山﨑建夫:「10・8山﨑博昭プロジェクト」への賛同のお願い

1967年10月8日、羽田弁天橋で弟・博昭が死んでまもなく50年になろうとしています。

1967年の50年前と言えば、第一次世界大戦があり、ロシア革命があり、米騒動のあった頃です。私には歴史の教科書でしか知らない出来事です。それだけの時間が経過しました。

当時ごうごうたる非難が浴びせられ、仲間に殺されたとフレームアップがなされ、弟は二度殺されました。当時国内外を問わずさまざまに闘われたベトナム反戦運動の中で、機動隊に衝突するという突出した闘いだったから。

私にとっては青天のへきれき。大きな渦に投げ込まれた感覚でしたが、しっかりと見極めなければならないという思いでした。

弟を良く知る高校時代の同級生を始めとして、当時羽田にいた人(自分が山﨑であったかもしれない人)、救援に携わった人々、自分はどう生きるのかと問い詰めた人々たちが、50年を機に、反戦運動に命をかけた若者の姿を後世にとどめたい、と声を上げてくれました。嬉しいことです。弁天橋のそばに小さな記念碑を建て、50周年記念誌を編もうと。

肉体の年齢は18歳11ヶ月で終えましたが、その意思と名は私よりも長く生きさせられたらと思っています

一〇・八を心に刻み、それぞれの分野でご活躍の皆様と共に、50周年を迎えられたら、弟も喜んでくれるのではないかと想像しております。

個人の資格で、賛同人を募りたいと思っています。ぜひとも賛同人になって頂きたく、お願い申し上げます。

2014年7月4日
山﨑 建夫



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