中塚明さんの講演を聴いて/一参加者

中塚明さんの講演を聴いて/一参加者
水上さえ(札幌市在住)

【事務局から】2021年11月20日、秋の関西集会「あらゆる戦争をなくすために」には予想を越える多くの参加者がありました。講師が歴史学者の中塚明さんであることを知って参加された方々が多くおられました。そのなかで、わざわざ札幌から若い方が参加され、感想を寄せてくれました。歴史についての認識が継承されていることに、たいへん感動します。寄稿を掲載するとともに、再度、中塚明さんの講演動画を掲載します。
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 御年92歳の歴史学者・中塚明さんが11月20日に講演されることを偶然知り、急遽一泊二日で大阪に飛んだ。

 演題は「敗戦の総括をし損なった日本―日本は朝鮮でなにをしたのか」。
 お話の中で、昭和の侵略には疑問を呈する大佛次郎などの良心的知識人といわれる人であっても、明治の侵略戦争は肯定的にみていること。朝鮮半島を蹂躙していることには無自覚な知識人が多く、それが現在さらにひどくなっていること。本居宣長や吉田松陰などを源流とする差別思想に対して、当時はそれに異議を唱え対抗する勢力が存在したが、現在はそれがほとんどなくなっていることなどが印象に残った。私の日常の実感ともつながる内容だった。
 侵略の現実を知る世代も少なくなり、根拠のない日本礼賛論や史実の歪曲が年々増しているようにみえる日本社会の中で、何十年もぶれることなくあきらめることなく研究を続けておられる講師。その力のこもった声を直接お聞きすることができ、勇気づけられた。遠くまで来てよかった。

 講演後は、徐潤雅(ソ・ユナ)さんの研究報告「境界なき連帯:富山妙子と韓国民主化連帯運動」があり、前々から関心を持っていた富山妙子さんの作品の変遷を知ることができた。富山さんの韓国での高評価と、無視し続けた日本との対比が、中塚さんの話とつながっているように感じた。

 このイベントは、「10・8山﨑博昭プロジェクト」主催による秋の関西集会とのこと。
 「10・8山﨑博昭プロジェクト」のことはまったく知らなかった。数年前に訪れた韓国では、民主化運動の過程で殺された人々の追悼集会を毎年大々的に行っていて、1987年に治安本部の拷問で殺されたソウル大生 朴鍾哲(パク・ヨンチョル)さんについては、若い人たちが会場内で専用のテントをつくり、何が起きたかを知らせていた。いつまでもその死を悼み忘れず次世代へも継承していることがすごいなと思っていたので、日本でもそのような活動があることを知ってうれしかった。

 札幌に戻って、中塚さんの『歴史家の仕事―人はなぜ歴史を研究するのか』(2000年7月刊、高文研)という本を読み始める。
 本来、歴史学とは過去の史料をもとにして研究する実証的な学問であるということを再認識した。それが今、歴史は単なる“人の考え”とみなされるようになった。丹念な歴史家たちの仕事は無視され、事実無根の歴史観が跋扈し、朝鮮学校や朝鮮幼稚園の無償化排除など、具体的な差別政策のベースとっているのは恐ろしい。

 歴史を研究する「史学科」は文学部に入っていることが多いことを考えると、数年前、政府が文系の学部をつぶしたがったのもこの流れの一環なのだろうか。

「死刑と人権 206号 さえのひまじん日記 33」に加筆

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中塚明さん講演動画



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