歴史を書物のなかに構築するために/川村邦光

歴史を書物のなかに構築するために
山﨑と連帯し、未決の歴史へと出立しようとする決意に溢れた追悼集
川村邦光(民俗学)
図書新聞(2017年12月23日号)「17年下半期読書アンケート」から転載

 事件・出来事を歴史として記憶しておくための媒体として、記念碑やミュージアムなどとともに、書物がある。その書物自体、多種多様な情報・知識を媒体として成り立っている。その情報・知識は時として不十分であったり、隠蔽されたりして、歴史としての記憶を伝承することを妨げ、容易に歴史を書物のなかに構築できないことが往々にしてある。しかし、歴史の構築を目指して、たゆみなく記憶や証言、物体の探索が努められている。

 井上亮『天皇の戦争宝庫――知られざる皇居の靖国「御府」』(ちくま新書)は、皇居の一角にある、秘匿された天皇の戦争遺産「宝庫」、いわば「皇居の靖国」の探索を果敢に遂行し、日清戦争からアジア・太平洋戦争の戦利品・記念品や戦死者・戦病死者の写真・名簿・遺品を収めた御府と呼ばれた施設が、敗戦後はひっそりと隠されたままになっていることを明らかにしている。

 10・8山﨑博昭プロジェクト編『かつて10・8羽田闘争があった――山﨑博昭追悼50周年記念[寄稿篇]』(合同出版)では、半世紀をかけて、1967年10月8日の第一次羽田闘争の継承を執念深く貫徹している。山崎との連帯が記され、老い先短いながらも、未決の歴史へと出立しようとする決意に溢れた追悼集である。ヴェトナム反戦を原点とした、継承すべき記憶の風景は一層鮮やかになっていく。

 村上晶『巫者のいる日常――津軽のカミサマから都心のスピリチュアルセラピストまで』(春風社)は、青森県津軽地方の巫者カミサマの経歴や営為をフィールドワークして、その知と実践の世界を深く探究している。個人の出来事が自らの歴史として構築される、民衆史に連なるすぐれた仕事である。

2017年12月23日
(かわむら・くにみつ)
※3冊の本の書評なので、他の2冊についての文章も含めて、転載します。見出しは勝手ながら当プロジェクト事務局が付けました。



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