追悼:近代の日朝関係史の第一人者中塚明先生を悼む

新田克己(10・8山﨑博昭プロジェクト関西事務局)

日本近代史の専門家として,近代の日朝関係史を深く研究されてきた奈良女子大学名誉教授中塚明先生が,10月29日,肺癌のため死去されました.94歳でした.

中塚先生には,2021年11月20日に10・8山﨑博昭プロジェクト秋の関西集会で.「敗戦の総括をし損なった日本」―― 日本は朝鮮でなにをしたのか ―― と題して講演をしていただき,多くの人々が感銘を受けました.当日は,予想を大きく上回る方々が集まってくださり,満員の聴衆の前で,先生は1時間の講演を立ったまま休みなしに,張りのある声で語り続けられました.当時92歳の先生の力強い話に生きる勇気をもらったという人も大勢おられました.講演で,中塚先生は,日清戦争にまつわる日本による国家ぐるみの歴史のねつ造を鋭く糾弾し,正しい歴史認識の重要性を熱く語られました.

2021年11月20日関西集会での中塚先生

 

その翌2022年の6月に肺癌が見つかり,ステージ3Bと診断されました.先生は,手術や治療をしない,緩和ケアという道を選択され,ひとり暮らしの生活を続けてこられました(奥さまは3年前に亡くされていました).およそ1年3ヶ月,元気に過ごされていたのですが,この9月半ばに,ガンの部位の痛みが増し,かかっておられた病院の緩和ケア病棟に入院されました.そして1ヶ月あまり,病気と闘い続けてこられた先生の力が尽きました.

中塚先生は,1953年京都大学文学部を卒業され,その後1958年から奈良女子大学文学部附属高等学校に勤務されました(私はそこでの最後の年の教え子です).その頃,先生は『岩波講座日本歴史17』の「日清戦争」の項の執筆を任され,日清戦争の研究者としてのキャリアをスタートさせます.1963年には奈良女子大学文学部に移られ,日清戦争の研究も本格化します.最初は,日清戦争時の外務大臣陸奥宗光が書き残した『蹇蹇録』の研究でした.国会図書館資料室で「陸奥宗光関係文書」を詳細に読む中から公式に残された記録にない陸奥外相の本音が浮かび上がってきました.この頃から先生は,ことある毎に,編纂された史料ではなく,第一次史料から学ぶことの重要性や感動を語ってこられました.今でも岩波文庫の『蹇蹇録』の校注者は中塚先生です.

第一次史料からの大きな発見は,先生が奈良女子大学を定年退官された翌年の1994年にやってきます.この年は,日清戦争勃発からちょうど100年目にあたります.福島県立図書館の「佐藤文庫」に収蔵されていた「日清戦史の草案」を読んだ先生は,公式の「日清戦史」には語られていなかった重要な事実を発見されます.そこには,日清戦争の端緒とされる日本軍による「朝鮮王宮占領」がそれまで語られていたような偶発的なものではなく,日本政府や軍による計画的なものであったことが記されていました.明らかに,日本による朝鮮の侵略です.草案には書かれていながら正史では削除され.国家による歴史の改竄が行われていたのです.第一次史料だからこその発見でした.

「草案」の発見の翌1995年,北海道大学文学部のある研究室でいくつかの頭骨が発見されました.その1つには「韓国東学党ノ首魁ナリト伝フ」と記されていました.日本軍が東学農民戦争を鎮圧し幹部たちをさらし首にしたときの髑髏であることが判明しました.これをきっかけに,中塚先生は,井上勝生北海道大学名誉教授や朴孟洙円光大学校教授と協同して,東学農民戦争の実態を明らかにする研究に取り組まれます.その結果,日本軍による農民軍の虐殺は,反乱軍の鎮圧などというものではなく,まさに日本軍によるジェノサイドというべきものであることがわかってきます.

日本では黙殺されてきた東学農民戦争ですが,その実態を解明する過程で,中塚先生は,東学農民戦争の史跡を訪ねる日韓の民間交流を提案されます.「東学農民軍の歴史を訪ねる旅」が2002年に始まり,今年で18回を数えました.中塚先生は,毎年その旅に同行されることを楽しみにされ,肺癌が見つかった後の昨年度のツアーにも参加されました.今年も行きたいとおっしゃっていたのですが,それはかないませんでした.

先生は,2014年に,歴史認識を正すことに貢献したとして,「高敞東学農民革命記念事業会」から「緑豆(ノクト)大賞」を授与されます.高敞(コチャン)郡は東学農民革命の最高指導者であった全琫準の生誕の地であり,緑豆将軍というのが全琫準の愛称でした.また,全羅南道の道立図書館が建てられた2012年,東アジア近代史研究資料1万5千点を寄贈されました.

「訪ねる旅」を重ねる毎に,参加者たちや現地の人びとの間に,東学農民軍の犠牲者を悼み,謝罪の気持ちを形にしようという機運が高まります.それが韓国南西部羅州市での「東学農民軍犠牲者を悼む謝罪の碑」の建立に実を結びます.過去の過ちに対する謝罪を通して,記念碑が世界平和の礎になることを願って建てられた碑の除幕式は10月30日に予定されていました.その除幕式にだけは出席したい,その強い気持ちがおそばにいた私にもひしひしと感じられました.癌の痛みに耐えながらその日までは生きながらえようとされた先生,除幕式の前日10月29日に息絶えました.

ご家族の言葉があります.「父は韓国へ旅立ったのだと思います」

中塚先生の葬儀での供花,羅州市長や道立図書館長からも

2023年11月4日

(にった かつみ)



▲ページ先頭へ▲ページ先頭へ