映画「きみが死んだあとで」西南学院大トークイベントが毎日新聞記事に

映画「きみが死んだあとで」西南学院大トークイベントが毎日新聞記事に

 代島治彦監督作品、長編ドキュメンタリー映画「きみが死んだあとで」が各地で上映され、観る人がそれぞれの想いと重ねて大きな感銘を受けているとのことです。
 9月11日には福岡上映会が開かれました。それは西南学院大学法学部「ことばの力養成講座」(責任者・田村元彦准教授)主催で、同講座の一環として企画されたものです。上映後のトークイベントには代島治彦監督、詩人の佐々木幹郎さん、哲学者の森元斎(もり・もとなお)さん、田村元彦さんが登壇し、多岐にわたる話になりました。西南学院大学の学生を始め、世代を越えて多くの方が参加されました。
 ここに転載した毎日新聞の記事(10月21日、上村里花記者)は、その様子を印象的に記していて、会場の感動が伝わってくるようです。

10・8山﨑博昭プロジェクト 事務局
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代島監督、出演者が登壇
学生運動から半世紀の今
死者の視線で現代を照射


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 映画「きみが死んだあとで」(2021年)のトークイベントが9月11日、福岡市の西南学院大で開かれた。映画は1967年、第1次羽田闘争で亡くなった京大生、山崎博昭さんを知る人物や当時の学生運動指導者らへのインタビューを通し、学生運動が激化した時代を問う。代島治彦監督と映画の出演者で、山崎さんの高校の同級生だった詩人の佐々木幹郎さんらが登壇した。

 代島さんは58年生まれで、全共闘世代の一回り下だ。運動体験もなければ、山崎さんとも面識はない。それだけに撮影当初から「かすかな疎外感」を抱き続けてきた。あの時代とは何だったのか。この問いを幅広い世代に伝えるために考えたのが「死者のまなざし」だった。

 18歳で亡くなった山崎さんや、学生運動の果てに内ゲバや連合赤軍事件で亡くなった多くの若者たちの“彼岸”からのまなざしを浮かび上がらせ、今の時代をも照射したかったという。そのため、死者に代わり、彼らを知っている人たちに語らせた。90時間に及ぶインタビューを3時間20分に編集したのが本作だ。

 登場する14人は、運動を通じて身近な人の死や挫折を抱えて生きてきた。代島監督は本作を編集する間、村上春樹の『ノルウェイの森』を読み返していたという。映画と同じく、死者を抱えて生きる者の物語だ。代島監督は、そこから現代につながる視点を得ようとする。「彼岸の若者たちに見つめ返されることで、私たちは今、どう生きようとしているのか、目の前の問題に対して何もしていないのではないかということを突きつけられる。今も世界では50年前と同じような問題が起こり、解決されないままだ。こうした人間の愚かな行為を彼らに見つめ返された時、私たちはどう考えるのか」

 佐々木さんは「(関係者も年を重ねる中)映画はギリギリのタイミングだった」と言う。半世紀経った今だからこそ、語ることができた人たちもいた。「一番大事なことを語るための言葉を見つけるのに50年かかることもある。生きることはそういうことだ」。さらにチェコスロバキア出身の作家で、「プラハの春」を経て『存在の耐えられない軽さ』を著したミラン・クンデラについて「同時代人だと思っている。67~69年に起こったことは日本だけの問題じゃない」と指摘した。

 日本では60年代末の出来事が過去の問題として切り捨てられている現状を憂い、「欧州ではあの時代の闘争とその結果を受け止め、現在に至るまで考え、書き続けている」と訴えた。「山崎は18歳で死んだ。何と簡単に人は死んでしまうのか。存在とは何と軽いものか。その軽さの中にどういう思想があるのか。それを考える時間を私たちは与えられたんだ」と吐露した。

 映画の中で佐々木さんは「自分の青春を救い出すために一生を費やす」と語る。それは若い頃に出会った詩の一節「私は私自身を救助しよう」から生まれた言葉だ。その一節を「自分の中のテーマ」として生きてきた。「この映画もそのことを描いている」
【上村里花】

毎日新聞(2021年10月21日)から転載。



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