60年安保闘争 60周年/細田伸昭

60年安保闘争 60周年
細田伸昭(「声なき声の会」世話人)

60年安保闘争から60年目の今年、「声なき声の会」世話人の細田伸昭さんが「〈ヒロシマへ ヒロシマから〉通信」№295に一文を寄稿されました。それを執筆者の細田さんの了解を得て転載します。細田さんは当プロジェクトの賛同人でもあります。(10・8山﨑博昭プロジェクト事務局)


6月15日 国会前

6月18日 国会南門前

  
(左)5月19日 衆議院請願受付所 (中)6月4日 国会近く (右)6月18日 国会近く

 「60年安保闘争」とは、1960年、当時の首相・岸信介によって改定された「新安保条約」(現行の安保条約)に対して取り組まれた一連の反対闘争のことです。ピーク時には33万人もの人々が国会周辺をデモで埋め尽くした戦後最大といわれる広範な労働者、学生、市民などによる反対運動でした。

 1960年5月19日、衆議院・日米安保等特別委員会で、自民党が「新安保条約案」を強行採決、翌5月20日に衆議院本会議を通過させました。日本が戦争に巻き込まれる危険が増すという危機感や、強行採決というやり方に等々に反対運動は高まり、デモ隊は国会周辺を連日包囲、全国のデモ参加者は、数百万人に及びました。その最中の6月15日、当時の全学連主流派は国会に突入し、警官隊と衝突、多数の負傷者が出る中、国会南門付近で東大生の樺美智子さんが警官隊に虐殺されました。

 反対運動の高まりにも関わらず、また参議院での採決もないまま、6月19日に「新安保条約」は自然承認されますが、樺さんの死や多くの人々の反対運動が、その後のアイゼンハワー訪日中止、岸内閣を総辞職に追い込んだといえます。しかしこの「新安保条約」が、その後の在日米軍の駐留や、米国追随の政策、いびつな形での日米関係等々を作ってきたことは紛れもない事実です。

 
(左)6月19日 鶴見俊輔さん (右)6月22日 日比谷公園近く

 「60年安保闘争」は、労組や学生ではない市井の人々もデモに参加するという文字通りの国民運動になった最初の運動でもありました。記者会見で、デモについて問われた岸信介は、「…声なき国民の声に…謙虚に耳を傾け」ることが首相に課された責任であり、今あるのはデモ参加者の「声ある声だけ」だと発言します。デモに参加しようにも加われる組織もなかった、当時、中学校の美術講師をしていた小林トミさんたちは、この発言を逆手にとり、6月4日に「誰デモ入れる声なき声の会」のプラカードを掲げて歩き始めます。そして忽ちのうち多くの人々がデモに加わってきました。これが「声なき声の会」の始まりです。

 「声なき声の会」は、安保闘争後も小林トミさんらを中心に活動を続け、ベ平連発足の呼びかけに加わったり、反戦・平和の運動を自分の出来る場で地道に継続してきました。また樺美智子さんの命日である6月15日には、「6.15集会」と国会南門での献花を60年に渡って続けて来ています。これは、小林トミさんや長く事務局を担当した高畠通敏さん、会を支えた鶴見俊輔さん、吉川勇一さん等が亡くなった後も、その意思を受けついだ人たちによって続けています。会には代表を置かず、世話人が呼びかけて行動するスタイルは発足時からのもので、私は7年程前から世話人を担っています。

 「60年安保闘争」60周年の今年は、昨年末から集会の準備を開始し、講演者やパネラーも決まっていました。しかし新型コロナの影響で、残念ながら60年目にして初めて集会を中止しました。この日は、国会南門で献花のみ行います。献花の時間は、午後7時です。少し前に国会議事堂前駅に集まり、各自の間隔を取りながら、南門まで行って献花を行います。献花に参加されたいという方は、この時間に来て下さい。(この日は、「声なき声の会」以外にも、当時学生として安保闘争に参加した方々や個人で献花に訪れる方もいます)

 
(左)5月26日 浅沼稲次郎 (右)6月15日 国会近く

※献花等の詳細は「声なき声の会」のホームページをご覧下さい。https://from1960koenakikoe.web.fc2.com/
※写真は、「声なき声の会」のメンバーだった成谷茂さん(故人)によって撮影されたもので、一市民による安保闘争の貴重な記録写真です。この写真は、世話人の細田が管理しています。

※樺美智子さんの「死の真相」については、医師の丸屋博さんによって2010年にまとめられた記録「樺美智子さんの『死の真相』(60年安保の裏側で)-60年安保闘争50周年」(石川逸子さん編集・発行『ヒロシマ、ナガサキを考える』99号、2011年1月)があります。「ちきゅう座」サイトに転載されています。http://chikyuza.net/archives/5376

(ほそだ・のぶあき)
「〈ヒロシマへ ヒロシマから〉通信」№295(2020年6月14日) から転載。



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