№3(2016年10月8日):ベトナム・ホーチミン市での「ベトナム反戦闘争」展、「モニュメント」建立地の経過について 他

10・8山﨑博昭プロジェクト・ニュース(№3)

2016年10月8日  発行・「10・8山﨑博昭プロジェクト」事務局
(104-0061)東京都中央区銀座8-10-6 銀座MEビル3F
東京銀座総合法律事務所内 FAX: 03-3573-7189、Eーmail:monument108@gmail.com
http://yamazakiproject.com/

< 3つの事業計画の進展 >

2016年4月から10月までの「10・8山﨑博昭プロジェクト」の活動記録と今後の予定を「ニュースNo.3」 としてお伝えします。この10月で50周年まであと1年となりました。

<3つの事業計画> ➀モニュメントの建立、➁記念誌の刊行、➂ベトナムホーチミン市「戦争証跡博物館」 への展示も苦労しながらそれなりに進展してきました。今回はプロジェクト立ち上げ以来初めての発起人・ 賛同人会議(10月8日)を開催します。この秋から新たに「ベトナム戦争証跡博物館」の展示成功のため のクラウドファンディングを始めました。ひとえに反戦の炎を絶やさないために、応援の輪が広がるよう、 友人・知人に働きかけるなどみなさまのご尽力をお願い致します。
< ご挨拶 > 山﨑建夫(10・8山﨑博昭プロジェクト代表)

1968年、10・8の一周年で上京した母と私が三里塚を訪ねた時、戸村一作 さんの自宅で「山﨑博昭君の霊に捧ぐ」『真理と自由』と題する鉄材を使った 彫刻を見せて頂きました。戸村さんは三里塚闘争の優れたリーダーである と同時に、キリスト者であり二科会のアーティストでもあったのです。弟の 死にこのように対する人だったのです。この作品と『闘う大木よね』の二作 品を京都の「ベトナム反戦闘争とその時代」展に展示できる事になりました。

6月の東京展では、若い人たちも沢山来場され、自分たちの生まれるずっ と前の若い世代の闘いの写真や資料を食い入るように見つめる姿に出会い ました。ヒットラーに学ぶ政権の動きに異を唱える様々な人々の動きに、 かつてのベトナム反戦闘争の高まりが重なります。私たちの運動もその一 助となればと思っています。

▲戸村一作氏の作品「真理と自由」の前で

▲2015年10月10日、弁天橋 献花

 

◎ イベントのお知らせ ◎

東京

10月8日(土)10時30分~羽田弁天橋山﨑博昭追悼/献花と黙祷

同日14時~ 発起人・賛同人会議/四谷 主婦会館7Fカトレア

同日18時~ 第5回東京講演会「羽田闘争とベトナム反戦から考える―この国家どうする―」

/四谷 主婦会館9Fスズラン

・高橋武智「ジャテック活動を今振り返って」(元ベ平連/ジャテック)

・中山千夏「さらにひどい国家 どうする?」(作家)

関西

10月19日(水)~24日(月)「ベトナム反戦闘争とその時代」展/京都精華大学ギャラリーフロール

10月21日(金)山本義隆講演会「近代日本と自由ー科学と戦争をめぐってー」/京都精華大学

11月26日(土)上野千鶴子講演会「2015年夏 日本は変わったか?」/大阪駅前第3ビル17F ・TOGホール

後半/上野千鶴子インタビュー ◆ 聞き手・西村秀樹(ジャーナリスト)

■ベトナムでの「日本のベトナム反戦闘争とその時代」展の実現へ ~~クラウドファンディングへのご協力のお願い

10・8山﨑博昭プロジェクト事務局/2016年9月8日

1)

8月8日、クラウドファンディングサイトREADYFOR にて、10・8 山﨑博昭プロジェクトのベトナム・ホーチミン市「戦争証跡博物館」 における山本義隆監修「ベトナム反戦闘争とその時代」展を実現するため の費用を集める試みをスタートさせました。「日本の『ベトナム戦争とその 時代』展をホーチミン市で開催!」をご覧下さい。

https://readyfor.jp/projects/AntiVietnamWarMovement

10・8山﨑博昭プロジェクトは、2014年の発足当初、二つの事業(モニュ メント建立、50周年記念誌刊行)を掲げ、広く賛同人を募り、賛同金のご 協力を訴えてきました。

さて、当プロジェクトの三つ目の事業として、ベトナムでの「日本のベ トナム反戦闘争とその時代」展の開催が加わりました。これはプロジェク ト活動の過程で当初事業の発展として新たに具体化した事業です。そのた め、ベトナム展企画実現の資金はプロジェクト賛同金と切り離して、独自 の会計とすることにしました。151万円を目標額、11月4日を締め切り期 限とするクラウドファンディングを始めた次第です。

2)

ベトナム展企画について、わたしたちは当初、10・8羽田闘争と山﨑博昭に係る資料類の展示と考えて いましたが、ホーチミン市「戦争証跡博物館」の女性館長(HUYNH NGOC VAN フィン・ゴック・ ヴァン)からの強い要望があり、企画を拡充いたしました。

同館長は、日本での反戦闘争の歴史を総括した展示会を開催して欲しいと希望されています。1960年代・ 70年代のベトナム戦争当時、日本の若者たちが果敢に闘った反戦闘争の現実を現在のベトナムの若者たち に知らせて欲しいとの趣旨です。

そのため企画は、樺美智子、山﨑博昭ほか、日米安保条約に反対しベトナム侵略戦争に反対した当時の三 派全学連やべ平連など若者たちの行動、各地の市民運動、沖縄での島ぐるみの営々たる反戦・反基地の運動 を同館を訪れるベトナム人やアメリカ人など世界各地の人々が末永く記憶・伝承できるものにする予定です。

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ネットが不慣れという方には、事務局代行の方法をお勧めします。

事務局が用意する振替用紙をご使用下さい。通信欄に「ベトナム展企画を支援」あるいは単に 「ベトナム」とお書き下さい。*郵便番号、*おところ、*おなまえ、*電話番号ないしメールアド レスを明記して下さい。

*5,000円コース/リターンはCD「輓歌」、*1万円コース/CD「輓歌」、山本義隆著『私の 1960年代』)、*10万円コース/CD「輓歌」、山本義隆著『私の1960年代』、ベトナム展示会 オープニングセレモニーとパーティーご招待[運賃宿泊費は自費])があります。金額はこれに合 わせて下さると助かります。とは言え、1,000円、2,000円のかたも大歓迎。払い込みを確認し次 第事務局が責任をもって処理いたします。

プロジェクト賛同金に重ねてのご協力のお願いをいたします。

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■クラウドファンディングへのQ&A

 “反戦の国際的ネットワーク”づくりをめざして

Q:「日本でのイベントならばよく理解できますが、なぜベトナムで、なのでしょうか? ベトナム人または旅行者が見て、何が生まれるのでしょうか?」(アメリカ在住の「10・8山﨑博昭プロジェクト」賛同人)

A:なぜ、ホーチミン市の「戦争証跡博物館」で、日本の1960年代から1975年までのベトナム反戦 闘争の展示会を開催するのか、その意義は何か、ということについて、お答えします。

第一に・・・ アメリカによるベトナム戦争について、重大な長期にわたる世界史的出来事でありながら、現 在のベトナムの若者たちがその歴史を知らない、ということがあります。自国のかつての解放闘争の歴史を 知らないばかりか、当時の世界各地でのベトナム反戦闘争も知りません。そのことは、日本の現在の若者に おいても同様です。

2015年夏、わたしたちはホーチミン市の「戦争証跡博物館」を訪ねました。その時、館長から、日本での反戦闘争の歴史を総括した展示会を開催して欲しいと依頼されました。1960年代・70年代のベトナム戦 争当時、日本の若者たちが果敢に闘った反戦闘争の現実を、現在のベトナムの若者たちに知らせて欲しい、というのが館長の趣旨でした。そして、当時の日本の若者たち(私たちのことです)と、現在のベトナムの 若者たちとで、討論する機会を作って欲しい、とも依頼されました。 2017年に「戦争証跡博物館」で、わた したちの展示会を開催します。それが終わった後、ベトナム全国の大学で巡回展をすることになっています。 それがベトナム側から、わたしたちへの要望でした。

第二に・・・  これまで「戦争証跡博物館」で紹介されていた日本のベトナム反戦闘争の歴史は、日本共産党 とベ平連の資料だけでした。当時のいわゆる三派全学連の学生運動や反戦青年委員会、労働者、市民のラディ カルな運動は紹介されていません。もちろん、1967年10月8日の第一次羽田闘争のことを、館長自身もまっ たく知らなかったのです。わたしたちが持参した写真など資料を見せたとき、「こんな激しい反戦闘争が日 本であったとは!」と驚かれ、感動されたのです。また、沖縄での島ぐるみの営々たる反戦・反基地の運動 や各地の在日米軍基地での反戦闘争も、ベトナムの人々には、これまで何も知らされていません。

これらのことは、日本でベトナム反戦闘争を闘った、わたしたちの責任でもあります。「10・8山﨑博昭プ ロジェクト」は、このことに、できうるかぎり、全力で応じることにした、というわけです。日本でだけで はなしに、ベトナムでも、同じ「ベトナム反戦闘争とその時代」展をやる、ということ。実は、ベトナム側 の依頼に応じるために、その準備段階とし、日本で展示会を先行して開催したとも言えます。

同じようなことは、アメリカでもあるのではないでしょうか。現在のアメリカの若者たちは、自国のベト ナム戦争の歴史をどの程度知っているでしょうか。また、自国と他国の当時の反戦闘争の歴史を果たしてど こまで知っているでしょうか。  「戦争証跡博物館」を見学する旅行客で、最も多いのがアメリカ人です。しかもリピーターが多いのです。 彼らにも、わたしたちの展示会を見てもらおうと思っています。「何が生まれるか」―反戦の思想は国境を 越えて共振します。そこに未来への可能性がある、と考えています。

◆ 以上の返答に対して、質問された方から「『反戦の国際的ネットワークをつくる』というのは、大変意義 深いと思います。そのためのクラウドファンディングでしたら、ぜひ協力します。」という、とても嬉しい お返事をいただきました。  「反戦の国際的ネットワーク」という言葉は、わたしたちの本意でもあります。この言葉をいただいて、 わたしたちは強く勇気づけられました。どうか、本クラウドファンディングへのご支援、ご協力を、よろし くお願いいたします。

◎「モニュメント」建立地の決定と、決定にいたる経過報告 ◎

「10・8山﨑博昭プロジェクト」が2014年7月に発足した当初、羽田・弁天橋近くの民有地に山﨑博昭を追 悼する記念碑を建てることを目指していました。しかし、以下の理由によってその実現は難行し続けました。

➀3~4坪の小さい土地は売ってくれない。➁広い敷地の場合は高額であり、またわたしたちの目的を聞 いて拒否される。➂たとえ高額でも売買が成立した場合、どのように永久に管理する体制を作るのか(だれが 管理するのか)。➃小さな反戦記念館を作り、公園も併設し、区に寄付するという企画も考え、記念碑建立費 に特化した高額寄付を募る特別な活動もしましたが、失敗に終わりました。

その間、東京オリンピックに向けての土地開発事業が進み、民間の所有地はどれも値上がりが続き、新しい 候補地(地元の人に協力者が現れ、探して下さったのですが)も、あきらめざるを得ませんでした。今後、弁 天橋近辺の様相は、道路が拡張され、ショッピングモールができて、大きく変わるでしょう。

わたしたちは民間の土地探しと並行して、寺院での墓地探しも行なっていました。「プロジェクト・ニュース№1」 にも、民間の候補地が見つからない場合は、墓地を候補地とすることを記しています。初期は、最後の拠り所 は寺院の墓地であり、そこに記念碑を建てたいと考えていたのですが、最初に応諾してくださった寺院(他の寺 院はすべて断られました)の住職が亡くなり、その子息が跡を継いだとき(寺院が管理する小さな公園の隅に供 養塔を建てる案も出たのですが)、檀家たちが猛反対して、その寺院での建立はあきらめざるを得ませんでした。

発起人の一人が、長年住み慣れたマンションを売って、その資金で羽田の土地を買い、そこに小さな家を建 てて、老後はそこで過ごす、その家の庭に記念碑を建てる、という案を出されました。このご好意をどう考え るか、わたしたちは議論した結果、そこまでお一人に無理を強いる必要はないのではないか、老後の生活を保 障する何もないまま、犠牲を強いることはできない、山﨑博昭は決して、何千万円もする記念碑など望んでい ない、ということになり、もう一度、寺院探しに専念することにしました。

◆ そして最終的に、2016年夏、羽田地域の小さな寺院が、わたしたちの希望をかなえてくださることになり ました(10・8当日、この寺院の住職は、逃げてきた学生たちを匿ったこともあって、山﨑博昭の名前を知っ ていました)。この寺院の墓地に、山﨑博昭の名を刻んだ墓石を建立し、第一次羽田闘争と反戦平和を祈念す る文章を刻んだ墓誌を併設します。わたしたちは、この墓石と墓誌をモニュメントとすることにしました。

◎6月イベントの報告 ◎~展示会、講演会、音楽ライブは大好評でした♬~

* 6月7日~12日「ベトナム反戦闘争とその時代」展/東京谷中 ギャラリーTEN

*6月11日 第1部 和田春樹講演会「市民が戦争と闘った時代」/第2部 音楽ライブ「明日」VOICE SPACE/ソプラノ:小林沙羅、ピアノ・ボーカル:小田朋美、アイリッシュフルート、バウロン:豊田耕三、チェロ:関口将史


▲「ベトナム反戦闘争とその時代」展示会場


▲和田春樹さん


▲VICE SPACE

  ◎発起人会議の記録(開催日のみ報告)◎

2016年/*4月26日(月) 第17回、5月23日(月) 第18回、7月23日(金) 第19回、*8月26日(金) 第20回、*9月22日(木) 第21回

◎「50周年記念誌」へ、みなさまの熱い想いをお寄せください ◎

2017年10月刊行予定で、10・8第一次羽田闘争の記録と、山﨑博昭の死因の追及経過報告、闘争参加者 への取材、50年をふり返る手記などで構成します。

▼記念誌へのエッセイを公募しています。▼400字詰 原稿用紙10枚以内。▼締切/2017年3月末。投稿原稿の採否決定は、編集委員会から本人に通知します。 ▼宛先/10・8山﨑博昭プロジェクト事務局「記念誌担当係」▼メールでも原稿郵送でもOKです。



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