とありますが, 事故が起こった際にどう対応するのか, 納得のゆく説明はありません。事故が起こった時になって, またまた「想定外でした」ということで責任逃れをするのでしょうか。「絶対安全」というような専門家のお墨付きは, 福島の事故以来, 効力を失っています。大深度地下で事故が起こったときに生じるであろう乗客のパニックを想像すると, 背筋の寒いものがあります。
 そもそもこれまでの新幹線の何倍かとも言われる厖大な電力を必要とする計画は, それ自体, 省エネに向かう時代に逆行していますが, 問題はそれだけではないと思われます。
 品川・名古屋間2027年開通, 名古屋・大阪間はその後2045年開通とされていますが, 品川・大阪間全通までの18年間, はたして人は, 名古屋までリニア新幹線に乗り, そこで在来の新幹線に乗り換えて大阪までゆく, というような面倒なことをするのでしょうか。品川・名古屋間40分といっても, それは列車が品川のホームを出てから名古屋のホームに着くまでの時間であり, 乗客は荷物を持って地下数十メートの品川駅のホームまで降り, 名古屋駅のホームからまた荷物を持って地上まで数十メートル登り, そこで在来の新幹線に乗り換えるとなると, 東京・大阪間で見るとそれほど時間が短縮されるわけではないでしょう。そうなると, 一度くらいは話の種に利用したとしても, 結局, 東京・大阪間の移動は在来の新幹線か空路ということになるのではないでしょうか。
 そもそも人口減少で, 利用人口も減少が予想されます。それに会議など, 現地にゆかなくともできる時代なのです。
 外国からの観光客が増加するといっても, 観光客にとっては, 日本の田園地帯や河川をつぎつぎ通過する車窓風景も旅行の楽しみの一部なのです。私は以前, 台湾か中国の団体客と新幹線で一緒になったことがありますが, やはり富士山が大きく見えたときには皆さんおお悦びで写真を撮っておられました。名古屋までゆくのに1時間ほど早く着くからといって, 旅情もなにもない殺風景な地下鉄のごとき列車に数十分も乗る方を積極的に選ぶのでしょうか。旅行者はスピードだけを望んでいるのではないのです。
 とすれば, 名古屋・大阪間の開通以前に赤字になる公算は大きいと思われますが, そうなるとまた国庫が尻拭いをするのでしょうか。
 いずれにせよ, 新幹線利用人口の減少が見込まれる21世紀中期に, 単一の電鉄会社・JR東海が東京・名古屋間, 名古屋・大阪間に競合する二つの新幹線路線を持つということは, 経済的合理性の観点からも疑問符がつきます。

 これを語ったのはもちろんコロナの前ですが, コロナを経験した現在, このとき提起した問題がより切実なものとして浮かび上がってきています。
 もともと私がリニア新幹線問題に関心を向けたのは, 福島の原発事故からです。超高速の列車が膨大なエネルギー(電力)を必要とすることは, 物理学の常識です。物体は, 加速するときには外力が必要ですが, 一定の速度で動くときには外からの力を必要としないというのは, 真空中での話です。大気中では空気抵抗があるため, 加速はもとより一定速度を持続するためにも大きなエネルギーを要します。しかも空気抵抗は走行速度とともに急速に大きくなります。したがって時速500キロで走るということは, この厖大な空気抵抗にうちかって動かすために大変な電力を要するのです。

 JR東海がリニア中央新幹線構想を発表したのは2007年です。
 そのおなじ年, 私はみすず書房から『一六世紀文化革命』を上梓し, その「あとがき」に書きました:

原子炉について言うならば, ひとたび事故が起れば恐るべき影響を与えることは, すでにチェルノブイリで実証ずみである。その事故の影響の甚大さがこれまでの技術のものとは桁違いであることは, いまなお事故現場が人の立ち入りを拒み, 近隣の地域の居住が制限されていることからもわかる。それだけではない。原子炉はたとえ無事故で稼働し終えたとしても, 放射線に汚染された廃炉となり, 大量のプルトニウムをふくめて運転期間中に蓄積された放射性廃棄物とともに, 人間の時間間隔からすれば半永久に隔離されなければならない。…… 放射性原子核の半減期を短縮させるような技術が見出されるとはとても考えにくいが, 百歩譲って将来的にそのような解決策が見出されると仮定しても, それとてコストとエネルギーを要することである。とすれば, いずれにせよ, 現代人が受益したエネルギーの使用後の後始末を何世代も後の子孫に押し付けることになり, それは子孫にたいする背信である。

 このように原子力発電の抑制・中止を訴えていたのです。福島の原発事故の4年前です。しかし当時, そのような訴えは真剣には受け止めてもらえませんでした。実際, 当時はまだ原発の危険性がそれほど問題視されていなくて, それどころか電力会社や原子力村の学者や経産省官僚の語る安全神話がまかり通っていたのであり, すでに50余基を数えていた日本の原子力発電所が, さらに増設されようかという情勢にありました。エネルギーを大量に消費すること自体が, 社会的にそれほど問題視されていなかったのです。JR東海のリニア計画は, その背景で語られていました。おそらくJR東海だけではなく, 東京電力・中部電力・関西電力はリニアのために更なる原発の建設を想定していたと思われます。

 とするならば, 4年後, 2011年の福島の原発事故に直面してJR東海のリニア中央新幹線計画そのものが見直されてしかるべきと思われるのに, そのような動きはまったくなかったのです。そして2014年に国土交通省はJR東海にリニア中央新幹線の着工を認可しました。それは, 今後も原発を増設するということを言外に語っていることです。私がリニアの問題に関心を向けたのは, そのことからです。その頃からリニアに関する新聞記事に注意するようになりました。

 そして今回のコロナ禍は, より大量の人間の, より遠くへの, そしてより迅速な運搬をめざすというこれまで鉄道の技術革新を底辺で貫いていた思想, そしてそのことによって社会が活性化し経済が成長するという20世紀以来の社会思想・経済思想にたいして, その根本的見直しを迫っていると考えられます。そういうわけで, コロナに関連してあらためてこの問題を取り上げることにしました。

 福島の事故とコロナ禍を経験した私たちが, 日本社会の基本的な在り様に対してしなければならない総点検の一環と言えます。

●「六千万人メガロポリス」という幻想

 2019年7月6日の『朝日新聞』には「リニアによって東京-名古屋‐大阪の三大都市圏が約1時間以内でつながって人口6千万人を越える《巨大都市圏》が誕生するとして経済界の期待は大きい」とあります。
そういう大風呂敷を最初に広げたのはJR東海自身です。JR東海が主張しているリニア中央新幹線建設推進の主たる理由は,
 〔1〕 高速移動による6000万人の首都圏の誕生,
 〔2〕 首都圏を結ぶ大動脈の二重系化で災害に備える,
とあります。しかし〔2〕は付け足しです。実際, 災害時に重要なのは人の輸送ではなく物資の輸送であり, それは新幹線がなくともできることです。事実, 東日本大震災で東北新幹線が不通になりましたが, そのことはとくに問題になりませんでした。物資の輸送はトラックやヘリコプターで十分できていたのです。そもそも大地震で東海道新幹線が不通になるとすれば, 両方とも不通になる公算が大きいと思われます。

 結局, 表明されているリニア推進の中心的目的は〔1〕です。そしてそれは多くの自治体にも共有されてきました。1979年に東京・神奈川・山梨・長野・愛知・岐阜・三重・奈良・大阪の9都府県が「リニア中央新幹線建設促進期成同盟」を発足させました。その一貫した主張が「東京・名古屋・大阪を1時間でつなげば6000万人の首都圏が現われ, 経済が活性する」というものだったのです(樫田秀樹著『“悪夢の新幹線”リニア中央新幹線』旬報社, p.83f. より)。

 高度成長がまだ持続していた1971年に出た, 当時国鉄でリニアモーターカー開発の中心にいた技術者・京谷好泰といま一人の国鉄の技術者・奥猛, そして佐賀利雄の3人の手になる書『超高速新幹線 東京・大阪一時間』には書かれています(以下, 敬称はすべて省略させてもらいます):

 東海道メガロポリス地域は総面積で全国の19.2%を占めている。可住地面積でみても全国の22.4%を占めているにすぎない。しかしながら …… 知識や情報を核とした中枢管理機能は全国の7~8割に達しており, かつ, 高密度社会を形成している。比較的全国シェアが低い人口についてみても全国の51.4%と半分以上の人々がこの地域に住みついている。
 この地域には東京, 名古屋, 大阪の三大都市が配置されているのみならず, 東京から大阪までの東海道沿線地域内に人口10万人以上の都市が, 平均30.7キロおきに配置されている。そして第一東海道新幹線開通以前においては東京, 名古屋, 大阪は, それぞれ別々の都市圏域を形成した三つのメトロポリスであった。ところが第一東海道新幹線が開通することによって, ひとつの巨大都市圏域を形成することになった。そればかりではない。三大都市圏の中間に位置する地方中核都市もそのなかに包摂されて, 巨帯都市――東海道メガロポリスを形成することになった。……
 第一東海道新幹線は東京と大阪を3時間10分で結んでいるにすぎないが, しかし第二東海道新幹線は, 東京-大阪をわずか60分, 東京-名古屋を40分, 大阪‐名古屋を20分で結ぶわけであるから, 三つの都市は完全にひとつの都市圏を形成させられるわけである。(京谷他『超高速新幹線』中公新書,1971, p.23f. )

 いずれにせよより多くの人をより早く移動させより広く結びつければ経済が活性化するというのは20世紀高度成長期の思想そのものであり, それは他の企業もあるいは多くの自治体もが共有していた思想なのです。
しかし新幹線が実際にもたらしたものは何だったのでしょうか。ジャーナリスト川島令三のバブル期の書に書かれています:

 かつて新幹線が開通していないときには, 東京-大阪間は6時間半かかった。東京-大阪間を日帰りすることはできても, 現地での滞在時間はわすか2時間ほどしかなかった。これでは日帰りで仕事などできるはずはなく, 結局一泊するのが常であった。それが, 新幹線の開通によって最大11時間も滞在できるようになり, 一泊しなくてすむようになった。
その結果, かつては関西圏と東京圏が別々の核として機能していたのが, 新幹線の開通で東京だけが核になってしまった。行政の中心である東京のほうが都合がいいに決まっているからだ。関西に本社があった会社も,続々と東京の本社機能を移しだした。…… 関西が地盤沈下したいちばん大きな原因が新幹線の開通であったといっても過言ではない。(川島『新幹線事情大研究』草思社, 1988, p.102)

 この事実は, 実はリニア推進の立場にある京谷たちの上に見た高度成長期の書でさえも認めています:

 この〔第一東海道新幹線開通の〕結果, 大阪, 名古屋の中枢管理機能は東京の逆流効果によって東京へと吸収され, 大阪, 名古屋は地方的中枢管理機能を果たす都市へと再編成されることになった。その意味では第一東海道新幹線によって大阪も名古屋も, 東京都大阪区であり, 東京都名古屋区になってしまったということができる。(京谷他前掲書, p.84)

 そして, 政策評価, 公共計画, 経済政策が専門で千葉商大客員教授, アラバマ大学名誉教授の橋山禮冶郎のフクシマ事故の後の書にも書かれています:

 「リニア開業が首都圏, 中部圏, 関西圏を結集し, 人口6000万人の巨大都市(メガロポリス)を出現させる」と言う人がいる。しかしこれまでの東海道新幹線や関西国際空港の実現が, 関西圏の活性化をもたらしただろうか。かえって, さらなる東京一極集中が進行し, 逆に大阪の拠点性が失われたという事実を直視すべきであろう。この上, 東京‐大阪間の移動時間が短縮すれば, 大阪の拠点性はさらに失われるであろう。(橋山『リニア新幹線 巨大プロジェクトの「真実」』集英社新書, 2014, p.10f.)

 過去半世紀近くにわたって, 公共計画の専門家からジャーナリストそして技術者に至るまでが, 「6000万人メガロポリス」なるものの実際は東京への一極集中をでしかないことを指摘しているのです。そしてほかでもないそういう社会構造がコロナのようなパンデミックにきわめて脆いということを, 私たちはこの間学んだのです。
 すでに破産した大阪都構想に執着している大阪維新の会の面々は, これを読んでどう思うのでしょう。

●新幹線幻想を点検する

 東海道線開通を切望したのは中間の停車駅のある都市もそうですが, 新幹線はそれらの都市に何をもたらしたのでしょうか。

 地域経済の研究者である藻谷浩介は「〔東海道新幹線の停車駅〕岐阜羽島や米原, 三河安城などに代表される駅周辺区画整理には経済的な成功例はないし, 新横浜や新大阪の周辺が地域の都市的な拠点に育ったという事実もない。駅周辺に商業集積の進んだ〔北陸新幹線の停車駅〕佐久平ですら, 市全体の小売販売額はほぼ横ばいで……」と指摘し, 「中央新幹線を土地投機の具としてはならない」と戒めています(上岡直見『鉄道はだれのものか』緑風出版, 2016, p.216 より)。
 つぎのような指摘もあります。

 新幹線が中心市街地に位置する都市も, 楽観はしていられません。…… 長野や金沢, 富山は, まちの消費の中心が新幹線駅にシフトしています。そして駅一帯には, 域外の企業が多数, 進出しており, 消費で落ちたお金が, 域外に流出する可能性も高くなります。昔, 新幹線が開通すると都市間競争が強まり, 敗れた都市からは優位の都市へ消費が流出する, と指摘された時期がありました。いわゆる「ストロー現象」です。…… しかし, 上記のような状況を見ると「21世紀のストロー現象は, 駅中や駅ビルで起きている」可能性がある, と考えています。(櫛引素夫『新幹線は地域をどう変えるのか』古今書院, 2020, p.80)

 東北新幹線でも, 実際には駅中の売店だけが賑わい, 地元の商店街には, 開通によってかえって寂れた処さえあり, そこまでは言わないにしても,それほど恩恵がなかった処も多いようです。JRは大資本であり, その気になって豊富な商品を置いた大きな売店やモダーンでメニューも豊富な食堂を駅中に作れば, 旧来の駅前商店街の零細な店舗や食堂はとても太刀打ちできないのです。
 それだけではありません。この櫛引の書には, 北陸新幹線開通時に「独り勝ち」といわれた金沢について書かれています:

 〔北陸新幹線〕開業直後から報じられたのは, たとえば市民の台所の役割を果してきた近江町市場の異変でした。観光客が「地元の素顔」を見ようと押し寄せた結果, 地元客の足が遠のき, 観光客の買い物対象となる商品を扱っていない店, たとえば青果店には, 店じまいするところが出てきた, といいます。…… 生活空間をかき乱され, また, さまざまなコストが上昇したことの弊害は, 地元紙が報じ, 地元紙系のシンクタンクが実施した県民アンケートでも明らかにされました。オーバーツーリズム(観光公害)が発生した格好です。…… 観光業の隆盛が市民生活にどれだけ恩恵を及ぼしているか, 「どれだけ観光客が増えても, 市民の8割には関係なく, 関心も薄いのでは」と指摘する人もいます。(p.26)

 この櫛引の書は2020年のはじめに出たもので, もちろんコロナを未経験の状態で書いたものです。

 著者・櫛引素夫は社会地理学の研究者ですが, 同書で, 自治体では, 新幹線駅招致までの段階では軒並みに「新幹線○○課」のような組織を作っていたのに, 開通後はそれらの組織がほとんどなくなっている事実を指摘し, 「ひょっとして新幹線を建設することが最重要課題で, その後の《活用》まで検討していなかったのか ……。ほとんどの開通地域では, 行政が, 新幹線開業後に地域や住民がどのような変化に直面し, どのような行動や意識が変わったのか, 総合的に調査していません」と指摘しています(p.92f.)。それぞれの自治体では新幹線駅招致が自己目的化され, 駅ができさえすればそれだけで地域が活性化し潤うというような幻想に支配されていたようです。

 そしてこの書の金沢の指摘の後に, 新幹線開通後の金沢にコロナがもたらしたものについての先に見た『毎日新聞』の記者のレポートがつながります。

 交通網が発達すれば大都市で流行った疫病があっという間に地方に広がること, そういう風な社会がコロナのような疫病にきわめて脆弱であることを, この間私たちは学んだのです。今回のコロナに直面して同様の思いを持った観光地は, とりわけ新幹線が開通したことによって飛躍的にアクセスがよくなり, 外国や県外からの観光客が急増した自治体では, 少なくないでしょう。金沢の例を見るまでもなく, コロナは新幹線幻想からの覚醒を促しているのです。

 最近, 日本政府は「新しい日常」などと言いだしています。東京都は『広報7』で「《新しい日常》が定着した社会へ」といった呼びかけをしています。7月9日の『東京新聞』には「政府は8日, 《経済財政運営の改革の基本方針(骨太の方針)》の原案をまとめた。…… 原案にはテレワークの推進など, 東京一極集中の流れを変える方針も盛り込んだ。新型コロナで人口が密集する大都市のリスクが表面化したことを受け, 従来の生活に戻すよりも《新しい日常》に向けた施策を重視する狙いがある」とあります。とするならば, 6000万人「首都圏」構想など, 真っ先に見直しの対象でなければならないでしょう。

 後に見るようにこのリニア中央新幹線計画は安倍首相によって私企業としてのJR東海の計画から準国家プロジェクトに格上げされたのですが, 一方では政府が国民にたいして「ソーシャルディスタンスを守りなさい」「三密を避けなさい」と説教しながら, 他方で, 6000万もの人たちが1時間で往来できる地域に密集する「首都圏(メガロポリス)」構想なるものを進めるという, とんでもない矛盾に眼をつむることはできません。しかしそれにしても, 現在の人口1億3千万弱が, 21世紀中期には1億余りに減少すると予想されています。その人口の半分以上をその「巨大首都圏」に集中させてできる日本がどれほど歪な社会であるのか, 考えなかったのでしょうか。

 いずれにせよ新幹線招致が地域の活性化と繁栄に直結するという, これまでの「常識」は疑ってみなければなりません。

●技術とナショナリズム

 技術者の立場からは, 雑誌『鉄と鋼』の1993年8号に掲載された鉄道総合技術研究所の主任研究員・鈴木康文の論文「鉄道車両の高速化とその新素材」の冒頭にきわめて率直に書かれています:

 鉄道が自動車や航空機等の輸送機関に対して競争力を高めるためには利便性, 快適性の向上, そして高速化を図ることが重要となる。最近JR各社で鉄道の高速化の試みが盛んに行われ, 新幹線の試験の最高速度記録も次々に塗りかえられており, 1992年9月現在で350㎞/hを超えるまでになっている。ちなみに, 世界最高の速度記録はフランスTGVの1990年に達成した513.5㎞/hである。鉄道利用者にとっては, いかに早く目的地に到着するかが重要であり, そのためには最高速度の向上だけではなく, 曲線の速度向上, 分岐器の通貨速度向上等の課題解決も必要となる。

 要するに「いかに早く目的地に到着するか」を至上目的とし, 自動車や航空機に負けない輸送能力を鉄道に持たせ, 同時に国際的なスピード競争に勝ち抜いて, 日本の鉄道技術の優秀性を世界にアピールすべしということです。

 技術の世界では, とりわけ先端技術の世界では, 実用性・経済性だけではなくこのような形の成果の国際比較の重視というナショナリズムの要素は, 結構大きいのです。先に見たもと国鉄の技術者・京谷好泰の書いた『リニアモーターカー 超伝導が21世紀を拓く』(NHKブックス, 1991)という書があります。その書で著者はもっぱら日本におけるリニアモーターカー開発の独創性が世界水準でトップクラスにあるということの自慢話を展開しています。

 そしてこのような技術者の想いは, 技術立国による国威発揚という20世紀の経済成長期の国家思想にすんなりと取り込まれてゆくことになります。実際, 技術者自身をも捉えているナショナルな要素は, それ以上に政治的にも社会的にも先端技術開発への重点的投資を認めさせる大きな要因になっているのです。

 かつて民主党政権のときに民主党の国会議員が, スパコン(スーパー・コンピュータ)開発で「世界No.2では何故いけないのか」と問うたことがありました。技術的にはNo.1もNo.2も差は紙一重というか、事実上差はありません。しかしそのとき石原慎太郎が, No.1とNo.2は月とスッポンほど違うのだと言っていたのが印象に残っています。国家主義的な思想の持ち主から見れば, つまり「国威発揚」という点では, そういうことになります。そしてそれは俚耳に入りやすいのです。ノーベル賞の授賞者数の国別比較がオリンピックの金メダル獲得数の国別比較と同様に語られる背景です。それはまた「インフラ輸出の大きな武器になる」といった類の「実用性」を付加することにもなります。

 破綻した高速増殖炉もんじゅの建設に日本がいつまでも固執していたのは, よく知られています。もんじゅの計画を放棄すれば核分裂物質であるプルトニウムの備蓄の口実がなくなるというのが, 政治家や官僚の言い分だったのです。その背景には, 原爆製造に必要なプルトニウムの備蓄や核技術の維持をはかるという岸信介以来の潜在的核武装路線がちらついています。ところで, 実際にもんじゅの建設に従事してきた技術者はどうだったのでしょうか。おそらく彼ら技術者の中には, 純粋に技術的なチャレンジ精神だけではなく, 欧米諸国が軒並みに技術的困難からギブアップした前人未踏の高速増殖炉の建設に唯一日本が成功したという実績を作りたいというナショナリスティックな見栄や功名心が何割かは含まれていたのではないかと推測されます。

 そして, JR東海のこのリニア新幹線計画の中に, その手のナショナルな要素が潜んでいること見破り, それがかなり中心的な動機ではないのかと指摘したのが, 先述の橋山禮治郎の書なのです。橋山の語るところを見てゆきましょう(以下、強調は山本による):

 この計画を考え出したJR東海の目的, 経営戦略上の狙いはどこにあるのだろうか。…… 計画概要から読み取れる狙いは「世界一速い鉄道を実現し, 世界の鉄道界をリードしたい」「これまでの鉄道にイノベーション(革新)を起こす」「そのため, これまで開発してきた未踏の新技術である超伝導磁気浮上方式のリニアを中央新幹線で実用化する」ということにあるように思われる。(p.18f. )
 ……
 JR東海自身が中央新幹線の運行方式について「在来線型新幹線と同じでは能がない」と公言している背景には, もうひとつのバイパス新幹線を作ることではなく 「リニアを実現すること」 という真の狙いがあるように思われる。(p.22f. )
 ……
 高速化をどう実現するか, JR東海の考え方は, これまた明快である。在来新幹線方式ではスピードアップに限界がある。世界の鉄道革新の先頭に立つには, これまで巨額の開発費をつぎ込んできた超伝導磁気浮上リニアの実現しかない。(p.27 )

 要するに, かつて世界にほこる新幹線を実現させたように, リニアを世界で最初に実現させ, 最高速度の世界記録を打ち立てて, 世界をあっと言わせて, いまいちど世界の鉄道業界のトップに立ちたい, というわけです。とすれば。リニア中央新幹線の深層にある最大の目標はリニア新幹線を実現させることそれ自体になります。それを見抜いたのは橋山の慧眼です。そして「高速化に邁進することが鉄道事業の本業ではない (p.150)」と諭す氏は, このような深層の意識をきびしく批判しています:

 民間企業とはいえ, JR各社は「公器」であり, 鉄道は自社のためではなく, 利用者のためのインフラである。…… もしも今回のリニア推進の裏に, 試験走行で時速480キロという記録を達成した中国を意識して「時速500キロを達成して世界を先導する」というナショナリズム(覇権国家主義)が含まれているとしたら, いささか恐ろしい気がする。鉄道の高速性は否定すベきではないが, 高速性で覇権を争う意味もないし, またその必要もない。鉄道に求められるのは, 第一に安全性・信頼性であって, 次が利便性・低廉性ではないだろうか。(橋山前掲書p.61f.)

(つづく)



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