シンポジウム「高校生と大学生が語る―いまやっていること、やりたいことー」(2021年10月9日)

シンポジウム「高校生と大学生が語る―いまやっていること、やりたいことー」
2021年秋の東京集会 第二部の記録
主催:10・8山﨑博昭プロジェクト(2021年10月9日 主婦会館)


秋の東京集会での若者シンポジウム

「18歳」という共通項で時空を超える

司会::佐々木幹郎
 第二部を始めさせていただきます。第二部は小林哲夫さんの司会で若い人からの発言をやります。よろしくお願いします。

小林哲夫 「ベトナム反戦から福島の今へ」という今日の集会の第二部をこれから始めたいと思います。
 テーマは、「高校生と大学生が語る」ということで、今日は高校生と大学生に声かけまして話を聴くことになりました。
 大学4年生の伊集院さん、大学1年生の宮島さんです。今日はよろしくお願いいたします。
 「ベトナム反戦から福島の今へ」というこのシンポジウムの中で、高校生、大学生が今やっていること、やりたいこと、高校生、大学生が今日登壇することについて、若干の説明をしたいと思います。
 山﨑博昭さん、1967年に京都大学に入る前に大阪府立大手前高校に通ってらっしゃいました。山﨑博昭さんと伊集院さん、宮島さんには共通項があります。54~55年の差はありますけれど、この3人は高校生、18歳だった頃に社会と向き合っていたこと、社会の出来事に対してこれでいいのだろうか疑問を覚えていたことです。

 それがたまたま高校生だったからなのか、いろんな見方ができると思います。
 今でも昔でも、中学生、高校生が社会に疑問を覚える活動をされる、発信される方はいます。
 だからと言って、その方がものすごく頭がいいとかということではありません。もちろんそういう方もいますけれど、それだけではなくて、私たちが生まれてから物心がついて、いろんな事を学んで、いろんな事を疑問に覚えて、それで社会ってどうなんだろう、今の政治ってどうなんだろうということを考えるようになったのが、早い方でたぶん小学校中学年、高学年くらいだと思います。
 中学生くらいになると社会科を勉強しますから、今どうなっているんだろうと考える。高校生になると受験ということがあるにしても、こんな世の中、なんで俺たちこんなに貧しいんだろうといろいろ考えるようになります。
 私たち人間が生まれてから大人になる過程の中で、初めて社会と向き合った。それが高校生ぐらいの年齢だと思います。

 伊集院さんは高校時代、2015年に国会前の安保関連法案反対の集会、デモに参加されていました。それから宮島さんは最近ですが、入管問題、スリランカ人のウィシュマさんの問題で、入管法の改悪というか改定に反対する声を高校3年生の時に上げました。
 そのあたり、高校生として、まず何がきっかけで、どうして声を上げたのかというところからお話をしていただいて、それが自分たちが今どのようなことに取り組んでいるのか、それが今やっていること、やりたいことに繋がっていくのかなと考えております。
 これは強引に繋げているわけではないと思いますけれども、山﨑博昭さんも半世紀以上前の高校生の時、18歳の頃、社会と向き合っていました。
 この18歳という共通項で、宮島さん、伊集院さんにお話をしていただこうかなと思っております。

 まず宮島さんから入管問題について、何となくウィシュマさんの問題は報道では分かるという方がいらっしゃると思いますが、わかりやすく説明していただくとともに、自分がなぜ入管問題に関わったか、このあたりをお話していただきたいと思います。
 よろしくお願いします。


宮島さんが呼びかけたウィシュマさんの死の真相究明を求める
スタンディングには2人の妹さんが参加(2021年7月30日、
東京・法務省前)

高校生として入管法反対で国会前アクション

宮島 国際基督教大学1年生の宮島と申します。本日はよろしくお願いします。
 入管から一時的に収容が解かれる仮放免というものがあります。わたしの父が2009年からこの入管の仮放免の保証人をしていることもあって、入管について知ることができました。
 入管における人権侵害などについて知ったのは、今年からで、高校の卒業論文で入管問題について調べたことがきっかけです。入管における外国人の人権侵害や難民認定率の低さなどを知り、とても衝撃を受けました。そして、今年3月に入管法の「改正案」があって、その入管法改悪反対のために国会前でアクションを自ら主催し、それが活動する始まりになりました。そこから記者会見などにも登壇させていただきました。
 入管問題というと、外国人の問題なので「日本人だから私たちの問題ではないでしょう」と思う人が多いでしょう。けれど、わたしは日本に住む市民として、外国人の問題と言っても、日本社会にいる人って全員日本人ではなく、すでに多様な社会になっていると思っています。それは在日韓国人だったり、ミックスの方だったり、多様なバックグラウンドの方々が、この日本社会にいるので、そういう意味でも外国人の問題だからと目を背けてはいけないと思います。

過酷な入管の仕打ち――期限がない長期収容

宮島 入管問題は、すごく複雑な問題ですが、一番大きな問題が長期収容の問題です。
 入管に収容されている人の在留資格を失った外国人が強制送還されるまで収容される施設で、その中で収容される期間の制限が日本にはありません。欧米の国を見てみると、短くて6ケ月だったり、最高でも2年とか1年という国があります。ところが、日本は収容の制限がないので、長い人では3年や一番長くて7年と収容が長期化してしまいます。なかでも私がひどいなと思っているのが、収容されている間に、いつ出れるかわからないという、精神的な苦痛があって、家族とも引き離されていることです。

 子どもがいる外国人だと、自分の子どもといつまた会えるか分からないという、精神的に不安定な状態で、その影響で「うつ病」に苦しんだり、自ら自分を傷つけてしまったり、最悪なケースでは自殺に至ってしまいます。2017年以降入管によって記録された中では、すでに17人の方が入管施設の中で亡くなっていて、その内の5人が自殺なんです。その数からもわかるように深刻な問題です。
 私の父が仮放免の保証人をしていたので、小さい頃から仮放免の方と親密な関わりもありましたし、仮放免の方とイベントなどでお会いしたりする機会もありました。今年1月にカメルーン人女性が亡くなったんですけれども、彼女は私の英語の家庭教師をしていました。わたしは彼女が亡くなった経緯を調べたんですけれども、難民申請をしていたのですが、在留資格はありませんでした。最終的に今年1月に乳がんで亡くなったんですけれども、入管には3回ほど収容されており、何度か仮放免になったんですが、一度収容されていた時に乳がんを患っていました。この間、「胸が痛い」と職員に訴えても適切な医療を施されず、やっと仮放免になった時には乳がんが深刻になっていました。

 仮放免になっている時、保険はききません。仕事もできない、保険もきかない、移動の制限もかかっているという、自由が制限されている状況の中で、支援者のお陰でやっと乳がんの治療が受けられたんですけれども、その時はもう手遅れで亡くなってしまったんですけれども、私にとって衝撃的だったのは、在留資格が出たのは、亡くなった3時間後だったんです。
 だから、もっと早く在留資格が出ていれば、もっと早く乳がんの治療が受けられて、もっと長く生きられたのではないかと思い、すごく胸が苦しくなりました。
 それが一つ、私が入管の問題に気付かされる大きなきっかけです。そして今年、高校の卒業論文で入管問題を調べたことも大きなきっかけでした。

コロナ禍のなかで強まった学費負担

小林哲夫 わかりやすく説明していただき、ありがとうございました。
 続いて伊集院さんから、大学の問題として、昨年コロナ禍で授業がオンラインになってしまった。多くの学生が学費の問題で、これはどうなのと疑問を呈したと思いますけれども、授業料の返還等、伊集院さん取り組まれたということなんですけれど、そのあたりからまずお願いしたいと思います。

伊集院 伊集院と申します。昨年の3月、コロナ禍が日本に来て全面的に感染が拡大しました。そうした状況で大学がどういう措置を取ったかと言うと、一旦まずほとんどの大学が休校にするような形になります。キャンパスに学生も教職員も入れない、わずかな職員だけが入れるという風になった大学が多かったと思います。
 その後、大学が講義を再開しようとなりました。だけど、それも完全な形ではなくて、オンラインという形、パソコンを使って画面の向こうで講師の方が喋る、もしくは文章や動画、それから音声が送られてくるかたちでした。こうした中で、大学生がコロナ禍の中で困窮している、お金を払った分の教育を受けられていないんじゃない―――。この2つのことを理由として、大学の学費を下げてくれ、半額にしてくれという動きが全国のほとんどの大学で始まりまして、署名活動という形で広がりました。
 私もこの運動に関わりまして、実際にそれをやってみますと、個々の皆さんが大学生活を過ごされた時代から現在に至るまで、ものすごい額の変動が起きている。

 具体的には、私立大学では年間100万円以上のお金がかかるのが普通になっている状況で、学生が非常に困窮しているということがあります。
 それから入学金というものの(納付)期限が非常に早く設定されているので、2つ以上の学校を受けたりすると、受けた学校の発表が全部ある前に、最初に受かった学校の入学金を払わなければいけない、他にも休学している間にも学費を払わなくてはいけない、という現状があります。
 例えば私の大学だと、休学している時の学費の減免措置というのはほとんどなかったので、昨年くらいまでは休学中もほとんど同じような額を払わなければならないという状況がありました。

 こういった学費のいろいろな矛盾に気付かされながら、署名運動や減免を求める活動をします。基本的に署名を集めて国に提出して、国の力で大学に補助をしてくれということだったんですが、残念ながら力及ばず、一部の政党の皆さんがしっかりと動いてはくれましたが、政府与党自民党、公明党が動かない、そういう対策はしない、国会自体開かないという形で、あまりうまくいかなかったというのが現状です。
 ただ、この運動を通して見えてきたのが、大学というものが、皆さんが過ごされた時代から大きく変わってしまった。学生自治というもの、それから教職員の方が大学の運営に関わっていくという本来のあり方がだいぶ変わってしまって、一部の理事の方だけで大学の運営が決まっていく、それによって、大学の運営の中にもより営利という形が強くなってきている、という実態だったかなと思います。
 私は4年生でまもなく卒業しますが、これを次の世代にどう継承していくか、次の世代がどうやって変えていくか、を考えるのが私の役割かなと思っているんですが、様々な学費が関係した署名運動では、そういうことが分かったかなと思っています。

ウィシュマさんたち外国人支援には勇気が問われた

小林哲夫 ありがとうございました。宮島さん、3月に初めて国会前で抗議行動をされたということなんですけれども、その時の緊張感ですとか、どういう思いだったんですか?
 周りに高校生はほとんどいなかったと思いますが、自分が高校生として主催する中で、一番心掛けたこと、その辺りを思い出して話していただければと思います。

宮島 そうですね。やはり緊張していて、この問題に関わって気付かされたのが、ユーチューブやSNSなどでこの問題について検索してみると、コメント欄に外国人嫌いの人のコメントが多く見られることです。私は正直それが怖くて、この問題に対して声を上げることに勇気が必要だと思いました。支援者の方や、何十年もこの問題に関わってきた人たちと話しをしていると、やはり勇気づけられて背中を押されました。
 私の高校はインターナショナルスクールだったんですけれども、高校でも先生方が背中を押してくれてこともあって、勇気づけられたということが大きかったと思います。

小林哲夫 学校から何か言われたというか、応援してくれた言葉で印象的なものはありますか?

宮島 この入管法の改正案で大きな問題だったのが、難民申請を3回以上した難民申請者は強制送還が可能になってしまうことです。もしこれが通ってしまうと、難民申請していて、母国で迫害や殺されてしまう、あるいは刑務所に入れられてしまう恐れのある難民の人を母国に強制送還してしまうという可能性が出てしまいます。
 これは国際法のノン・ルフールマン原則に違反しています。国連の恣意的拘禁作業部会からも指摘を受けていたにもかかわらず、この法案が通ろうとしていたので、その事を先生に話した時に、先生は「これはアクション起こすしかないんじゃない」と話してくれて、私もその時は自分が何か行動したいと思っていたので、そういう風に背中を押してくれたのは、すごく勇気づけられました。

若者一人ひとりが社会問題に声を上げてこそ

小林哲夫 ありがとうございます。入管の中で多くの方が亡くなられた、これは入管の対応のひどさというかダメさというか、これは言葉を変えると「国の犯罪」なのかなと思っています。
 原発の問題もそうなんですけれども、国家というのを、今回の問題で国、政権というものに対して、宮島さんは「なんで入管法みたいなひどいものを作っているんだろう」ということに対して、国に対する思い、怒りというか、その辺りをお願いしたいと思います。

宮島 やはり日本社会というのは民主主義社会なので、政府がすべて悪いというよりかは、私たちこの社会を築きあげている市民一人ひとりには選挙権があって声があるということを忘れないことです。今シルバーデモクラシーとも言うように、私たち若者の投票率がとても低いので、若者だったり、市民一人ひとりが積極的に社会問題に声を上げていって、それを国会に届けることも大事なことだと思いますし、その声を誠実に国会議員が受け止めて、実際に政策などに反映させていくという、そういう本当の民主主義の姿勢が大事だと思います。

小林哲夫 ありがとうございます。秋入学で大学に入られて、これから通われている大学でどういうことに取り組んでいきたいか、お願いします。

宮島 大学というのは、本当に自由というか、高校と全然違うなと感じていて、やりたいと思えばすぐに行動に移せるような機会があふれていると思います。今は難民と移民の支援をするサークルを始めたいですね。
 そのほかに、ウイシュマさんの死亡事件の動画開示による真相究明と再発防止の徹底を求めていきたいと思っています。他のジェンダー問題だったり人権問題だったりとかの社会問題にも積極的に声を上げていけたらいいですね。

小林哲夫 ありがとうございます。ウイシュマさんの問題も、入管の問題でいろんな学生さんが声を上げるようになりました。もし分かるようでしたら、他大学の活動などを教えていただだきたいのですが。

宮島 この問題で皆が口を揃えて言うのは、学生が多いということです。BOND(バンド)という学生中心の入管問題に取り組むグループもあります。「ウイシュマさんの真相究明と再発防止を求める市民・学生の会」というグループが結成されて、私も一緒に活動しています。そのグループが法務省前のデモをやったり、この前は全国一斉のアクションデモを起こして、北海道から四国あたりまで、同じ日にデモをするという企画があります。東京だと200人近く集まって、本当に大きなムーブメントになっているんだなと感じています。今SNSもありますし、やはりこの問題というのは学生にとって関わりたいと思う問題なのかなと感じています。


安保法制反対で伊集院さんら高校生が呼びかけて代々木公園
から渋谷デモ3000人参加(2015年8月2日、渋谷)

多様なテーマで持続する大学生・高校生の運動

小林哲夫 ありがとうございました。学生、高校生の社会活動というと、伊集院さんはずいぶん長くかかわっています。彼は2015年安保、当時高校2年生の頃から国会前に通って抗議活動を行っていました。2015年から2021年の今日まで、学生、高校生はどんな動きをされたのか、概論的に教えていただけますか。

伊集院 私が社会運動といいますか、こういったものに参加するようになったのは、2015年の8月です。どういった時期だったかと言いますと、安保法制が成立するということで、国会前に連日市民が集まって抗議活動をするといった状況でした。8月30日に10万人とも言われる多くの市民が集まった頃に、私はこういった運動に参加しました。
 参加した理由としては、若い世代が連日そこで中心にやっていることがありまして、私の祖母は90代の戦争経験者で、平和の大切さとかそういったことを繰り返し教えられていたものです。それゆえ、戦争に加担するような国家になって欲しくないということと、戦争の被害に会うような国になって欲しくないということがありまして参加しました。
 この時に中心になっていた団体が、SEALDs(シールズ)という団体です。2015年は主導して安保法制を廃止にするという動きをされていました。このグループは、それ以前にも特定秘密保護法案の時に、SASPL(サスプル)という名前で14年くらいから活動をされていて、それ以前は脱原発でTaz(タズ)というグループをつくっていたんですが、2015年は安保法制を廃止にする、あるいは政権を退陣に追い込むんだということで、若い世代が中心になって活動をされていました。
 この時に話題になったのは高校中心でしたが、ハンンガーストライキで追い込むということをやったグループもありましたし、ノンセクトと言われるような、多数の団体や個人も同時に活動していました。これが15年、2016年くらいのシーンです。

 私はSEALDsと一緒に活動していたT-nsSOWL(ティーンズソウル)という高校生団体にいました。高校生が最初はシールズと一緒に活動していました。だが、個人情報とかの関係で、ネット右翼と言われる方から繰り返しパッシングを受けたりとか、個人情報を晒されたりですとか、画像を改変されて流されるとか、そういうことがありました。そこで、高校生を分離という方針が出された時に、分けた人たちがそれでも運動をやりたいと作ったグループになります。基本的にT-nsSOWLはSEALDsと協調して行動していました。
 2016年、T-nsSOWLとSEALDs解散して、一部は市民連合として野党共闘の方に関わるという動きをします。ReDEMOS(リデモス)というシンクタンクで政策的に訴えていくなどもしました。
 私自身は、SEALDsの後発団体として、共謀罪の問題に関わるようになり、「未来のための公共」で活動するようになります。
 これが主に2017年から2018年で、高校生、大学生の運動の中では「FREEー」という団体が学費のことをやったり、その他「直接行動」ですとか、もともとあったNGOにも高校生、大学生が多く入って、この頃から2015年ほどの盛り上がりはなかったんですけれども、いろんな運動に幅広く高校生、大学生が少しずつ入っていくような空気が出てきたかなと思っています。
 2018年、2019年の頃からジェンダーに関する運動ですとか、環境に関する運動ですとか、そういったものが少しずつ盛んになってきまして、Fridays For Future(フライデイズフォーフュチャー)とかVoice Up Japan(ボイスアップジャパン)とか、今メディアの中で結構取り上げられたり注目されることが多い団体ができ始めます。
 そこにも高校生、大学生を中心に人が集まっていくという構図が現在も続いていまして、「未来のための公共」は2019年に活動停止をするんですが、そういうような推移をたどりました。

 長々と流れを話してきましたが、現在はどうなっているかと言うと、SEALDs、「未来のための公共」を担ったグループはそれぞれ別々の現場、例えば新聞社に就職された方もいますし、新しく社会運動を立ち上げて署名サイトですとかネット署名のサイトに就職された方もいます。ユーチューブで社会運動に関するシンポジウムですとか動画を編集されたり企画されたりする方もいます。
 それ以外に、学費の運動に関しましては、オンライン授業の中で話題になったことがありまして、そこが続いているということと、NGOとかそういった運動に関しましては、以前と変わらず続いていくという状況がありました。「直接行動」というハンストをやるグループもノンセクトはノンセクトで続いていくという形で、かなりバラバラの団体に、それぞれ少しずつ人数が集まって、それぞれ20~30人ずつで高校生、大学生が活動しているというのが現状だと考えています。

戦争の歴史を語り継ぐことの大切さ

小林哲夫 ありがとうございます。伊集院さん、90代の戦争体験者の祖母からいろいろ平和の大切さについて教えられたとお話がありましたが、宮島さんはお爺さんからその辺の話を聴いたことがありますか?

宮島 私のお爺ちゃんが、長崎に原爆が落ちた時に長崎に住んでいて、原爆が落ちた場所から遠い山の中だったらしいんですけれども、原爆が落ちたのを目撃したというのを父から聞いています。

小林哲夫 最後のお尋ねなんですけれども、今日のテーマが「反戦」ということなので、戦争についての捉え方、考え方について宮島さんからお願いしたいと思います。

宮島 私が小さい頃から父に、戦争に関する映画を観させられて、私にとっては怖かったので、「観たくない、観たくない」と拒否していました。「白旗の少女」という映画だったり、いろんな第二次世界大戦の日本の沖縄だったり、長崎、広島だったり、朝ドラの第二次世界大戦中の空襲のシーンだったり、そのようなものを観て育ってきたので、「私は観たくない」とお父さんに言っても、お父さんは「これは忘れてはいけないことだから観ないといけないんだよ」と言われて育ってきました。
 今、戦争を経験した方々がいつかはいなくなってしまう社会で、平和ボケ、今の私たち同年代って平和ボケしていると思っています。なので、ずっと平和ボケしていないで、語り継がれている戦争の歴史を忘れず、ドキュメンタリーだったり映画だったり残されている資料を自分で調べて、忘れないで次世代にも残していく義務が私たちにもあると思います。

どのような社会を創っていくのかを問う

小林哲夫 ありがとうございました。伊集院さん、一部で田尾陽一さんの話を伺いましたが、その感想についてお願いします。

伊集院 一部でお話を伺いましたけれど、田尾さんが学生の時にされた運動ですとか、そういった実践もさることながら、原発事故以降の飯館村ですとか、最近の実践ですとか、そういったところが、全く私自身、今現在飯館村がどうなっているのかということを知りませんでした。
 きょうの話から、どういう形で文明と自然が向き合っていくのか、暮らしていくのか、私たちはどういうように生活していけばいいのか、また、あのような悲惨な事故が起きたということがあったにも関わらず、その後のその地域に関して私自身目を向けて行くことができていなかったということに気付かされました。
 これから社会人として(社会に)出て行くんですけれども、そういった中で、どのような社会を創っていくのかというところに、非常に大きな課題をいただいたように思いました。

同世代や大人世代と連帯して

小林哲夫 ありがとうございました。最後に宮島さんから若い世代に、これから自分たちは何をしたらいいのか、何を考えたらいいのかをお願いしたいと思います。自分たち世代の役割というか責任というか、難しい問題ですみません。

宮島 一人ひとり、今の世代って課題感というか使命感というのは違うと思うので、私の同世代全員を代表して言えるわけではないんですけれども、社会を見ると、社会問題というのは、入管とかもブラックボックス化されていて、今年までは本当に明るみになっていない問題とかもたくさんあります。
 今でもまだ明るみに出ていない問題がたくさんあるので、そういう風にブラックボックス化されていたり、隠蔽されている社会問題に気付いて、積極的に自分から、「本当にこの社会は平和なのか」と問い続けることが大事だと思います。
 このように問い続けて、自分にできることは何だろうと考えた時に、周りの同年代の方だったり、今まで社会問題に向き合い続けてきた大人の方々にも一緒に連帯して、これからの日本社会がもっと平和に近づけるように活動していけたらいいのかなと思います。

小林哲夫 どうもありがとうございました。「連帯して」ということがありました。
 今の話を締めとして「高校生と大学生が語る」のシンポジウウを終わりにしたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)

(終)



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