今年最初の月命日墓参をしてきました

今年最初の月命日墓参をしてきました
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新年のごあいさつ


新年の弁天橋、西詰から空港方向を臨む。

 新年のごあいさつをいたします。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年は、映画『きみが死んだあとで』が、代島治彦監督とともに全国を駆けめぐりました。各地で上映され、山﨑博昭君と同時代の人たちから現在の学生にいたるまで、とても多くの方たちに観てもらえました。DVDにもなっていますので、さらに多くの方たちに観ていただきたいと願っています。
 この映画をとおして、初めて10・8山﨑博昭プロジェクトに関心を寄せてくださる方たちから連絡をいただいています。
 総合芸術といわれる映画のもつ力を実感した次第です。

 また第二ステージの最後の年、第4年である2022年を前にした昨年中に、たくさんの賛同人の方々から年会費3000円のお振込みがありました。皆さんの熱い思いに感激しているところです。
 深く感謝いたします。この場をかりて、心から御礼申し上げます。

おかげさまで、当プロジェクトの活動も前進した一年でした。

羽田・弁天橋、福泉寺で山﨑君を偲ぶ

 

 今年最初の月命日、1月8日の墓参は、早めに退出された方、遅れて来られた方を合わせて、11人の参加がありました。

 いつものように、午前11時半過ぎに、発起人の佐々木幹郎さんの「黙祷!」の発語で、黙祷しました。山﨑博昭君が機動隊の警棒乱打によって頭を殴られて撲殺された、弁天橋の空港寄りの欄干あたりに向かって、山﨑君を偲びました。
 この日は、私用でちょうど関東方面に来られていた大阪市在住の金洪仙(キム・ホンソン)さんが参加されました。前々から墓参に参加したいと願っておられたそうです。新しい参加者を迎えて、皆さんも大歓迎でした。

   

 福泉寺の「反戦の碑」は、雨風にさらされたせいか、この間ずっと文字が読みにくくなっていました。ところが、この日は、彫られた字の溝に片栗粉がすりこまれていて、一字一字が白くて、くっきりと目立ち、よく読めるようになっていました。
 すっきりとした「反戦の碑」となっています。
 片栗粉をすりこんでくださったのは、この地域にお住いの賛同人の方です。「何回も試みて、今回は片栗粉をちょっと固めにした」とのことです。それが大成功! 嬉しいことです。

 墓参の後、萩中公園内にある萩中集会所地下のレストランで食事。食事後の懇談では、参加者から当プロジェクトへの思いが語られました。
 在日韓国人二世の金洪仙さんから自己紹介。13歳のとき家業を手伝っていて機械の不具合であやまって両手をはさまれる事故に遭い、両手首切断となったこと、一級「障害者」として苦しい日々を送ってきたこと、その後どう乗り越えて生きてきたのか、お連れ合いの鈴木常勝さん(紙芝居師、日中現代史研究者、昨年8月急逝)との出会いと別れ、鈴木さんを通して全共闘運動の時代を知ったこと、水戸喜世子さんと知り合ったことなど、簡潔ながら情熱的に語ってくれました。
 一同、強い感銘を受けたのでした。
 他の方からは、月命日の墓参が地道な取り組みながら、毎月欠かさずずっと続いていることは、おそらく他には例がないのではないか、という話がありました。
 当プロジェクトのささやかな活動は、権力とたたかって斃れた人々を記憶し、記録していく先例になっているのではないでしょうか。

 今後とも、1回1回の月命日が印象に残る、意味ある集いになればよいと思います。

10・8山﨑博昭プロジェクト 事務局



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