山﨑博昭君追悼――新たに旅立つドン・キホーテとサンチョ・パンサたち/ 田島正樹
山﨑博昭君追悼――新たに旅立つドン・キホーテとサンチョ・パンサたち
田島正樹(元千葉大学教授、哲学者)
ブログ「ララビアータ 田島正樹の哲学的断想」から転載
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52502591.html
10・8を前にして、このたび『かつて10・8羽田闘争があった』(合同フォレスト)が上梓された。
https://www.amazon.co.jp/かつて10・8羽田闘争があった-山﨑博昭追悼50周年記念〔寄稿篇〕-108山〓博昭プロジェクト/dp/4772660976/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1518836663&sr=1-1
私自身も「弁天橋上のドン・キホーテたち――樺美智子と山﨑博昭」を寄稿している。
50年前の歴史を振り返るこのような試みに対して、連合赤軍事件を目撃したのちの人々からは、「何をいまさら…」と思う人々も多いに違いない。どのような出来事も思索的に経験せず、一過性の流行として水に流していくことが、古来、我が国の流儀だからである。神輿が、誰の思いとも知れず、ただ「なりゆくいきほひ」にまかせて進むようなものだ。そのような下では、経験の反省と継承もあり得ず、したがって真の伝統が根付くこともない。
私が、ドン・キホーテに言及したのは、滑稽とも英雄的とも見える一つの冒険が、どのように理念として結晶し継承されていくのかを示すモデルとして、である。
ドン・キホーテの冒険の最初の読者にして目撃者であったのは、彼に「従軍」したサンチョ・パンサであった。サンチョは、ドン・キホーテの理想に共鳴したわけでも、それを理解したわけでもない。それどころか、騎士物語も読んだことすらない、いささか鈍(どん)くさい人物であったが、それでもドン・キホーテの行動には、どこか高貴なものがあることを直感していた。
何度ひどい目にあいながらも、ドン・キホーテとロシナンテの後を追い続けたのは、そのためである。決して、どこかの島の領主になるという利益に目が眩んだためではなかった。だからこそ、結局彼には、恨みがましい後悔よりも、人生と世界についての真の洞察が残されたのである。
私自身、自分のロバにまたがってこの一行の後を追い、それ相応の辛酸を舐めたものの、そこから得た教訓は、決してサンチョに劣るものではなかったと思う。
ドン・キホーテたちも一様であったわけではなく、さまざまの背景と逡巡を抱えて羽田に向かったことを、私は強調したつもりであるが、それに続くサンチョたちの教訓も、当然さまざまであろう。それが、ドン・キホーテに先立たれたその後のサンチョの人生であり、その一部が本書に散りばめられている。それは、中世騎士物語の夢に浸ることではなく、長い時間をかけて思索し続けることである。
読者がそこに、何ほどか共有できるものを見つけられることを希望する。あまり有りそうもないことではあるが、これを読んで、あらたに旅立つドン・キホーテとサンチョ・パンサが出ないとも限らないではないか? それこそが有り得べき伝統である。
2017年10月2日
(たじま・まさき)