10月8日、弁天橋~福泉寺と「折々のことば」、そして山形国際ドキュメンタリー映画祭
10月8日、弁天橋~福泉寺と「折々のことば」、そして山形国際ドキュメンタリー映画祭
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弁天橋~福泉寺で山﨑博昭君を偲ぶ
▲弁天橋の欄干の親柱に張り紙と献花。どなたのご厚意でしょうか?
▲弁天橋にむかって黙祷。 ▲山﨑君の遺影を掲げるのは水戸喜世子さん。
2021年10月8日は山﨑博昭君の祥月命日でしたが、この日には関連する三つの出来事がありました。
一つは、いつものように羽田・弁天橋に集い、山﨑博昭君を追悼しました。弁天橋は、54年前の10・8羽田闘争のときと同じような、抜けるような青空のもとにありました。毎月参加されている発起人の山本義隆さんと佐々木幹郎さんに加えて、発起人の水戸喜世子さん、関西運営委員会の牧田満知子さんがこの日のために関西から駆けつけられました。日蓮宗僧侶の福島泰樹さんが来られ、山﨑君死後54年、55回忌の読経をあげました。
毎月の月命日と比べると、16人という多くの参加がありました。
バスで福泉寺に移動し、墓石・追悼碑の前で、一人ひとり山﨑君を追悼しました。
その後、福泉寺向かいの萩中公園内にある萩中集会所の地下レストランで食事と歓談をしました。ささやかな追悼行為ですが、ずっと変わらず、たんたんと積み重ねていきたいものです。
ここで、ぜひともご報告することがあります。
弁天橋の欄干の親柱には、私たちが集まる前にすでに「21.10・8./山﨑忌/羽田弁天橋」「1967.10・8.山﨑博昭君 ここに死す!」という張り紙と献花がされていました。毎月の月命日にも、同じ作法が施されています。とてもうれしいことです。このひそかな、早朝からのご厚意をなさってくださっているのは、どなたなのでしょうか? 心から感謝申し上げます。
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「折々のことば」に代島治彦著『きみが死んだあとで』からの引用
▲画像をクリックすると拡大されます。
二つめは、朝日新聞を開いて真っ先に1面の鷲田清一「折々のことば」を読む人が多いとのことですが、この日は、代島治彦著「きみが死んだあとで」から印象的な一フレーズが書き出されていました。10月8日に合わせての掲載という、配慮の行き届いた山﨑君への追悼でもあります。鷲田さん、ありがとうございます。
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山形国際ドキュメンタリー映画祭で「きみが死んだあとで」を上映
三つめは、17回目を迎えた「山形国際ドキュメンタリー映画祭2021」が10月7日から14日までオンラインで開催されましたが、奇しくも、ちょうど10月8日の午後6時から代島治彦監督作品「きみが死んだあとで」が上映されました。「日本プログラム」では、他に、茨城県の牛久入管収容所での外国人への人権蹂躙を告発するトーマス・アッシュ監督作品「牛久」などがありました。
主催者の紹介は「1967年第一次羽田闘争で命を落とした大学生の記憶を遺族や元同級生のことばにより紡ぐ。政府権力に意義申し立てをした学生たちの記憶の継承と未来への問いかけ。」というもの。
上映後には代島監督がオンラインに登場し、質疑応答が英語通訳付きで約35分間かわされました。その様子がユーチューブにアップされています。
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大阪・隆祥館書店で『きみが死んだあとで』をどう読むか? 代島治彦氏×水戸喜世子氏によるリアル&リモート(11月19日)
映画および書籍『きみが死んだあとで』がさまざまな反響を呼んでいます。大阪の降祥館書店で、代島治彦監督と水戸喜世子さんの対談が企画されています。