コロナと旅とリニア中央新幹線(下)/山本義隆
コロナと旅とリニア中央新幹線――コロナに思う その2(下)
山本義隆(科学史家、元東大全共闘議長)
(承前)
●リニア中央新幹線の闇
リニア中央新幹線をめぐるこれまでの経緯を簡単に顧みます。
2007年にJR東海が総工費9兆円全額自己負担でリニア中央新幹線事業化という方針を表明しました。
2014年に国土交通省がJR東海にたいしてリニア中央新幹線の着工を許可します。そのとき国交省は「交通政策審議会」の「鉄道部会・中央新幹線小委員会」に建設の妥当性の判断を諮問, 小委員会は「計画は妥当である」と答申しました。そのさい小委員会はパブリックコメントを募集し, 888件のコメントが集まっています。そのうち計画の中止や再検討を訴えたものは648件(73%), 計画推進を望む意見はわずか16件, しかし小委員会の家田仁委員長(東京大学大学院工学系研究科教授)は, その圧倒的多数の反対意見を完全に無視する見解を表明しました(樫田前掲書p.53f. , 橋山前掲書 p.153より)。
そして2015年に本格工事が始まります。
話が大きく動くのは2016年です。この年, 安倍首相は2045年に大阪まで開通の工程を8年前倒しにして2037年大阪開通を表明し, そればかりか法改正までして総工費のうち3兆円を低利の財政投融資でJR東海に融資することを決めました。
大阪開通の時期を前倒しにすることは, 大阪維新の会の強い要望だったのです。大阪万博・カジノ誘致・リニア新幹線の3点セットで大阪の経済を活性化するというのが彼らの目論みだったのですが, それはコロナ以前的というよりは文字通り50年前の発想です。ともかく当時の松井大阪府知事と橋下大阪市長は安倍首相と菅官房長官に強く働きかけたのですが, 首相がそれに応じたのは国会運営と憲法改正にむけて維新の会の協力を取り付けるためだと推測されています。
そして法改正をしてまでの強引なJR東海への3兆円の融資について, 先述の橋山禮治郎は新聞で「リニア計画を引っ張ってきたJR東海の葛西敬之名誉会長は, 安倍晋三首相と非常に距離が近い人物だ。二人の関係があったので優遇されたと見られても仕方がない」と指摘しています(『東京新聞』2017年12月14日)。ここでも安倍首相にまつわる一連の疑惑に見られるネポティズム(お友達優遇)の影がちらついています。
それにしてもこれほど大きな国家的問題が公での議論もなく, 政治党派間の愚劣な取引や私的な情実が絡んでいるのだとすれば, とんでもないことです。
ともあれこうしてリニア中央新幹線は闇のなかで準「国策」に格上げされたのですが, 早くも翌2017年には, 判で押したように, トンネル工事の受注をめぐって清水建設・大成建設・鹿島建設・大林組のゼネコン大手4社の談合が発覚しています。大手建設業にとって, 9兆円もの国家プロジェクトはきわめておいしい話だったのです。もっとも2015年の段階では, ゼネコン関係者は, リニア新幹線は従来の新幹線事業と異なりJR東海単独の事業ゆえに, 予期しない建設費の増大があっても補填されない可能性があり, 受注には慎重にならざるを得ないとコメントしていたのです(「それでもリニアには参画しない」『週刊プレNews』2015年12月28日号)。とすれば国家プロジェクトになった効果はきわめて大きいようです。このことは, 2020年に予定されていた東京オリンピックの準備とともに大手建設会社に絶好の金儲けの機会を作ったのであり, そのことが東日本大震災の復興にどれだけ妨げになったかは, 言うまでもないでしょう。
そしてこの間, JR東海は関連する地域の住民にまともな説明もしてこなかったのです。何回かの説明会でも, 質問はひとり3回に限定し, 時間が来れば質問希望者がいても機械的に打ち切るという一方的で形骸化したもので, それは話し合ったというアリバイ作りのためのものでしかありませんでした(この間の経緯については樫田の前掲書に詳しい)。
そして今回, 静岡県では, 南アルプスの深部を貫くトンネルが県民の生活と農業と産業にとって不可欠な大井川の水流にどのように影響を与えるのかについて納得のゆく説明が与えられていないとして, 県の川勝知事が工事着工を拒否しているのです。知事の任務が県民の生活と県の産業を護ることであるとするならば, まして良質の水を大量に要する茶の栽培が静岡の主要産業のひとつであることを鑑みるならば, それは当然の態度でしょう。
もちろん途中の停車駅が地域の活性化につながるといった宣伝によって工事を認めた自治体も多くあります。『ニッカンスポーツ』の2019年12月5日の「政界地獄耳」には「リニアと静岡 夢と戒め」の標題で書かれています:
3日, 静岡県掛川市はリニューアル工事に伴う大井川の流量減少問題をテーマとした「掛川の水について考えるシンポジウム」を開いた。静岡新聞によれば基調報告でリニア問題を統括する静岡県環境保全連絡会議本部長の副知事・難波喬司はリニア県内区間のトンネル湧水が県外に流出しても, 大井川の水が減らないとするJR東海社長・金子慎の主張を「全く理解できない。流出した水は決して大井川に戻らず, 水系全体の水は必ず減る, 話にならない」と批判している。
大井川の水系を産業, 生活の基礎としているいわゆる利水者は00年5月に新東名高速道路のトンネル掘削工事で, 簡易水道や沢が枯れた歴史を不安視するからだ。日本道路公団に工事と水枯れの因果関係を認めさせるまでの苦労を多かったからこそ, 工事前に話し合いたいのだ。…… 今後, カジノなどに自治体は大規模施設誘致に活路を見いだそうとするだろうが, 静岡の取り組みは全国の自治体の浮ついた“夢のような”計画の戒めとなるだろう。
スポーツ新聞だからといって侮ってはいけません。こういう的確な指摘もあるのです。
2016年5月, JR東海のリニア中央新幹線建設に反対する沿線1都6県の住民ら700人以上が, 国土交通省のリニア着工認可の取り消しを求めて東京地裁に提訴しました。その訴訟の原告団長・川村晃生は語っています:
人口減少社会で, 時速500キロで移動する必要があるのか。高度成長時代期の価値観のままに走り続けていることに問題はないのか。自然破壊や財政問題などの情報はオープンになっていない。将来つけを払うのは国民。すべての情報を明らかにして国民全体で議論しなければいけない。(『東京新聞』2016年5月17日)
●リニア新幹線の根本的な問題
リニアは先に言ったように, 高速であるために空気抵抗がきわめて大きく, それに抗するために大きな電力が必要とされるのですが, それだけではありません。通常のモーターは円形に巻いた外側のコイルの中を回転子が磁石の極(南極と北極)間の斥力と引力で回転するものですが, その外側のコイルを線型に伸ばして中の回転子を浮かせながら前に進めるのがリニア(線型)モーターです。そのため「マグレブ(magnetic levitation:磁気浮上車)」とも略されます。その際, コイルを超伝導コイルにすることで, コイルの発熱によるエネルギーのロスを防いでいます。しかしそのためには極低温が必要で, その低温を維持するためにも電力が要求されます。
また超伝導コイルのためには, いまや世界中で取り合いになっているニオブやチタンやタンタルやジルコンのような稀少金属を多量に必要とします。
エネルギー(電力)と資源のこの大量消費が第1の問題です。
日本でリニア鉄道を最初に考案したのは, 国鉄の技術者であった川端俊夫と言われています。その川端はまた, リニアの問題点としての電力浪費に最初に気づいた人物でもあります。1989年8月24日の『朝日新聞』の「論壇」に北海学園大講師・鉄道工学, 元国鉄技師の肩書で, 氏が寄稿しています。見出しは「電力浪費のリニア再考を 一人当たりでは新幹線の40倍にも」とあり, 本文は「JR方式のリニアモーターカーは, その消費電力の厖大さが, 最大の欠点なのである」と始まり, 最後は「JR方式のリニアモーターカーの建設は巨大な無駄に思われる」と結ばれています。
この川端の寄稿について, 翌年に交通通信社から出た『時速500キロ“21世紀”への助走』には「反響は大きく‘沿線’自治体, エンジニア, 投稿者と同じ国鉄OBなどから‘本当にそうなのか’といった質問や, リニア・マグレブに‘マイナスの関心’を抱く層から疑問や是非論が出てきた。‘中央リニアエクスプレス構想’を進めるJR東海は ……‘虚をつかれた’感じで, 慌てた」とあります(p.80)。この記述は, この時点までJR東海が消費エネルギーのことを真剣に考えていなかったことを暴露しています。
そんな次第で, 10日後の9月4日の「論壇」に鉄道総合技術研究所理事長, 元国鉄常務理事という肩書の尾関雅則の反論が「リニアの電力浪費は誤解 全消費電力は新幹線の約3倍で設計」という見出しで投稿されました。40倍と3倍で主張が大きく違っていますが, それは川端の最大値にたいして, さらに一人当たりの値を求めるさいに宮崎の実験での少人数を乗せて走ったケースで比較している(つまり小さな数で割っている)のと, 尾関の積分値つまり平均値にたいして, それを営業運転か始まったのちの相当大きな想定乗客数で割った値で比較したことからきた違いです。
尾関によると「東京-大阪間のシステム設計は, 時速500㎞, 1日平均輸送密度10万人(東海道新幹線は現在16万人)という想定で考えています。…… エネルギーの消費量を把握するうえで最も重要な全電力消費量については, 乗客一人あたり約90WH〔ワット時〕を計算しており, これは新幹線の約3倍」とあります。「1日平均10万人」というのは随分楽観的な想定ですが, それ以後, 「これまでの新幹線の3倍」という数値が語り継がれるようになりました。実際には「1日平均10万人」はとてもゆかないと予想されますから, おそらくこの値はかなり少なく見積もった消費量と思われます。といっても、これまでの新幹線の3倍という量でさえ大変な電力消費量なのですが, 橋山の前掲書には「産業技術総合研究所の阿部修治氏の推定では, 16両編成で時速500キロ走行の場合には新幹線の4~5倍の電力が必要だという」とあります (p.139)。
この尾関の「論壇」にはさらに「現在, 東京-大阪間には東京, 中部, 関西の三電力会社あわせて総発電量9100万KW(キロワット)の発電所があり, …… リニアモーターカ―の全消費電力はその0.6%にすぎず」とあります。つまりリニアの消費電力は55万KWということです。他方, 先述の樫田の書(p.61)には, 東京-大阪間が開通した後のピーク時, 1時間8本として, 74万KWとあります。尾関の値は平均値, 樫田の書の値は最大値と考えられます。74万KWは事故を起した福島第一原発・第2号機の出力とほぼ同程度です。つまりリニアを動かすためには, 現在の大型原発の標準である100万KWの発電量の半分から四分の三の電力が必要ということです。しかしやはり橋山の書には「山梨県立大学学長の伊藤洋氏は, 同時に10両編成が走行する場合には, 原発3基程度が必要だと試算している」ともあります (p.139)。 どのデータを信用するにせよ, いずれにしても単一の企業の単一の路線としては破格の電力消費量であり, 福島の原発事故以降の省エネの時代にまったく逆行した存在と言えます。
先述のJR東海の葛西敬之は, 福島の原発事故のわずか二カ月半のちの2011年5月24日に『産経新聞』で「原子力の使用は, リスクを承知の上でそれを克服する国民的覚悟が必要である。原発はすべて速やかに稼働させるべき。この点に国家の存亡がかかっている」という旨のこと言っています。彼はリニア新幹線にとって原発増設が不可欠なことを知っていたのでしょう。橋山の書で断定されているように「在来新幹線よりはるかに多くの電力を必要とするリニア新幹線は, 原発の再稼働か新増設に依存することを前提として計画されている」のです(橋山前掲書 p.12)。
リニア中央新幹線の第2の問題は, その大規模な自然破壊です。
全線の9割近くがトンネルであり, そのための工事が地下水系にどのような影響をあたえるかはもちろんわかりません。実験線のトンネル工事でも沢や井戸の枯れが生じています。南アルプスの深部(もっとも深い処では地表から1400メートル下)にトンネルを掘ると, 大井川にどのような影響がでるかは, 本当のところ誰にもわかりません。JR東海にしても, いくらアセスメントをしてもどうなるかはわからないというのが本音でしょう。しかし自然破壊において結果が出たときにはもう元には戻せないというのは, 高度成長の過程で日本が多くの犠牲をはらって学んできた事実です。だから結果がどうなるかわからないのにトンネルを掘るというのは, ロシアンルーレットのようなもので, 決して受け入れられないという静岡の知事の態度は当然でしょう。
もちろん, 自然破壊はそれだけではありません。
東京-名古屋約276㎞, うち90%近くの247㎞がトンネルで, しかもリニアモーターカーは速度が大きくてトンネル内, とくに出入口での風圧の変化がきわめて大きくなるため, トンネルの断面積はこれまでの新幹線のものより大きく12m×8.3m=約100㎡(平方メートル)にとられています。それはこれまでの新幹線のトンネルの約3分の4倍で, ようするに無駄の多いシステムなのです。そしてそれだけの長さのトンネルを掘れば, 途中に約60箇所ある非常口(地上までの直径30mの竪穴)やその他, 途中の駅や変電施設の分も含めると, 約3000万㎥(立方メートル), つまり東京ドーム300個分に相当する厖大な量の土砂を取り出さなければならないわけですが, その残土の捨て場も完全には決まっていません。一部は大井川上流の沢に高さ70m、長さ数100メートルにわたって投棄する案が出されていますが、それ自体が多大な自然破壊であり、しかも大雨のときには土石流の原因となる危険性があります。
ダンプカー1台の搭載容量を多い目に10㎥と見積もれば300万台――「リニア新幹線を考える東京・神奈川連絡会議」の試算では320万台(『東京新聞』2016年5月17日)――, この土砂の搬出に10年かかるとして, 1年の稼働日を300日とすれば, 単純計算で1日1000台のダンプカーが必要です。しかし実は, トンネルの断面積はコンクリートで固められたときの断面が上記の値で, 実際には縦横それぞれ上記の約1.3倍くらいを掘ることになり, この1.7倍くらいになります(樫田の前掲書p.258では12年間として1日1700台)。もちろん, この他にほぼ同量のセメントをふくむ建設用の資材・機材や人員の運搬があり, 上岡直見の書には「たとえば工事6年目において, 機材・資材・残土運搬の車両が年間289万台走行と想定されている」とあります(上岡前掲書 p.210)。それは1年365日として1日平均約8000台で, これだけのダンプカーやトラックがそれまで静かであった山村地帯や農村地帯あるいは市街地を行き来することになります。そのことだけでも排気ガスで大気を汚染し, 騒音とともに地域の景観を破壊し動物の生態系に影響を及ぼすでしょう。交通事故の心配もあります。そしてその長大なトンネルの建設に必要とされる膨大な量のセメントを生産するためにも, 原料の石灰岩を求めて国内の幾つもの山が切り崩されてゆくことになります。こうして残土の捨てられる先だけではなく, 石灰岩が採取される処でも, 自然破壊は進行します。
上述の上岡の書にはさらに, 近年問題になっている CO2(炭酸ガス)の排出量が算定されています。それによりますと, 運転にともなうCO2の排出量は, 東京-大阪間の航空機の利用者がすべてリニアに移ったとすれば年間25万トンのCO2が節減されるが, 他方で9兆円の工事にともなうCO2の排出量は工事全体でその節約量をはるかに上回る3480万トンと推定されるとあります。
自然破壊については, その他にもいろいろの問題がありますが, その点はリニア・市民ネット編集『危ないリニア新幹線』(緑風出版 2013)を参照してください。
第3の問題は, 強力な電磁場による人体への影響が危惧されています。この点について, 紫外線・X線・γ線という振動数の大きい電磁波の危険性はすでによく知られていますが, それ以外の強い電磁場が人体にどのような影響があるのかは, いまだはっきりしたことはわかっていないようです。 ということは一種の人体実験ということになるわけです。
そして第4には, 事故対応の問題, つまり安全性の問題が考えられます。日本のトンネル技術は優秀だそうですが、最深部で地表から1400m、地下千メートルを超えるような深いそしてきわめて長いトンネルは, 未経験の分野でしょう。とくに南アルプスは造山活動の激しい山岳で、直下には中央構造線と糸魚川‐静岡構造線(フォッサマグナ)という二つの大きな活断層が走っています。たとえば地震で全線ストップしたときどうなるのか、陥没や出水の危険はないのか、あるいはトンネル内で火災が発生したときどうなるのか。停電の危険はないのか。 脱出坑では400m近くを登らなければならないのもあるようですが、脱出用のエレベータは正常に動くのか, それも3人や5人ではありません,年寄りや幼児も含めて数百から千人近い乗客の避難が対象です。これらの事柄にたいしてJR東海からはかならずしも多くの人が納得できるような説明はありません。「絶対安全」と言う事業者からの呪文は福島の原発事故以来信用をなくしているのです。火災等のアクシデントのさいに無事地上に到達できても, 冬場であればそこは雪と氷に閉ざされたアルプス山中です。先に見た上岡直見の書にはじつにリアルに書かれています:
外部へ脱出するまでの困難さが現行新幹線とは大きく異なる。この地区は「二軒小屋」地区と呼ばれ工事用の坑道の掘削が予定されているが, 開通後には脱出径路として利用される予定である。しかし脱出口に到達しても水平距離2㎞・高低差200mの坑道を人力で登攀することになる。さらにトンネル外に脱出できても無人の山中であり,冬期であれば経験も装備もない一般利用者がそこにいるだけで生命の危険が生じる。救援のバスや緊急自動車はアクセスできないから, むしろ航空機が山中に墜落したような状況が発生する。(『鉄道はだれのものか』p.204)
そして最後に, リニア中央新幹線はそもそも経済的に成り立たないであろうという点にあります。これは企業としては根本的で決定的な欠陥と言えます。この点は, 先の私自身の以前の文章からの引用ですでに明らかですが, コロナを経験した現在, そこで指摘した点はより深刻な問題となっています。
先に引用した昨年の文章に私は「会議など現地にゆかなくともできる時代なのです」と書きましたが, 実際, コロナで在宅勤務・テレワークが普及し, 直接出社して顔を突き合わさなくとも職場の討論ができたのです。東京の本社と関西の支社の会議でも, 地方の取引先との打ち合わせでも, 運賃や宿泊費や時間のかかる出張が不要であることを, 経営者は知ったのです。大学や学校でもオンラインの授業が一挙に広がったのであり, 従業員や労働者サイドでも、子供のときからパソコンになじみそのような教育を経験した若者がつぎつぎ社会にでてゆくわけです。コロナを契機に社会のこのIT化傾向はさらに進むでしょう。
それでなくとも人口減で, さらには高齢化で, 新幹線移動需要の大部分を構成する生産年齢人口はそれ以上の割合で減少することが予想されています。新幹線にかぎらず, 航空機にせよ, 自動車にせよ, 国内旅客輸送量は横ばいないし減少が予測されます。さらにコロナによるテレワークの普及を考慮すれば, 東京-名古屋‐大阪間の新幹線利用者は, 従来の新幹線でも減少すると見るべきです。
また「外国からの観光客」の件について, 2019年8月2日の『毎日新聞』の「仲畑流万能川柳」に「味わいがあると思えぬリニア旅」とありますが, 先に書いたようにそのとおりで,東京‐名古屋間の移動に観光客が地下のリニア中央新幹線使用を積極的に選ぶとは思えません。そればかりか, そもそも外国からの観光客はコロナで大幅に減少しましたが, それがコロナ以前の水準に今後回復し, さらに右肩上がりで増加し続けることは考えにくくなっています。
上岡直見の書には書かれています:
リニア新幹線事業に関しては大半のメディアが「日本の技術は世界一, 夢のプロジェクト」として肯定的に取り上げている。しかしその多くはJR東海の発表を無批判に請け売りする内容にとどまる。冷静に検討すると問題点が多く, 物理的な危険性とともに事業性でも疑わしい面が多く, 事業としての破綻をきっかけにJR東海あるいは日本の鉄道全体の崩壊を引き起こすおそれがある。(『鉄道はだれのものか』p.200)
先に見た2014年の書の末尾で「‘第三の鉄道’をこの時代に導入することは国家百年の愚策です(p.203)」と語った橋山禮治郎もまた, 2017年にあらためて「沿線各地で上がる反対の声に, 政府もJRも率先して答えなければならない」と指摘し, 自身の予測と思いを語っています:
リニアの高速性が人口減の社会をむかえる日本に果して必要か, という原点に立ち返る必要がある。今のリニアはJR東海だけが進めたいと思っているだけで, 決して国民は望んではいない。完成してもストロー現象で, 地方がさびれるおそれが高い。そんな鉄道に何兆円も費やすべきなのか。このままではぼろぼろの日本がまっているだけだ。(『東京新聞』2017年12月14日)
これまでJR東海は, 東海道新幹線というドル箱路線を持っていたために, 国鉄から引き継いだ相当の借金を抱えながらもやってゆくことができました。しかしそれでも現在, 御殿場線, 身延線, 飯田線等の駅を無人化するなどの合理化を進めています。明治以来「国鉄」として築き上げられてきた日本の鉄道網は, 社会的に共有される国民の貴重な財産なわけですが, 採算が合わないという企業の論理だけで, いくつものローカル線が廃線にされています。
JR東海が二本の競合する新幹線を抱えたことによって経営的に行き詰まったなら, そのしわ寄せがJRの労働者とJRの利用者に押し付けられるだけではなく, 保守がおろそかになり事故を招来するという危険も考えられます。高度成長時代に建設されたインフラは、半世紀を経て老朽化が始まっています。そしてまた2017年12月11日には東海道・山陽新幹線「のぞみ」の重要部である台車のひび割れという大参事寸前の事故がありました。それ以前に, 新幹線ではありませんが, 度を越した合理化と過酷な労務管理そして私鉄(阪急・宝塚線)との過剰な競合による無理な高速化に起因する2005年4月25日のJR西日本・福知山線の運転手・乗客の死者計107名、負傷者562名という大参事もありました。
4年前の上岡直見の「日本の鉄道全体の崩壊」, あるいは3年前の橋山禮治郎の「ぼろぼろの日本がまっている」という警句は, 安易に聞き流してよいものではありません。
上岡や橋山の警句は, コロナ以前に語られたものですが, コロナはそこで語られた諸問題にあらたにより深刻な要素を付け加えたことなります。かつて疫病の流行は, しばしば起こったにせよ概して局所的に封じ込められていたし, 軍隊の移動というようなことがなければ拡大のテンポもよりゆるやかでした。しかし資本主義がグローバルに展開し, 平時からより多くの人がより迅速により遠くへ容易く運ばれるようになった21世紀になって, 今回のコロナは, 技術的先進国と言われた国々で恐ろしいテンポで拡大し, 医療崩壊の危機をもたらしています。コロナはリニア中央新幹線の類のコロナ以前の計画の全面的な見直しを私たちに突き付けているのです。
2020年7月
(やまもと・よしたか)