京大11月祭で山﨑プロジェクトが展示と講演会

京大11月祭で山﨑プロジェクトが展示と講演会

      

京大11月祭でベトナム反戦の多彩な展示

 大学での展示と講演会は、2016年10月の京都精華大学に続いて2度目となった。
 2017年にベトナムのホーチミン戦争証跡博物館展示の際、当時のバン館長がベトナム国内を巡覧展示して学生たちにベトナム戦争当時のことを伝えたい、と話された時から、それも大事だが日本国内の大学の展示はどうなんだろうと気にかかっていた。右傾化の激しい日本の大学で反戦展示は可能なのだろうか。在籍する大学生がいて、学園祭などの行事で一部屋借りられれば可能となるのだが…。

 プロジェクトの関西運営委員会の会議には、大学で教鞭を取る人や、大学院生も参加してくれるようになっていた。
 彼らのつながりで京都大学の院生Kさんと知り合え、彼が主催者として11月祭実行委員との折衝に当たってくれた。彼は京都大学新聞会出身者で吉田寮出身者でもあり、大学当局から老朽化を理由に退去しない寮生を告訴するという暴挙に怒りを覚えて闘っている。その怒りと闘いは私たちにも共有できるもので、マーク・ラッド氏来日の折は彼を伴って吉田寮の見学も果たせた。
 K氏の働きのおかげで京大11月祭での展示と講演が可能となった。大学での展示は2校目、しかも弟の母校での「京大生山﨑博昭とベトナム反戦運動展」である。感慨ひとしおのものがあった。

 20日の展示準備には東京から来られた山本義隆氏(当プロジェクト発起人)の指示に従って夕方6時半からパネルの搬入。区画割り、パネルを張り付ける。壁面は良いのだが、レンタルのパーテーションが布製のため貼り付けにくい。9時半頃までかかって、未完成だが残りは明日8時半からとする。

 21日8時半に4人。昨日の布製のパーテーションのものは1枚を残してすべて床に落ちていた。固い壁面は大丈夫。養生テープの上に両面テープを付けて再度貼付しているところへRさんが駆け付け、ボードの上下にぐるりとテープを巻き付けてその上にパネルを張り付ける方法を教えて下さる。開店?の10時を過ぎても貼り終わらない。幸か不幸か人出はまだ少なく訪問客もいない。
 1969糟谷孝幸50周年プロジェクトの方も来られ、案内のチラシを置くとともに、パネル貼りも手伝って下さる。12時前か、何とか完成し交代で食事に。チラシもまくことにした。

 京大11月祭の催事一覧表に、原爆と戦争展や中東問題、遺骨返還訴訟などが載っているので、せめてチラシの交換など連携出来たらとチラシを多めに持って訪ねることにした。これは良かった。いずれも快く応じてくれ話も弾んだ。
 私たちの展示を見終えた学生が「他に見ておいたら良い展示はありますか」という問いに直ぐ応えることができ、チラシを渡した。こんな学生がいるのだ。嬉しい。
 見学者はポツリポツリで計20人くらいか。訪問者名簿に名を書いてくれる人は少ない。

 22日、今日は9時半集合。大阪からでラッシュに遭遇。昨日今日11時位からは人出も多い。
 講演会は満席になるだろうか。パネラーは3人もいるが聴衆が少なくては話にならない。講演会常時参加の見慣れた顔の人、原爆展の主催者、初めて出会う人。

 赤松英一氏(弟の京大の先輩)が早めに見えていたので弟がよく通っていた5号ボックスのことを尋ねると「現存していますよ」と案内してくれた。
 屋台の列が並んでいるグランドの外側南西部に当たる。ブロックを積み上げた、いや打ちっ放しのコンクリートか。それぞれの部屋には現在使用しているサークルの名前などがイラストで派手に描かれている。グランドと隔てる金網状のフェンスは当時は無かったという。赤松英一、大西宏、北本修二、島元恵子、下西知行、故山本望、後には岡龍二他が通い詰めた場所だ。ブント、共労党なども近接していたとのこと。

現在から1960年代へ、1960年代から現在へ、3人の講師が視座を提示

   

 講演会の開会5分前に撮影を依頼してある関大生2人が到着。阪急電車が遅延したためぎりぎりになった。
 2時半、定刻に開会。
 京都精華大のレベッカ・ジェニスンさんは、ご自身の経歴から反戦闘争へのかかわり、反権力の芸術などとの関連からジェーン・フォンダさん、富山妙子さんの闘いに話が及んだ。
 高校、大学と弟と共に戦列にいた弁護士の北本修二氏さんは、起点となる1965年日韓条約反対闘争からベトナム戦争反対に至る過程を、当時の歴史事情から解き明かし、10・8羽田闘争後の京大有志の教員たちの支持声明と比較して、立て看を禁止し吉田寮問題で学生を告訴するに至った京大山際体制を批判された。弁護士としては大阪維新の橋下の知事時代の違法な職員規制他を裁判ですべて打ち負かした報告をされた。
 白井聡氏は明治、大正、昭和の敗戦までの構図は、頂点を天皇から米国に変えただけで、戦後、高度成長、3・11東日本大震災・福島原発事故と二回り目の緩やかな壊滅に向かっていると論じられた。

 開会時少し開いていた椅子席も徐々に埋まり、主催者側で席を譲り時には立ち上がって拝聴。
 質疑では吉田寮闘争を闘う寮生から、高圧的な山際体制と無理解な周囲へのいら立ち、他の現役生からは何をしてよいかの悩みが訴えられた。
 各パネラーや参加者から先輩として「一人から始めるしかない。あの時代も最初から多数がいて運動を起こせたわけではない。必ず理解者は出てくる。スエーデンの女子高生グレタさんも一人で始めた」と優しく回答があった。
 東洋大学の船橋秀人君もそうだった。勇気がいるけれどやはり「連帯を求めて孤立を恐れず」なのだ。
 参加者は40人超。
 講演要旨は、正確には後日DVDまたは文書でご確認下さい。
(文責:山﨑建夫)



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