宮本光晴:「10・8山﨑博昭プロジェクト・50周年まであと3年」(2014年10月4日)における発起人あいさつ
宮本です。今回こういう形で発起人の名前に連なっている訳ですけれども、発起人という話があった時、正直言ってちょっと躊躇しました。ただ、僕みたいに全く普通の人間がいた方が発起人という形も柔らかくなるんじゃないかと思って、またもうこの歳になれば怖いものは何もないといった気分で発起人に加わりました。
山崎君とは高校時代、同級生ではなくて、だから直接言葉を交わす間柄ではなかったんですが、僕は5組で彼は4組、そして月に1回朝礼があって、僕は『み』、彼は『や』で大体隣り合わせくらいになるんですね。ちょっと斜に構えた青白きインテリ青年というか文学青年で、何か非常に気になる存在でした。僕自身はその当時サッカー少年で、当時の大手前高校は高校生の政治活動が盛んであって、我々運動系の学生からは、何か非常に難しいことというか、大変なことをやっているなという印象でした。だから逆に言えば非常に関心が引き付けられた。そういうようなことからだんだんと政治活動グループの後をついていったというわけです。
10.8というのは、それぞれの人間にとってある種の起点というか原点というか、起点の方が正しいと思いますけれども、今回のプロジェクトで改めて考えるのは、その当時、山崎君や私たちが掲げたのは、反戦と革命という2つのキーワードですが、この50年前の志を引き継ぐといったことであれば、ちょっと違うなあ、と感じてしまいます。そののち、約半世紀ですが、我々はいろんなことを経験し、いろんなことを学び、そして現在があるわけですが、山崎君の無念はこのような時間が絶対的に奪わてしまったことにあると思うわけです。この50年間自分は何を考えてきたのかという、そういうことの起点として、10.8の山崎君の死は非常に大きな存在ですし、今回のプロジェクトを通じて改めて考えざるを得ないなと思っています。
今回のプロジェクトのいわば目に見える到達点はモニュメントですけれども、またモニュメントがなければ記憶も風化してしまうので、モニュメントは大事ですけれども、しかし大切なことはモニュメントを通じて山崎体験以降の50年間をめいめいがどのように考えるかにあると思っています。