沖縄から深刻で豊かな訴え、7月1日大阪集会の感想/水戸喜世子
10・8山﨑博昭プロジェクトの発起人のお一人である水戸喜世子さんから,7・1大阪集会の感想文を頂戴しました。皆さまと共有したいと思います。(関西運営委員会)
沖縄から深刻で豊かな訴え、7月1日大阪集会の感想/水戸喜世子
10・8の集い関西が 昨日7月1日、エルおおさかで開かれた。
1967年、18歳で反戦デモの中で亡くなった一人の学生・山﨑博昭(京都大1回生)を忘れない、という事で、大阪では年2回の集会を開いている。私は呼びかけ人の一人でありながら、このところ、定例会議にも、欠席続きであることをお許しいただいている。
どうしても高齢者に偏りがちであることを自戒して、現代史に関心のある若い研究者に参加を呼びかけ、登壇をお願いしてきたが、今日は、メインゲスト金城馨さん(関西沖縄文庫)のご紹介で、沖縄を「自分ごと」として考え、行動している若いお母さん、松本亜希さんのお話が聞けたのは、とても嬉しいことだった。
幼少期、被差別部落の地域の保育園に通ったのが「差別」を学ぶきっかけとなり、成長してアジアに旅する機会があり、その時、日本人は沖縄を知らないのではなく、自分自身を知らないのだ、と気づいたという。
緊迫した沖縄の現状は、関心を持つ者にとっては、すでに語り、聴く段階ではなく、本土の一人ひとりが、どれだけ 自分ごと として受け止め、行動に移れるか、それが問われている段階だと、多くの人が思い始めている。
松本さんも代島治彦さんの映画『きみが死んだあとで』(2021年公開)を観て、山﨑博昭が弁天橋に駆け付けずにいられなかった切羽詰まった気持ちに、共感を感じたと言う。彼女の場合は、沖縄の女・子どもへの米兵による性暴力が衝撃的な契機となって、行動しなければと思ったという。基地を背負う差別は、日本人として、沖縄だけには、背負わせてはならない、という考えにたどり着き、試行錯誤を重ねて「基地を引き取る行動・大阪」に辿り着いたという。立ち上げて8年。目に見えた成果はない。様々な批判を浴び続けている。学者の話を聞いたり、考えてきたが、答は出ていない。
しかし「違和感」こそ、仲間を増やすこと、めんどくさいやつだと思われたい、めんどくさいことをやるという、中村之菊さん(右翼の活動家)の言葉に共感を寄せる、と語る。
同じ考えを持つ者同士で話していないか?と自戒を込め、聞く者たちにも、その問いを投げかけられた。金城馨さんのお話も、長いご苦労の中から紡ぎ出された思索の中から滲み出る思いが伝わってきて、襟を正す思いがした。
・「沖縄を理解する」ことのまやかし〜〜日本人に理解してもらいたい。その結果日本語を使い、沖縄の言葉を失う? 沖縄を隠す、恥とする。日本に合わせる。
・平和でない方が良い〜〜「異端」が排除される〜〜平和に近づこうとすることが大事ではないか?
・自分たちの運動も広がっていない。 どうしてだろう。皆さんの意見を聞かせて欲しい、と。
対話をしましょう、というお二人の呼びかけをいただいた講演会となった。
続いて、自衛隊の演習場のある日本原で牛飼いをされている内藤さんが痛む足を庇いながら登壇されて「殺された糟谷孝幸君の事が、少しは、知られるようになって嬉しい」と報告された。(糟谷孝幸君は1969年11月13日の佐藤訪米阻止闘争・大阪扇町で機動隊の警棒乱打によって虐殺された。享年21)
機動隊の水平打ちで殺された東山馨君の調査を進めている若い研究者から、順調に進んでいるとの報告があった。(東山薫君は、1977年5月8日、三里塚闘争で機動隊の催涙弾直撃によって虐殺された。享年27)
最後に、10・8山﨑博昭プロジェクト事務局長の辻恵さんから、韓国の「烈士の墓」のように、埋もれた権力の犠牲者を歴史の明るみに出せるよう、更に発掘する作業を進めようという呼びかけがあり、閉会した。
聴力障害のある者の聞き取りです。聞き間違いがあるかと思いますが、この日の私の感想です。
水戸喜世子