カメラがつぶてになるときー書評・北井一夫『過激派の時代』/佐々木幹郎

カメラがつぶてになるとき―書評・北井一夫『過激派の時代』(平凡社)

佐々木幹郎(詩人)


▲北井一夫『過激派の時代』


▲佐々木幹郎氏の書評・北井一夫『過激派の時代』(琉球新報2021年1月3日に掲載)

 「一九六四年から六八年の五年間、私は全学連と全共闘など過激派と呼ばれた学生たちの写真を、その中の一人として撮っていた」と本書の著者・北井一夫は書いている。
 警察は学生活動家たちが写っている写真のネガフィルムを欲しがっていた。フィルムが押収されると、それを証拠に学生たちが逮捕される危険があった。そうなると二度と闘争現場の写真を撮ることができない。北井氏は知人宅にフィルムとベタ焼きを預け、それも半年ごとに場所を変えながら、七二年まで隠し続けたという。
 それらの写真が本書に収められている。日本の一九六〇年代後半の学生たちによる反戦運動は、欧米の学生運動と呼応して、激しい政治の季節を生み出したが、それは政治的変革を求めただけではなく、さまざまな芸術ジャンルにも影響を与えた。写真の世界も例外ではなく、写真家たちは自らの写真の変革をめざした。その中で突出した熱量を持って学生運動の世界を撮影し、優れた人間群像のドキュメント作品を作り出したのが北井一夫だった。報道写真でも芸術写真でもない、写真のありかたそのものの変革をめざす軌跡がそこにあった。本書『過激派の時代』は、写されているのが当時の過激派の学生たちであるだけではなしに、写真そのものが過激でラジカル(根源的)であることを示している。
 なかでも六七年一〇月八日の第一次羽田闘争を撮った作品群は、京大生山﨑博昭が機動隊との激しい衝突のなかで亡くなった弁天橋の真ん中で撮られている。学生たちが装甲車の鉄製の窓を手でつかみ、曲げて破る写真、装甲車の上に乗る写真など、カメラがこのとき、機動隊に向かって飛ぶつぶてのように存在していたのではないか、とまで思わせる。当日のベタ焼き写真も収録されていて、時間系列の物語ともなっている。
 写真の根源性とは何かを、今も鋭く問うてくる写真集だ。

(ささき・みきろう)

:当プロジェクトの記念誌の出版やベトナム反戦展示などでご協力いただいた写真家の北井一夫さんの写真集『過激派の時代』が2020年10月に出版されました(本体3200円+税、発行:札幌宮の森美術館、発売:平凡社)。山本義隆さんが長めの序文を寄稿しています。詳細は平凡社のサイトをご覧ください。https://www.heibonsha.co.jp/book/b528587.html

佐々木幹郎さんによる書評は、「琉球新報」2021年1月3日付に掲載され、他に「福島新聞」(2020年12月19日)、「北國新聞」(12月19日)、「高知新聞」(12月20日)、「秋田さきがけ」(12月20日)、「山梨日日新聞」(12月27日)に掲載されました。この北井一夫『過激派の時代』を一つの時代の貴重な記念として、多くの方が購入されるようお勧めします。(事務局)



▲ページ先頭へ▲ページ先頭へ