『きみが死んだあとで』が公開される 初日と2日目

『きみが死んだあとで』が公開される 初日

会場には多くの人たちが訪れましたが、高齢者というか団塊の世代の人たちだけでなく、若い人たちがかなりいました。
 上映後、作家の三田誠広さんと代島治彦監督とのトークがありました。三田さんは、山﨑博昭君と同じ高校で活動をともにしたこともあった当時を懐かしそうに振り返り、10代の自分たちや時代を思い起すと現在の自分が刺激されたと語りました。
 要旨を記すと、高校時代の山﨑君と言えば、ハンサムで真面目な勉強家だが、デモに参加するという、少し違った優等生でした。山﨑君は高校時代に志望校を東大法学部から京大文学部に変えました。そして大学に入学し、当時の佐藤首相の南ベトナム訪問を許せば、日本はベトナム戦争の加害者になるし、その戦争に巻き込まれる恐れがあった。体を張って反対するのは、若者には当たり前のことでした。山﨑君はその先頭に立ち、強い決意があったのです。山﨑君も僕も、ドストエフスキーのような小説を書きたいと希望を抱いていました。山﨑君は死んで、僕は生きた。大手前高校時代は私の原点です。今、モチベーションを高くして、ちゃんと仕事をしたいと思う~~と力をこめて語りました。
 この対談で、映画がさらに立体的に広がったのではないでしょうか。

    
 

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公開 2日目

この日の上映後の対談は佐々木幹郎さん。佐々木さんは冒頭、観に来られた皆さんを見ると、若い人たちが多いので、たいへん感激していますと、切り出しました。そして、映画のなかでの水戸喜世子さんの語りが大事な指摘をしていると述べ、10・8救援会を立ち上げた水戸巌さんと喜世子さんご夫妻の努力、彼らのお子さんを含め、水戸一家の役割の大きさを語りました。
 佐々木さんは、「この映画は真っすぐに問いを投げかけ続けてくれる」と評し、ご自分をはじめとする10・8山﨑博昭プロジェクトの2014年立ち上げから現在までの歩みを熱っぽく語りました。記念碑の建立、2巻の記念誌の出版、そこで山﨑君の死の真相を究明しえたこと、そしてベトナム訪問、展示会開催、ベトナムの人々との交流の様子を詳しく語りました。また現在の軍事クーデターを弾劾するミャンマーの人々の不屈の抵抗と10・8が重なってみえると、力を込められました。
 佐々木さんは、10・8山﨑博昭プロジェクトが一人一人の個人の記憶を共有し、歴史を紡ごうとしてきたことを語りました。代島監督は、山﨑君たち大手前高校の当時の1枚の写真をヒントに、本作製作を構想したことを語りました。
 この映画がどのようにして成り立ってきたのかがよくわかり、映画のもつ奥深さが見えてくるような対談でした。

 

 
 

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パンフレット『きみが死んだあとで』ができました

 

パンフレット『きみが死んだあとで』は、106ページの豪華版で1200円。内容は、映画評論家の村山匡一郎さん、脚本家の小川智子さん、佐々木幹郎さんによる3本の解説、代島監督インタビュー、そして上下巻合わせて3時間20分の映画全篇の「採録シナリオ」が掲載されています。「採録シナリオ」は貴重な資料でもあります。公開劇場で販売しています。

10・8山﨑博昭プロジェクト 事務局



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