小室等の〈なまくらのれん〉:「一九六七年一〇月八日」
賛同人の小室等さん(歌手・作曲家)が10月10日の当プロジェクト主催の第3回東京講演会に出演するにあたって、山﨑博昭に寄せる思いを書かれた。タイトルはそのものずばり「一九六七年一〇月八日」である。週刊金曜日に連載中の「なまくらのれん 62」から転載させていただきました(週刊金曜日2015.10.16/1059号)。(事務局)
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小室等の〈なまくらのれん〉:「一九六七年一〇月八日」
安保関連法案を通した翌日に、屈託ない笑顔でゴルフに興じるわが国の総理。自衛隊員がわが国の外に銃を携えて出かけることを可能にした、つまり噛んで含めるように言うなら、自衛官に人殺しができるお膳立てをした、そのことの心の痛みなどありうるべくもなく、笑顔でゴルフに興じることができる総理大臣の神経が、僕には理解ができない。僕はもともと国家というものが嫌いだけど、こんな総理大臣を君臨させている日本なんて大嫌いだ。
武器輸出解禁についても、今までだって企業は武器輸出三原則の下に武器を作り輸出してきたわけだけど、今度さらに大っぴらに輸出入ができるようになったんだよね。テレビを見てたら、財界の偉いさんらしき人が、そのことについて「もちろん大いに歓迎してる」と言ってたな。はっきりさせておきたいのだけど、武器って人を殺す道具だよね。ということは、あの偉いさんは人殺しで金を儲けることを歓迎しているといったのだ。そして日本人としての僕らは、その人殺しの共犯者だ。こんな人たちに日本の経済を委ねているなんて、ああまったく嫌になる。
こんな日本は嫌だ、というと、そんなに嫌なら出ていけよ、というやつが必ずいる。すぐそういうことを言うやつがいる日本を僕は嫌いだ。もちろん、自分の無知ゆえの落ち度については認識している。やるべきときに、やらなかった自分を。
一九六七年一〇月八日、ベトナム戦争に反対する学生たちが、佐藤栄作首相の南ベトナム訪問(アメリカのベトナム攻撃に加担する首相の行動)を阻止しようとして羽田空港へ通じる弁天橋に集まり、その橋の上で、京都大学一回生一八歳の山﨑博昭さんが機動隊とのもみあいの中で亡くなった。「10・8山﨑博昭プロジェクト」は、その山﨑さんを追悼するモニュメントを作ること、そしてこの五〇年をふり返る記念誌を作ることを目的としている。
一〇月一〇日にそのプロジェクトに付随したイベント「家族という病・国という病」が新宿文化センター小ホールで催された。出演は、みなさん発起人でもある詩人・佐々木幹郎さん、作家・下重暁子さん、歌人・道浦母都子さん、賛同人でもある僕とともに、こむろゆいも。日本が徐々に戦争に向かいつつある現在、戦争に反対し続ける意思表示のイベントを僕が手伝っているのは、あの日やるべきことをやらなかった自分を取り返せるなどと思っているわけではないが、今日、国会前に集結するSEALDsをはじめとする若者たちに連動しているつもりはある。
(『週刊金曜日』2015.10.16/1059号)