辻 惠:「10・8山﨑博昭プロジェクト・50周年まであと3年」(2014年10月4日)における発起人あいさつ

辻惠です。ちょうど私が高校に入る1年前から学区制が変わって、京阪電車の一番遠い枚方市内の駅から大手前高校に通っていました。団塊の世代ですけれども、全校が280人という小さな小学校だったもので、都会の大手前高校で社研等の活動をしている佐々木君とか三田君とか、非常に大人びていて仰ぎ見るような感じだったという思い出があります。

当時は、社会問題にいろいろ問題意識を持たないと学生じゃないという雰囲気があって、社研の活動をやり、かつ本当に勉強もよくできた山﨑君は私にとって常に意識する存在でした。この高校時代に私の内部で発酵したものに突き動かされて、大学に入ってから、東大闘争を始め学生運動に関わって行きました。

10・8の当日は現場にはいませんでしたが、非常に大きな衝撃を受けて、10・8山﨑は絶対に一生忘れることが出来ない私の生き方の原点になりました。

80年代以降、弁護士をやり、2003年から2期国会議員をやりました。自分が議員になることと当時の闘いとの関係について、私の中で整理出来ていたわけではありませんが、止むにやまれぬ思いからでした。自民党に対抗する民主党の政治家として松下政経塾出身の人たちが期待される雰囲気がありましたが、私には世の中を正すという点で彼らは本物でないという直感がありました。団塊の世代が戦いの敗北後沈黙する中で、自分がどこまで何をやることが出来るか分からないけど、10・8に象徴される世の中を正すための原点を、現実の政治に反映させたいと考えたのです。

理不尽がまかり通る現実は全く変わらず、現在もっと悪化して危険が増しています。だからこそ、我々が戦い中で感じた問題意識を生かして現実を変えるために、現在落選中でありますが頑張っていきたいと考えています。



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