代島監督「きみが死んだあとで」を毎日新聞が大きく紹介

代島治彦監督「きみが死んだあとで」を毎日新聞が大きく紹介


毎日新聞(2020年12月4日、夕刊第3面)画像をクリックすると拡大されます。

 毎日新聞に、「しらけ世代から今の若者へ 「羽田事件」の「きみ」抱え 生きた14人の人生映す」という見出しがつけられた記事が掲載されました(2020年12月4日、夕刊)。第3面のほとんど全部を使って、代島治彦監督作品「きみが死んだあとで」を大きく紹介しています。そのなかで、1967年10・8佐藤首相南ベトナム訪問阻止羽田闘争の事実に光を当てています。とてもいい記事です(インタビューと執筆は岸達也記者)。

 記事は冒頭、次のように書かれています。
 「成田空港開設に反対する三里塚闘争に関わった人々を描いた2017年の「三里塚のイカロス」で毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞を受賞したドキュメンタリー映像作家、代島治彦さん(62)が新作映画「きみが死んだあとで」を完成させた。スポットライトを当てたのは、70年安保闘争が先鋭化する端緒となった1967年の「羽田事件」である。」

 インタビューのなかで、代島さんは、「若者が異常に発熱した時代」と、あの1960年代、70年代の運動について語っています。
 「政治家の言葉が軽くなり、政治の劣化が叫ばれる。その責任の一端はしらけ世代の私たちにもあると思う。若者たちが政治に対して異常に発熱したあの時代を直視せず、政治に関わるのは不毛だというメッセージのみを社会に残してしまった。政治は本来、若者が関心を持つべきテーマなのに」。
 長編ドキュメンタリー映画「きみが死んだあとで」は来春、一般公開されます。多くの人々にぜひ観てほしいものです。
 この毎日新聞の記事を情報拡散してくださるようお願いいたします。

 ちなみに、同記事で10・8羽田闘争の写真が掲載されています。そのキャプションには「東京都大田区の弁天橋付近で、本社ヘリから」と記されていますが、正確には、海老取川に架かっている橋は、手前上流(左側が空港内)から向こう下流へ、穴守橋、稲荷橋、弁天橋(写真上方)となっています。
 なお、山﨑博昭君の死の真相は、当時から、関係者は機動隊員に撲殺されたものと訴えてきました。その後、10・8山﨑博昭プロジェクトが立ち上げられ、その活動のなかから生まれた「五〇年目の真相究明――山﨑博昭君の死因をめぐって」において、山﨑君は機動隊員の警棒による頭部殴打によって死に至らしめられたことが、ほぼ全面的といえる内容で立証されています(『かつて10・8羽田闘争があった[寄稿篇]』所収)。

10・8山﨑博昭プロジェクト 事務局



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