戦争と原発――ロシア軍のウクライナ侵攻をめぐって/山本義隆

  
図1: 東京新聞1面3月5日  ▲水戸巌著『原発は滅びゆく恐竜である』
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戦争と原発――ロシア軍のウクライナ侵攻をめぐって
山本義隆

Ⅰ.はじめに

 新聞では、プーチン指揮するロシア軍のウクライナ軍事侵攻について、連日大きく報道されています。新聞はまた、ウクライナの市民の生命と生活が危機にさらされ、家屋が破壊され財産に多大な被害がもたらされていることを詳細に報道し、言うならば人道的観点からロシアの軍事行動を厳しく批判しています。プーチンからしてみれば、対ロシアの軍事同盟であるNATO(北太西洋条約機構)の拡大が認められなかったのでしょうが、しかし軍事大国が小国に軍隊をさしむけ軍事侵攻すること、そして市民に被害がもたらされることは、もちろん許し難いことであると考えております。日本やヨーロッパにおいて市民から挙げられている戦争反対の表明、プーチン・ロシアの軍事行動糾弾については、強く支持したいと思っています。いずれにせよ、一刻もはやく止めさせなければなりません。

 しかしそのことは、かつて2003年に、ブッシュ米大統領とブレア英首相ひきいる米英有志連合軍が大量破壊兵器保有をしているとのデマにもとづいてイラクを攻撃した、いわゆるイラク戦争にたいしても当然あてはまらなければならないでしょう。今回のプーチンの軍隊によるウクライナ侵攻が主権国家にたいする軍事侵略であるならば、かつてのブッシュとブレアの軍隊のバグダード空爆で始まったイラク侵攻も、主権国家にたいする軍事侵略なのです。そしてその時も、イラクの市民に多大な被害をもたらしました。実際、40日あまりの戦争で10万人をこえるイラクの人たちが死亡したと推定されています。
 しかし今回のウクライナ報道にくらべて、イラク戦争当時のマスコミの報道の構えや視点はだいぶ違っていたし、そもそも市民にたいする報道の熱意にも随分落差があったように思われます。
 攻撃した一方はロシア、他方は米英、攻撃された一方はヨーロッパのキリスト教徒の国、他方はアジアのイスラム教徒の国、という違いであったのか、というような見方は穿ちすぎでしょうか。いずれにせよ、差があったのは歴然たる事実です。反戦思想の立場から侵略反対を語り、人道主義の立場から市民への攻撃を批判するのであるならば、そのような差があってはならないはずでしょう。
 ともあれ、ロシア軍のウクライナ国内での軍事行動が連日続けられ、その現実が焦眉の問題となっている現在、その点についてそれ以上立ち入ることは控えます。

 ここで私が何をさておいても言いたいことは、今回の戦争で、ウクライナ国内の原子力発電所(以下、原発)がロシア軍の軍事行動の対象になり、攻撃目標のひとつになっていることです。それは私がもっとも衝撃を受けたことであり、もっとも憂慮していることです。
 ちなみにウクライナには、かつてソ連時代に大事故を起こした1基を含む4基のすでに稼働していないチェルノブイリ原発以外に、現在13基の原発が稼働し、さらに4基が建設中だそうです。人口が約4千5百万人であることを考えると、結構な原発密度です。今回、ロシア軍の攻撃対象とされたサボロジエ原発は出力100万キロワット6基からなりウクライナ最大の原発です。そのことは、そこで万一のことがあればヨーロッパ全域に影響が及ぶことを意味します(ウクライナの原発事情については、大学の研究室時代の先輩である中村孔一氏に教示していただきました)。

 3月5日の『東京新聞』一面トップの見出しには「ロシア軍 原発攻撃、占拠」とあり(図1)、リードに「ウクライナを侵攻したロシア軍は四日、南部にある欧州最大級のサポロジエ原発を攻撃し、占拠した。砲撃で一時火災が発生、ウクライナの原子力当局は原子炉の安全性には問題はなく、周囲の放射線量の変化もないとしているが、稼働中の原発に対する史上初の軍事攻撃は大惨事を招く恐れがあった」と始まっています。そして同紙28面の「こちら特報部」には「ウクライナ侵攻 原発やっぱり狙われた」とあって、私たち10.8山﨑博昭プロジェクトの発起人の一人である水戸喜世子さんの「心配していたことが現実になって寒気がする」という談話が載せられています(図2)。


図2:水戸喜世子さん「原発は早く廃炉に」(東京新聞3月5日)

 その記事の最後には、政治学が専門の新潟国際情報大学の佐々木寛教授の談話として、つぎのように書かれています。

 改めて佐々木教授に取材すると「稼働中の原子炉が被害を受ければ放射性物質が放出され、極めて危険だ」と述べ、「日本の場合、内部から工作されることの脅威や外部から攻撃された際の備えが脆弱だということを多くの人に再認識してもらいたい」と訴える。

 しかしこのような言い方では、原発にたいする軍事行動のもつ本質的な問題点と深刻な危険性が十分には語られていません。
 原発は稼働中でなくても核燃料は放射線として熱エネルギーを出し続けているので、冷却し続けていないと高温になって水素爆発や水蒸気爆発を起こすのです。それゆえ発電していない時でも、必要な知識を持ち十分に経験を積んだ何人ものオペレーターやエンジニアが監視し、絶えず冷却水を注入し続けていないと、大事故に至るのです。もちろんそのためには外部電源を必要とします。したがって結論的に言うならば、原発は、使用中ないし使用後の核燃料を内部に蔵しているかぎり、稼働中であろうがなかろうが、そしてまた直接攻撃されなくとも、知識のない軍隊によって占拠されただけでも、オペレーターがいなくなった状態になれば、あるいは原発本体ではなく周辺で外部電源が攻撃され破壊されただけでも、冷却がストップして爆発に至る可能性の高いきわめて危険な代物なのです。

Ⅱ.原子力発電の問題点

 すこし詳しく説明します。
 物質は原子から出来ています。その原子の中央には原子の質量のほとんどを持つ原子核があります。原子核は正電荷を持つ陽子およびその陽子とほぼ同質量で電荷を持たない中性子からなり、陽子の数を原子番号、そして陽子の数と中性子の数の和は質量にほぼ比例しているので質量数とよびます。そしてそのまわりを陽子の数と同数の軽くて負電荷の電子が取り囲んでいます。したがって,原子全体では電気的に中性です。
 おなじ原子番号でも質量数の異なる原子核があり、それは同位体と呼ばれ、同位体には安定なものと不安定なものがあり、不安定なものは大きなエネルギーを持った放射線を放出して、別の原子核に変化してゆきます。それを原子核の「崩壊」と言います。放射線はα線(ヘリウムの原子核)とβ線(電子)とγ線(強いエネルギーの電磁波)があります。これらの放射線のエネルギーはそれぞれの原子核ごとに異なりますが、しかし、通常の燃焼つまり分子の化学反応のエネルギーに比べれば桁違いで、約100万倍大きく、したがって放射線が人体にあたると細胞を壊し、強ければ即死、弱くても癌の原因になります。つまり放射線はきわめて危険なものです。
 原子核は、とくに原子番号92、質量数235のウランと、原子番号94、質量数239のプルトニウムの場合、中性子が当たるとほぼ同質量の二つの原子核に分裂します。これを「核分裂」と言います。そのとき放出されるエネルギーは通常の崩壊のエネルギーのさらに100倍もの大きさになります。しかもこの核分裂の際には、通常2個ないし3個の中性子が放出されます。したがって、このような核分裂性の原子核を十分な密度につめると、ひとつの原子核の分裂によって生まれた複数個の中性子がさらに複数個の原子核の分裂をもたらし、そのそれぞれが同様にふるまい、このようにして核分裂がネズミ算式に広がって行きます。それを核分裂の「連鎖反応」と言います。そしてそのとき莫大なエネルギーが生まれます。

 この連鎖反応をほぼ瞬間的に行なわせる、つまり暴走させるのが原子爆弾で、それを制御しながらゆっくり行なわせるが原子炉です。原理的な違いはありません。そして原発は、その原子炉での連鎖反応のエネルギーを使って湯を沸かして、その蒸気でタービンを回して発電しているのです。通常の火力発電との違いは、湯を沸かすのに原子炉を使っているということだけで、その先のタービンを回して発電するという点では、まったくおなじです。決定的な違いは「燃料」にあります。つまりこの核分裂でできた原子核が、通常の燃料の場合の「燃えかす」つまり「灰」に相当するわけですが、核分裂の場合その量はもととほぼ同質量であり、それ自身放射性で、安定な原子核に行き着くまで、崩壊をくりかえし大きなエネルギーの放射線を出し続けます。それが「死の灰」と呼ばれているものです。つまり通常の燃料との違いは、灰が、ただの燃えかすと違って、きわめて危険な放射線とエネルギーつまり熱を何年にもわたって出し続けるということにあります。「灰」がとくに「死の灰」と言われる所以です。

 広島に投下された原爆ではだいたい1キログラムのウランが有効に使われたと言われています。したがって約1キログラムの死の灰が撒き散らされたのです。現在の大型原発の標準である出力100万キロワットの原発では、約10時間の稼働でそれとほぼ同量のウランが消費されます。ということは1年間の稼働で約1トン、つまり広島原発1000個分の死の灰が作り出されることになります。
 日本にある通常の原子炉は軽水炉と呼ばれています(軽水炉には加圧水型と沸騰水型がありますが、本質的な違いはないので、軽水炉で一括します)。軽水というのは普通の水のことで、これが冷却と中性子の減速に使われています(核燃料を少なくするには、中性子は低速の方がよいのです)。燃料としては濃縮ウランを使っています。ウラン原子核は質量数235のもの(ウラン235)と238のもの(ウラン238)があり、前者のみが核分裂反応をするのですが、しかし自然界のウランに含まれているのはウラン238が大部分で、核分裂性のウラン235はわずか0.7%しか含まれていません。これを数%にまで濃縮したものを濃縮ウランと呼んでいます。


図3:水戸巌著『原発は滅びゆく恐竜である』から転載

 軽水炉では、この濃縮ウランを細い棒状にして金属の鞘(さや)に入れて作られた細長い燃料棒を束にしたものを並べて置きます。そしてその束のあいだに金属板の制御棒が入れてあります(図3)。その制御棒を抜き取ると連鎖反応が起こり、大きなエネルギーが得られるわけです。
 しかしこのとき、燃料棒に死の灰が溜まってゆき、先に言ったようにその後も熱を出し続けるので、たとえ稼働時でなくとも、つまり連鎖反応を止めている時でも、たえず冷却し続けていなければなりません。そのためには電力を必要とします。止められている原発を電力会社が再稼働したがる理由なのです。原発はきわめて不経済な発電システムであり、その冷却は、この燃料棒を使い終わって炉から取り出した後も相当の長期間必要とされます。そのために原発には、炉の外に冷却用のプールがそなえてあります。

Ⅲ.原発の危険性

 冷却に失敗したらどうなるのか。
 その点については、先述の水戸喜世子さんのお連れ合いで、1967年10・8羽田闘争の直後に羽田救援会を立ち上げ、さらにそれを出発点に救援連絡センタ―を創り上げられた、そして同時に物理学者としては私の先輩で、早くから原発の危険性を語り、草分けの時から反原発運動を続けてこられた故水戸厳氏の著作・講演集『原発は滅びゆく恐竜である』(2014年3月刊、緑風出版)に明確に描かれているので、それを使わせてもらいます。
 水戸さんが1978年に書かれた「17の質問に答える 原子力発電はどうしてダメなのか」には次のようにあります。

 軽水炉のばあいは、冷却材である水が失われると、幸いなことに核分裂の連鎖反応は自動的に停まってしまうのですが、燃料棒内の「余熱」および燃料棒内の死の灰が出しつづける熱(「崩壊熱」)によって燃料棒被覆は10秒の間に1000℃という高温に達し、水と反応し、ここで第3の熱「反応熱」を出します。……1800℃を越えれば被覆が融け、2800℃では燃料全体が融けだします。その間に、金属と水の反応によって生じる反応熱が加速度的に加わってゆきます。こうして100トンから200トン近い燃料全体が溶鉱炉の鉄のような熔融物と化して、原子炉容器の底に崩れ落ちてゆくでしょう(「炉心溶融」)。こうなってしまえば厚さ12㎝という原子炉容器も、コンクリートの格納容器ももはや安泰でなく、発生しつづける熱や、容器内の圧力の増大によって破壊され、そこから大量の死の灰が外界に放出されてゆくことになります。(p.21)

 このように容器の底の金属さらには床のコンクリートが融けて、熔融物となった高温の燃料の塊が地面に潜り込んでゆくことが「チャイナシンドローム」と言われていますが、この点について、水戸さんの1979年の芝工大での講演「原発はいらない」ではさらに語られています。

 チャイナシンドロームというのは、まだ幸運なケースなんですね。もっと恐ろしいのは、そこまで行く前に、たとえば、ドロドロに熔けた燃料棒が原子炉圧力容器の底の水に落ち込んで、水蒸気爆発を起こし原子炉が圧力容器の蓋を吹き飛ばすことです。格納容器といって更に圧力容器の周りにもう一つ覆いがあるんですけども、その格納容器の天井をも吹き飛ばすということが考えられています。そのようなケースは、事故が始まってから数時間の間に起こると考えられています。……
 水素爆発ということも控えています。
 原子炉には非常に沢山の金属があります。当然圧力容器も金属ですし、燃料棒の鞘に使われている物も金属です。金属と水が反応する時、金属‐水反応が起こります。金属が水の中の酸素を奪ってしまって水素が分離されて水素発生ということが起ります。特に現在の原子力発電の中の燃料棒の鞘に使われているジルカロイという金属は、ジルコニウムを主体とした合金ですが、そのジルコニウムは特に水とよく反応して水素を発生させる性質があるんですね。……この水素爆発がもし、原子炉圧力容器のなかで起きれば、さっき言った水蒸気爆発と同じように原子炉圧力容器を吹き飛ばして、その破片によって格納容器も潰されてしまう、という事態が考えられます。(pp.69₋70)

 そして1986年の講演「チェルノブイリで一体何が起こったのか」で、水戸さんはさらに語られています。

 火力発電所でしたら、事故が起きたとして、重油や天然ガスの燃料供給を直ちに止めてしまえば、それですべてが終わりです。……しかし、原子力発電所は死の灰の猛烈な発熱が続いていますから、これを冷却しなければならない。この冷却に失敗すれば、直ちに炉心溶融を引き起こします。そのために原子炉に必ず備え付けられている非常用炉心冷却装置を動かします。これを動かす電源は外部電源です。原子力発電所というのは非常に停電に弱いということは大変皮肉です。発電所が停電に弱いというのはおかしな話なのですが、非常に弱いわけです。外部の電源が断たれると、原子力発電所はものすごいことになっていくわけです。 (p.135)

 ところが11年前、2011年3月11日の東日本大震災の際の東電・福島第一原発の事故では、すべての外部電源が断たれ、津波で非常用電源が使えなくなり、まさに30年以上も前に水戸さんが「予想される最悪のシナリオ」「ものすごいこと」と語った通りのことが起きたのです。冷却水の補給が途絶え、核燃料は熔け落ち、翌12日には1号機で、14日には3号機で、格納容器内で水素爆発が起こり、格納容器と建屋の屋根を吹き飛ばし、大量の死の灰を撒き散らしたのです。そして1号機、2号機、3号機の核燃料はすべて熔融したのです。
 以上の水戸さんの水素爆発の危険性の指摘の対極に、1986年のチェルノブイリ原発事故にたいする通産省資源エネルギー庁、梅沢原子力発電課長の次の発言があります。

 日本の原発ではまったく考えられない事故です。即ち日本の原発では、非常用冷却装置で水を送り込みますので、燃料棒の過熱や水素ガスの発生は考えられません(1986年5月30日東京放送、 水戸前掲書p.145より)。

 そして東京電力もまた、2002年と2004年の福島第一原発などについてまとめた評価報告書で、水素爆発を「考慮する必要がない」と判断していたのです(『東京新聞』2011.4.17)。
 日本で原子力発電を推進してきた中央官庁の官僚や大電力会社の経営陣が、いかに外からの批判や指摘に耳をふさぎ、自分たちに都合の良い部分のみを語ってきたのかということ、それにひきかえ、水戸さんが現実をどれほど冷静かつ批判的に、そして明確かつ深刻に見抜いていたかが、じつによくわかります。

Ⅳ.ウクライナの戦争について

 以上、駆け足で見てゆきましたが、原発において、冷却水の供給停止と、その原因となる外部電源の喪失がいかに危険なことがわかっていただけたと思います。ウクライナの原発は、まさにその重大な危険に直面していると思われます。3月10日の新聞の見出しでは、『朝日新聞』では「チェルノブイリ電力途絶」、『毎日新聞』では「露軍 原発の電力切断 チェルノブイリ燃料貯蔵庫 ウクライナ側発表」とあります。「途絶」つまり事故によるものなのか「切断」つまり意図的なものなのか、真相は不明ですが、きわめて危険な処に来ていることは確かです。

 ちなみにチェルノブイリ原発は、全4基でそのうちひとつが1986年に大事故を起こし現在は「石棺」と呼ばれるコンクリートで固められ、その上をさらに鋼鉄製シェルターで覆われている状態あることが知られていますが、『毎日新聞』によると、残りの3基は2000年までに稼働を停止し、使用済み燃料は貯蔵施設で冷却されていたとあります。ということは死の灰を含む使用済み燃料は、20年以上も冷却が必要とされることを意味しています。この施設が停電でどのような状態になるのか、一貫して原発推進の立場にあり、つねに原発事故を低く見る傾向にあるIAEA(国際原子力機関)は、「重大影響なし」と表明していますが、額面どおり受け取ることは困難です。決して楽観できるものではないでしょう。


図4:毎日新聞3月10日(夕)

 それどころか、『毎日新聞』10日の夕刊には、「ザポロジエ原発 データ途絶」とあり(図4)、IAEAがザポロジエ原発で、核物質を監視するシステムのIAEA本部へのデータ送信が途絶えていると明らかにした、とあります。事態はかなり深刻なように思われます。

 くりかえしますが、原発は、直接攻撃を受けなくとも、占拠され、施設のオペレーターやエンジニアが作業できない状態になるだけで、あるいは外部電源を遮断されるだけで、危機に直面するのです。もちろん施設のコンピュータに対する外国のハッカーからのハッキングということも予想されます。そしてその広い意味を含めて、核施設への攻撃は、それ自体が核戦争の一形態と見なければならないでしょう。先に触れた3月5日の『東京新聞』の「こちら特報部」には、弁護士河合弘之氏の「戦争が起きたときに、安全保障上の最大の弱点が原発であることが今回、改めて分かった」との談話が載っています。今回のロシアの軍事行動は、21世紀の戦争のひとつの焦点がそこにあることを明らかにしました。その意味で、海岸線にいくつもの原発を造っている日本は、きわめ無防備な状態にあると考えなければなりません。しかしそのことは、軍事力の強化でもって解決できる問題ではないのです。解決策は原発使用からの撤退しかないのです。

 しかしこのような状況を前にして過剰に危機を煽り、それに乗じて問題をきわめて一面的な形で提起し、どさくさまぎれに自分たちの都合の良いように軍事力の強化を叫ぶ人たちがいる事には、注意しなければならないでしょう。その最たるものが、安倍元首相による「核の共有」つまり米国の核兵器の日本国内への持ち込みと配備の主張です。率直にいってそれは、日本がアメリカの軍事戦略により一層強く組み込まれることであり、東アジアの緊張をより高め、日本により深い危機をもたらすことにしかならないでしょう。岸田現首相はさすがにそれを否定したものの、しかし自身では「敵基地攻撃能力の保持」などと、憲法9条の厳密な解釈に反するばかりか、これまでの自民党自身の解釈にさえ抵触することを口にしています。通常の法律は一般の国民を縛るものであるが、しかし憲法は権力者を縛るものであるという原則を、この際あらためて確認しなければなりません。
 いずれにせよ、危機に際してまずもって軍事力のエスカレートで対処するというのは、もっとも低次元の発想であり、もっとも知恵のない反応なのです。
 そしてそのような形で、一方の国の軍事的エスカレートが他方の国の更なる軍事的エスカレートの口実を与えて、結局危機を更に深化させたという例を、私たちは20世紀の歴史でいやというほど学んできたのです。

 今回の問題でも、何もないところから起ったわけではないでしょう。米国主導の軍事同盟であるNATOへのウクライナの加盟問題が、プーチンの過剰反応の引き金になったことは事実です。プーチンの反応があまりにも過剰であり、到底許されないものであるにせよ、ウクライナのNATOへの接近、あるいはNATOのウクライナへの拡大の背後に米国の軍事戦略を見ているプーチン・ロシアの危機感を高めたことは、否めないでしょう。
 国家間の軋轢という問題を考えるときには、自国側からだけではなく、相手国側から見る、さらにはその他の周辺の国から第三者的に見るということが重要なのです。その点では、少なくともかつて東アジアを軍事侵略した日本が、戦後の東アジアでそれなりに存在してくることができたのは、「国際紛争解決の手段として武力を用いない」と謳った戦後のいわゆる平和憲法があったからなのだということを、忘れてはならないでしょう。為政者がみだりに軍事力のエスカレートを口にすることに対しては、民衆の側から厳しい目を向けなければなりません。権力の座にある者は、憲法を順守しなければならないのであり、みだりに憲法に反することを口にしてはならないのです。その点では、岸田首相の発言に対するマスコミの報道はきわめて甘いと言わなければなりません。

Ⅴ.原発についてもう少し

 水戸さんの書にそって原発について語ったので、ウクライナ問題を離れてもう少し続けます。先に、過剰に危機を煽り、それに乗じて問題をきわめて一面的な形で提起し、自分たちの都合の良いように軍事力の強化を叫ぶ人たちがいると語りましたが、同様なことが、地球温暖化と気候変動が問題とされるのに乗じて、「炭酸ガスを発生しない」原発が「地球温暖化対策の切り札」であるかのような宣伝にも見られます。たとえば東京電力が発行している『原子力発電の現状』の2004年版には「原子力発電は核分裂によって生じたエネルギーにより発電するもので、燃焼を伴わないため、発電過程においてCO2 〔炭酸ガス〕…… などを発生させないことから、地球温暖化の防止の観点で優れた方法の一つと言えます」(p.25)とありますが、それは、自分たちに都合の悪い面をまったく無視した議論なのです。
 そしてこのような宣伝が、原発使用の現実とおよそかけ離れたものであることを早くに指摘していたのが、先に見てきた水戸さんの書だったのです。
 そもそも原発は、熱効率、つまり加えた熱のどれだけが電気に変わるのかの割合が他の火力発電にくらべて悪いことが知られています。これは、熱力学の理論により基本的には作動温度で決まるのですが、通常の火力発電では40%を超えているのにたいして、原子力発電では30% 程度。つまり1単位の電力を生むためには、通常の火力発電でせいぜい2単位余りの熱が必要なのにたいして、原発では3単位を越える熱が必要とされます。したがって原発ではその差2単位強の熱、つまり発電量の2倍以上の熱を環境に棄てているのです。
 水戸さんの書に書かれています。

 原子力発電所は、核分裂で発生したエネルギーの約3分の1を電力に変えるだけで、残りの約3分の2は、海へ棄ててしまっている。100万キロワットの発電所は、その2倍の200万キロワットに相当する熱を海に棄て、海水の温度を上げてしまっている。これは、直接に漁業を脅かすだけでなく、地球全体の熱汚染という立場からも無視できない問題になってきている。(「原子力発電所 ―― この巨大なる潜在的危険性」1975, p.182;「17の質問にこたえる 原子力発電はどうしてダメなのか」1978, p.46, 「原発はいらない」1979、p.68、参照)

 この書の「まえがき」に小出裕章氏が「たとえば、原子力発電所と呼ばれているものが、正しく表現するなら“海温め装置“であると、私は水戸さんから教えられた」と書かれているとおりです(p.5)。
 のみならず水戸さんのこの書には、さらに「本質的に、決して原子力発電というのは石油の代わりにはならない……。原発を作るためには大変な量の石油が必要である。……つまりコンクリートを作り、鉄を作り、濃縮ウランを作る、そのために膨大な石油を使ってしまう」(「原発の事故解析と災害評価」1983, p.264)とあります。炭酸ガスの発生という点で見るならば、「原子力発電は炭酸ガスを発生しない」というのは、原子核の核分裂の局面においてのみ語り得ることで、その核分裂を起こさせるためには、自然界からのウラン鉱石の採掘から運搬、精錬、濃縮の過程、さらには原子炉と付属建造物の建設までの過程が必要で、そのためには多大なエネルギーを要し、そのすべての過程で多量の石油を消費し、多くの炭酸ガスを発生させているのです。
 以前に原子力発電についてのドイツの記録映画を見たことがありますが、アフリカのウラン鉱山でのウラン鉱石採掘現場では、巨大なすり鉢型の露天掘りの鉱山から巨大なダンプカーで鉱石を運び上げる様子が写されていましたが、そのマンモスダンプカーは寸法でいって通常のダンプカーの4~5倍、体積でいって20倍くらいという巨大なもので、それは、単に油井からポンプで汲み上げパイプやタンカーで輸送するだけの石油にくらべて、ウランでは採掘から運搬に至るまで多量のガソリンを必要とすることを象徴しているものでした。ちなみにそのような労働は、当然、危険な被曝労働と思われますが、それはすべて現地の労働者に負っているのです。

 それだけではありません。中性子は電荷を持たないため、原子核に直接接する以外には、原子や分子とは反応せず、したがって簡単に物質を通過してしまいます。それゆえ原子炉から大量に発生する中性子やその他の放射線が外部に漏れないようにするためには、原子炉建屋の壁はきわめて厚くしなければならないのです。それがどれ程のものかと言うと、先述の東京電力発行の冊子には「格納容器の外側は、2次格納容器として約1~2メートルの厚いコンクリートで造られた原子炉建屋で覆い」とあります(p.76)。厚さが1ないし2メートルのコンクリート壁で出来た巨大な構築物の建造に要するセメントは膨大な量であろうと考えられますが、そのセメント(ポルトランド・セメント)は、主要に炭酸カルシウム(CaCO3)より成る石灰石を粉砕し、加熱して炭酸ガス(CO2)を放出して得られる酸化カルシウム(CaO)を主成分とするものなのです。つまりセメントは、その原料を得るために山を切り崩す過程で多くのエネルギーを要するのは勿論のこと、その製造そのものの過程で多量の炭酸ガスを直接生み出しているのです。

 こういった事実をすべて語らずに、核分裂では炭酸ガスが発生しないということを原子力発電そのものの特徴であるかのように主張するのは、まったくのまやかしなのです。リニア中央新幹線の問題でも、建設過程を一切捨象して、環境への被害がないといった議論がなされていますが、この手のまやかしを明確に暴き出さなければなりません。

 水戸さんの書に触れたので、もうすこし見ておきます。この書は、原発についてのこのような技術的批判にとどまらない、文明史的な議論に及んでいるからです。1979年の講演「原発はいらない」で水戸さんは語っておられます。

 原子力産業、原子力発電所の中の労働者の被曝の状況、労働条件、これは人間がやる作業でないことを実際にやらされているわけです。…… 現代の科学技術を、我々はがむしゃらに推進してきた。いままでの科学技術のあり方というのは、あまりにも自然に反している。あたかも自然から遠ざかれば遠ざかる程それが技術であるかのように錯覚してきたけれども、それは科学技術の時代史の最も原始的な時代であるのです。アトミックという意味ではなくて、最もプリミティブな時代であると思います。これからの科学技術というのは、もっと自然と調和した科学技術、それこそが科学技術の黄金時代であると私は思います。…… そういう風に考える時、現在の石油浪費の文明に対してやっぱり根底的な批判が必要だと思います。現代の工業文明に対する批判が必要だと思います。(pp.82‐83)

 今でこそ多くの論者がこのように語っているけれども、1979年と言えば、日本の高度成長の余韻が残っていた時代であり、水戸さんの先駆性を知るべきでしょう。
 こうして1978年の論考「原子力発電は永久の負債だ」で、水戸さんは言明しておられます。

 原発は、原水爆時代と工業文明礼賛時代の終末を飾る恐竜(亡びゆくもの)である。原発は、古い時代の科学技術 ―― 自然と人間の敵対、民衆の手に届かぬものとして民衆を支配する手段としての科学技術のシンボルである。(強調山本 p.215)

*      *      *

 大分脱線してしまったので、戦争と原発の議論に引き戻して、この一文を閉じたいと思います。
 原爆(原子爆弾)そして水爆(水素爆弾)が出来てのち、大国アメリカとソ連が核兵器競争をしていた20世紀後半には、核戦争の危険は、その2大国間の直接的な対立を背景に語られていました。しかし、世界中に多くの原子炉が建設されるようになった現在、核戦争の危険は、小国にたいする局地的な戦いの中で、原子炉を巻き込んだ形で成されるという可能性があることを、今回のロシア軍のウクライナ侵攻が明らかにしました。そのことは、反原発運動のより一層の広がりの必要性と緊急性を示しています。そういう内容を込めて、ロシアのウクライナ侵攻に対する反戦運動は語られなければならないと思われます。

東日本大震災11周年の3月11日

 

「戦争と原発」への補足

1.原発の燃料について

東京電力の『原子力発電の現状』2004年版には「原発がいかに優れているか」を示すために、つぎの比較がなされている。

100万キロワットの発電所を1年間運転するために必要な燃料
 濃縮ウラン 21トン   10トントラックで2.1台分
 天然ガス  97万トン  20万トンタンカーで4.9隻分
 石油    131万トン  20万トンタンカーで6.6隻分
 石炭    236万トン  20万トン貨物船で11.8隻分

 同様の比較はあちらこちらで見られる。しかし、私たちはこの背後に隠されているものを見抜かなければならない。
 出力100万キロワットの原発では、1日稼働させるためには約1キログラウのウラン235が直接必要。実際には、熱効率が30数%ゆえ、その3倍の3キログラムが必要で、年間稼働日330日として、年間約1トン。以上は大概の文献に記されている。
 以下、年間必要量で考える。
 実際のウラン燃料は、ウラン235を3~5%含む「濃縮ウラン」よりなるので、「濃縮ウラン」の必要量は、

3%のもので  1トン×(100÷3)=33トン
5%のもので  1トン×(100÷5)=20トン

 東電の冊子に書かれているのは、この値である。
 ところが自然界のウランでは、ウラン235は0.7%で、残りの99.3%は核分裂をしないウラン238。したがってこれだけの「濃縮ウラン」を作り出すために必要な自然界のウランは、

3%のもので  33トン×(3÷0.7)=約140トン
5%のもので  20トン×(5÷0.7)=約140トン

 実際にはこれよりもう少し要るようで、文献によると190トンと書かれているものもある。工程に無駄があるのだと考えられる。だから以下では150トンで考えるが、現実はこれより多いとい思われる。どちらにせよ、大体のところは変わりないであろう。
 ところでウラン鉱石は1キログラムあたり1グラム以上ウランを含んでいれば採算が合うとされている(Ponomarev『量子のさいころ』澤見英男訳, 1996 シュプリンガー・フェアラーク、p.264)。だから最低品質より少し良くて平均で1キログラムあたり1.5グラムのウランを含む鉱石の場合とすれば、150トンのウランを取り出すためには必要な鉱石は10万トン。
 実際に鉱山から鉱石を掘り出すためには、その20倍の岩石や土砂を取り出す必要があるとされているので、実に200万トン程度の岩石や土砂を掘り出さなければならない。正確には200万トンが150万トンになるか300万トンになるかもしれないが、大体のところは変わりない。これが、上記の東電の冊子に書かれていることの背後に隠されているものである。
 ポンプで原油を汲み出すだけの石油や天然ガスにくらべれば、燃料を獲得するためだけで、どれほど多くのエネルギーを必要とし炭酸ガスを生み出しているかが想像できるであろう。

2.原発の温排水(または「温廃水」)について

 通常100万キロワットの原発では、周囲の海水より7度高い温排水を毎秒約70トン棄てている。これは一級河川の流量に匹敵。
 九州電力の川内原発は川内川河口に2基で、その2基で排水量は計毎秒133トン、これは川内川の平均流量 毎秒108トンを上回っている。
 同様に、九州電力の佐賀県の玄海原発では、九電の公表では「原発稼働時の温排水放出量は1,2号機で毎秒74トン、3,4号機で毎秒164トン」。

水口憲哉「温廃水と漁民」『科学』1985年8月、中野行雄・佐藤正典・橋爪健郎『九電と原発1』(南方新社、2009)p.47, 『東京新聞』2014年3月11日。

3.発電システムの熱効率

石油火力  39.8%
LNG火力  48.0%
石炭火力  41.2%
原子力   34.5%
         資源エネルギー庁「原子力2003」より

 ただしこれは2003年のもので、福島の事故以降、技術開発が進んでいるので原子力以外の熱効率はもっと上がっていると思われる。

2022年3月16日
山本義隆



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