「反戦の死 語り継ぐ」~中日新聞で11・26大阪講演会を報道
中日新聞(12月1日付、夕刊)で当10・8山﨑博昭プロジェクトが催した11・26第2回大阪講演会(講師・上野千鶴子さん)の様子が報道されました。当プロジェクトの紹介ともなっており、皆様にご紹介します。(事務局)
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反戦の死 語り継ぐ
「羽田闘争」から50年 ←関西発
東京の羽田空港へ続く橋の上でベトナム戦争に反対する学生らと機動隊が衝突し、京大生の山崎博昭さん=当時(一八)が亡くなった一九六七(昭和四十二)年十月八日の「羽田闘争」が来年五十周年を迎えるのを前に、関西在住のかつての同級生らを中心に追悼の輪が広がっている。
学生たちは日本が米国のベトナム侵略に加担していると反発し、佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止しようと橋に集まった。大手前高校(大阪市)、京大で山﨑さんと同級生だった弁護士北本修二さん(六八)は、一緒に東京に向かい、橋の上にいた。「学生が千人はいて、装甲車六台くらいと向き合った」と話す。混乱の中で衝突が起き、落命の瞬間は見ていない。
山﨑さんの兄建夫さん(七〇)は、弟を「色白でけんかは強くないが、おかしいと思えば教師にでも反論した。強い正義感を持って羽田に行ったのだろう」と推し量る。六〇年安保闘争の樺美智子さん以来だった学生運動での死は、学生らに衝撃を与え、七〇年安保闘争へと運動が活発化するきっかけとなった。
五十年が近づき建夫さんが「記録を残したい」と思っていたところに、弟のかつての仲間から「追悼を」の声がかかった。一昨年七月「10・8山﨑博昭プロジェクト」が発足。発起人には建夫さん、北本さんに加え、高校の先輩にあたる元東大全共闘議長の山本義隆さん、京大の同級生の社会学者上野千鶴子さんらも名を連ねる。上野さんは「山﨑君追悼デモが私のデモ初体験。その後のめり込む学生運動へ、私の背中を押したのは彼」と話す。
プロジェクトでは闘争や山﨑さんの足跡をたどる展示、山本さんと上野さんの講演会を東京と関西で開いてきた。来年には追悼の石碑建立、記念誌発行を目指し、賛同人は五百人を超えた。「ずっと山﨑君のことはどこかで考えてきた」「あの時代にわれわれが何を目指したのか考え直したい」などの声が集まる。
くしくも、安保法制、原発再稼働反対などで、学生たちが町で声を上げる時代が再び訪れた。建夫さんは「平和を守ろうと死んでいった博昭の人生を、今残しておく意味がある」と信じている。
(森 耕一)